39.「む、胸を揉み潰さないでください」


「……アタシがクジラのこと好きって、なんで知ってんの?」

「知っているというか、はたから見ていれば、誰が見てもわかると思いますけど……?」


 夕焼けに焦がれるアゲハが、困ったように笑った。しばらくジーッとその顔を見つめていたアタシだったが、ふいにフッと吐息が漏れて、ボソッと一言、「だよね」と呟いて――

 ……結局、気づいてくれなかったのは、あの能面野郎一人だったってワケね……。



 なんであんなのを好きになっちゃったんだろうと、自分でも思う。

 自分のアホさ加減に、自分で呆れちまうこともある。

 でもよ……。



「……中学の、時にさ――」


 アタシの口から、記憶の音がこぼれて、ジッと、マジな顔つきでこっちを見ているアゲハの瞳に、アタシは誇張なく吸い込まれそうになって――


「……あのよ、せ、『せいり』が――」

「…………セイリ?」



 世界が、止まった



 ――って思ったのはたぶん、アタシ一人……。


 きょとんとしたツラしたアゲハが、からくり人形みてーに首を傾けて、

 アタシはというと、夕焼けの太陽に負けないくらい顔が真っ赤で――



「――や、やっぱ言えるかよ! こんな恥ずいことっ!?」


 ――強制終了。フリーズしたパソコンを窓の外にブン投げるみてーに、アタシは広げた両手をブンブンと全力で振り始めた。


「ナシッ! ナシだ今の! 何も聞かなかったコトにしろ!」

「えっ、えっ……? い、いえ、まだ殆ど何も聞けてな――」

「うるせぇッ! その胸揉み潰すぞっ!?」

「……ふぇぇぇっ!? む、胸を揉み潰さないでくださいぃぃぃっ!?」


 ワケがわかんなくなったアタシは、とりあえず目の前の巨乳を、力任せに揉みまくっていた。

 


「――っていうかアンタはどうなんだよ? アゲハ」

「……えっ?」


 ――胸を揉みしだくこと約五分……、なぜか抵抗を示さなかったアゲハが、真っ赤な顔をしながら再びツーっと鼻血を垂らしたところでアタシは我に返った。彼女は両鼻にティッシュをつめこんでおり、ソレ鼻呼吸できねーだろと心の中でツッコミ――


「アンタは、あのチャラ男――、コトラのこと、なんで好きになったんだよ?」

「そ、ソレハデスネ……」


 夕暮れの河川敷、帰宅を再開したアタシたちはノロノロとスローテンポで歩いており、隣のアゲハが恥ずかしそうに顔を俯かせる。


「……最初は、憧れでした……、去年の学園祭、私はロックのライブというものを初めて観て、檀上を自由に飛び跳ね回るコトラ君たちを眺めながら……、なんだか、親の敷いたレールの上をひたすら走っていた自分のコトを、とてもちっぽけに感じてしまったんです。自分の殻を破れない自分にコンプレックスを抱いていた私は、真剣な表情で、泣き叫ぶように歌うコトラくんの顔が、頭から離れなくなってしまい――」


 ふと、耳に響くは、お世辞にも綺麗とは言えないがなり声。

 それと、汗だくになりながら、憑りつかれたみたいに、マイクに必死に喰らいついているコトラの顔で――


「――でも、最近彼と話していて、気づいたことがあるんです」


 ハッと意識が戻って、ふと横を見ると、ニコッと、柔らかい顔でアゲハが笑っていた。


「コトラくん……、一見とっても自由奔放に見えるのですけど、実は、すごく繊細で……、みんなの前でおちゃらけてるのも、自分がピエロを演じることによって、雰囲気を和ませようとしているんじゃないかって、そう思う時があって……」


 アゲハは今きっと、全力でコトラの顔を全力で思い浮かべていて、全力でコトラの一挙一動を思い出していて――、たどたどしく言葉を紡ぐ彼女の表情は、恋する乙女のソレに寸分も違わない。彼女の描くイメージが夏風に漂って、私の頭の中にも流れ込んでくる。


 ……繊細、か――


 ふと、耳に響くは、女みたいにすすり泣いている男の声。

 それと、薄汚い階段にちょこんと座り込んで、この世の終わりみてーなツラしてる、コトラの顔で――


「……私、コトラくんと向き合ってちゃんと話をしてみるまでは、夢の世界の王子様に、一方的な想いを抱いていたんだと思います。自分勝手に造り上げた、自分本位な『コトラくん』の姿を、一人で妄想して……、でも、今は違うんです。等身大の彼を知って、一人の高校生である彼の姿を見て……、コトラくんのこと、もっと知りたくなったんです。彼の弱い部分も含めて、全部わかりたいと思ったんです。……それに、『優等生』の仮面の裏側に隠された私の姿を、知ってて欲しいとも……、ありのままの私を、受け入れて欲しいって――」


 ピタっと、アゲハが足を止めて、線の細いロングヘアがなびいて、

 釣られるようにアタシも立ち止まって、くるっと、アゲハの方を振り返って――


「……そんな感じです。実は、この感情が、恋心なのかどうかも、自分でもわかってないんです、ホント――」


 柳アゲハが、困ったように笑う。



「ホント……、『好き』って難しいですね――」



 夏特有の湿った風がそよいで、夕暮れに焦がれるアタシ達の間を抜けた。

 アゲハに釣られるように、アタシもヘラッと、腑抜けたように口元を緩ませて――


 ……あ~あ。



 ……ホント、考えるのも、めんどくせぇわな――

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