第4話 風神
グランホーリー社西太平洋地区本社から、ほんの数キロ西に行くと、廃ビル街がある。
もはや一人として住人のいなくなったこの地区で一番高い二十階建てのビルの屋上に、一人の少年がいた。腐りかけた金網の柵の上に座り、東の街並みを見つめている。
「懐かしい?」
少女の声がした。
短い銀色の髪と透けるような白い肌。落ち着いた服装の少女は少年の正面、数メートル離れた空間に立っている。
無論、足元には何もない。宙に浮いているのだ。
しかし少年はそんな事を気にするでもなく、ニッと歯を剥いて見せた。
「何故そう思う」
「だって十年ぶりなんでしょ」
「たった十年、宇宙の歴史の中では一瞬だ。どうという事はない時間だな。この僕がいちいち懐かしんだりするはずもない。それともエレーナはセンチメンタルな男が好きなのか。だからといって、それを僕に求めるのは無理というものだが」
「求めてない!」
少女、エレーナは真っ赤になって否定した。
「あんたって最低。なんでそういう言い方しかできないの」
しかし少年はエレーナの怒りなどどこ吹く風だ。
「個性とはそういうものだろう。それよりも、そろそろ始まるのかな」
「……うん、そろそろだと思う」
エレーナは不安気な顔を見せている。その不安はこの先起こる事に対するものか、あるいは。
「では行くとするか」
少年は勢いよく柵の上に立ち上がった。その瞬間、重みに耐え切れなくなった柵が壊れる。
二十階の高さからの転落。真っ逆様に。しかし。
風が咆えた。
地面近くに強烈なダウンバーストが吹き荒れたかと思うと、その中を少年は、まるで妖精が花の上に舞い降りるかの如く、静かに大地に降り立った。斜め上に目をやれば、エレーナが宙に浮いている。
「ちょっと期待したか」
「し、してないわよ」
「残念ながら、僕はまだそちらには行けない。もうしばらく我慢しろ」
「何よ我慢って。期待してないって言ってるでしょ。こら人の話を聞きなさい!」
しかし彼は素知らぬ顔で歩き始めていた。
「十年ぶりのご対面だ。間に合うといいがな」
「……などと私のような若輩者が申しましても説得力に欠けるのが悲しいところです。そもそもここにいらっしゃる皆様方には釈迦に説法というものでしょう。あ、しまった。私はブッディストではありませんでした」
薄く笑いを取ったところで、演台のボブ・ホーリーは舞台袖に目をやった。
「私の話はこんなものでいいですよね。皆さんが退屈してはいけませんし。そろそろ本日のメインゲストを紹介しましょう。私の旧来の友にして日本州首相、リタ神討です」
万雷の拍手の中、リタが登壇する。舞台上でリタとボブ・ホーリーはハグを交わし、場所を入れ替わった。
「本日はこのような晴れの場にお呼び頂きまして恐縮しております。ご承知の方もいらっしゃるでしょうが、只今ご紹介頂きました通り、私とボブ・ホーリー会長とは旧知の中でございまして……」
リタのスピーチを背中で聞きながら舞台袖に下がると、ボブ・ホーリーはスタッフから飲み物を受け取り、イナズマの隣に戻って来た。
「ふう、終わった終わった」
しかしイナズマは相変わらずムスッとした顔で黙ったままだ。ボブ・ホーリーはこれ見よがしに大きなため息をついた。
「何とか言えよ、ご苦労さんとかさ」
「よくあんなに口が回るな」
「ペテン師みたいに言うな。オレだって一所懸命なんだぜ。ま、慣れだよ慣れ。この二年ほど、人前で喋ってばっかりだからな、ちょっとは上手くもなるさ」
「それは、大変だな」
その言葉には、ほんの少し本心が見えた。
「まあ痩せても枯れても救済の五英雄だ。話を聞きたいって奴はごまんといる」
イナズマは黙って見つめ、ボブ・ホーリーは苦笑を返す。
「そんな顔すんなよ。別にオレだって自分を英雄だなんて思っちゃいないって。ただな、世の中には役回りってもんがあるんだよ。それを演じなきゃいけない訳さ」
「私にはできそうにない」
「その格好でか」
ボブ・ホーリーが思わず突っ込んだとき。
ずうん。遠くで鈍い音がした。イナズマは雷鳴の如く走った。リタの元へ。
「みなさん、壁から離れて!」
叫ぶリタを抱きかかえて、イナズマは舞台袖に駆け込んだ。その直後、壁を突き破って飛び込んできたのはダンプカー。会場を埋め尽くしていた人々は、悲鳴を上げて逃げ惑った。
反地球連邦組織『日本解放戦線』によるテロの手口は、いたってシンプルなもの。
グランホーリー社は民間企業と言いつつも、ブノノクの庇護を受ける特別な会社である。しかも竣工式のゲストに首相が来るとあって、その警備は軍警察によって、厳重に行われていた。
それを日本解放戦線は、土砂を山積みしたダンプカーという「質量」で突破した。
まず一台目を突入させた後横転させ、土砂を撒き散らして車止めや段差を埋める。そこに二台目を突っ込ませ、壁を突き破らせた訳だ。
いかに最新装備の軍警察とはいえ、さすがにこれを止める事はできず、あっさり突破されてしまった。この辺りが宇宙軍港とのレベルの差、つまりはこの世界における重要度の差だろうか。
二台目のダンプの荷台から日本解放戦線のメンバーが飛び下り、破られた壁の隙間をくぐって建物内部に侵入する。
「我々は日本解放戦線である! 日本に仇なすグランホーリーとリタ神討に天誅を下す!」
そう怒鳴りながら自動小銃を招待客に向けた男を、イナズマが一撃のもとに打ち倒した。脇差の峰打ち。どうやら日本解放戦線には、グランアーマーはないらしい。金満組織ではないのだろう。
次々に侵入してきては銃を向ける者達を、イナズマはもぐら叩きの要領で打ちのめして行く。
テロリストの数は無限ではないし、背後からは軍警察に攻撃を受けている。日本解放戦線はあっという間に息切れを起こした。
だがイナズマに一息吐く暇はなかった。
天井の鉄骨を伝って舞台に近付いている気配がある。別働隊か。
イナズマは舞台袖に向かって走った。一瞬、招待客の方に目をやる。出口に殺到する人々から離れてしゃがみ込んでいる娘の姿。ヒカルは無事だ。
そこに天井からの銃撃。イナズマは身を屈め、テーブルの下に入った。しかし足は止めない。テーブルの下から隣のテーブルの下へ、風のように駆け抜ける。
銃撃は続いているが、上手い狙撃手ではないらしく、弾はイナズマの進路から外れたところに穴を開けていた。やがて別方向から銃声が。
非常口から突入してきた軍警官の援護射撃。天井の敵の動きが止まる。その一瞬の隙を突いて、イナズマは舞台へと駆け上がった。敵の目的がリタである以上、いまはまずリタの安全を確保しなくてはならない。それ以外はその後だ。
非情と思える選別にも迷いを見せない。それが最善の効果を生むのだとイナズマは信じている。
そう信じなければ報われない。イナズマの心の片隅には、いまもアレクセイ・シュキーチンの影があった。
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