よろずの町医者

有栖川 天子

よろずの町医者

国内有数の難関校とされる大学を卒業し、私は医者として病院で働いている。


来る日も来る日も患者さんの診察をし、人々の命を守っている。いや、それは大袈裟かもしれない。それでも、その自覚はあるし、自負することでもある。




今日もまた、診察室に一人の患者さんがやってきた。



「体調が良くなくて」



そう言う男性。時期は冬とあってか、コートにセーターまで着て防寒していた。


カルテを確認すると、男性の名前は森野拓真もりのたくまで、年齢は二十七歳、私と同い年だった。



「どういう風に体調が悪いんですか?」



尋ねると、彼は下に俯きながら答える。



「頭痛と、発熱。あとは気だるさですかね。それと・・・」



そう言って、口を止める。



「どうしました?」


「いえ、それだけです」



何かを言いかけたのは確かだが、それ以上何かを言うことはなかった。

一通り診察をして、森野さんは風邪という結論に至った。



「お大事に」



風邪薬を飲むように言うと、彼は診察室から出て行った。





それから数日。


私は雪が積もる中、丘の上まで来ていた。


ここは、私が育った小さな田舎町を一望できる展望台だ。休日になるとたまに来ては、街を眺める。


夏は人がまばらにいるのだが、冬は人っ子一人いない。


気温は当たり前のようにマイナスなのだから、用がない限り家にいる。だから外は人通りがない。当たり前と言えば当たり前だ。


だから余計に、私はここに来たがる。


誰もいない、故に静かだからだ。



「ふはぁー」



自販機で買ったココアを一口飲むと、白い息が目線の下から上に向かって通過する。


特に何も考えることはないが、ただボーッと街を眺める。すると、背後から足音が聞こえた。


こんな時期に誰が来たのかと思えば・・・。



「・・・森野さん」



小声でそう口にする。


数日前に病院に来ていた人だ。あの時は風邪と診察し、調子も悪そうだったが、もう治ったのだろうか。


そんなことを思っていると、彼は私から数十メートル離れた位置で、自ら木製の安全策を越え、そのまま崖から身を投げようとする・・・って、「ちょっと!」。


危なかった。私が何とか彼の身体を掴み、転落こそしなかったが、もし私がいなかったら、彼は間違いなく崖下に身を投げ、その命を失っていただろう。


とりあえず安全策の内側に彼を引きづりこみ、近くのベンチに座らせる。



「どうしたんですか」



そう尋ねるが、彼は何も答えなかった。


それどころか、表情も死んだ状態で、何一つとして挙動を見せなかった。



「自殺・・・しようとしてたんですか」



もはや確信犯だ。安全策の高さは、足を上げれば簡単に乗り越えられてしまうぐらい低い。とはいえ、その先は数十メートルの崖、雪が積もっているだろうが、下は岩だ。落ちたら怪我じゃ済まないのは小学生でも分かるだろう。



「す、すみません。迷惑をかけてしまい・・・」



彼は口を開け、震えた声でそう言った。


目はいつの間にか涙ぐんで、泣く寸前というのが見てわかる。



「どうしたんですか。私でよければ話を聞きますけど」


「聞いて、くれるんですか」


「聞きますよ。だから話してください」


「・・・わかりました」



私の訴えに、彼は同意してくれた。



「自分は指先が不自由なんです。私生活には支障がないのですが、細かい作業ができなくて、それで、仕事も人間関係もうまくいかなくて・・・」



掘り下げて聞いてみると、彼は指先が自分の思うように動かないらしく、さらには足首にも違和感があるらしい。それでつい数年前まで、車椅子に乗っていたそうだ。



「最近は身体の調子も良くなって来たのですが、それでも普通の人のように動くことはできなくて・・・数日前、とうとう職場の上司が怒ってしまって。そこからなんです、調子が悪くなったのが」



それで病院に行ったというわけですか。


過度なストレスで風邪を引いてしまった、そんなところでしょうか。



「えっと、どうして手足が不自由になったのか、聞いてもいいですか?」



かなりデリケートな内容だが、彼は話してくれた。



「中学生の時です。当時は有名だった不良に絡まれてる女の子を助けようとして・・・かっこ悪い話ですよね」


「そんなこと・・・」



そんなことはない。


私も彼と同い年なので、彼の言ってる不良のことも知っている。


当時、この小さな田舎町を暴れまわっていた不良高校生が二人ほどいた。彼らは、いわゆるカツアゲや不純異性行為などを横行していたらしいが、高校卒業後、彼らがどうなったのか、そこら辺は不明だ。



「その・・・すみません。自分、命を投げ捨てようとしてました。辛かったんです。両親も失ってしまいましたし、身寄りがない者ですから、孤独に加え社会的なストレス・・・もう限界だったんです」



彼は苦笑しながら告白した。



「私には想像もできませんが、辛かったのは分かります」


「いえ、話を聴いてくれたお陰で、もう少し頑張れる気になりました」



力になれたのなら嬉しい。


心なしか、彼の苦笑は、本物の笑顔になった気がした。



「きっとその女の子も、あなたが自殺して欲しいなんて思っていませんよ」


「そうなんですかね。今も昔も片想いでしたから、今どこで、何をしているのかもわからないんですよね」



今も・・・と言うことは、今もその女の子のことを想ってるということだろう。


中学生の時からと考えると、かれこれ十年以上・・・。



「大丈夫です。案外近くに居るものですよ。きっと会えます」



我ながらめちゃくちゃなことを言ったと思ったが、



「そうですね。そう思っておきます」



彼は肯定してくれた。




彼は軽く頭を下げると、雪道を歩いて立ち去った。


一人になった私は、街の方に目線を向ける。


「片想いか・・・そんなことないんだけどなぁ」


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