カンナ―怪奇譚―
meteorua'*
第1話 怪病
―「ねぇ、聞きました?3丁目の
「あら、そうなの?可哀想ねぇ……、怪病ってまだ治療法が見つかっていないんでしょ?」
「そうなのよ〜!症状も様々だし、突然発症するんですって。怖いわよねぇ……」
「そうね……。」
――――――――――――――
「怪病……。」
夕餉の買い物の帰りに近所の人の噂話を聞きながら
(まぁ確かにいつ発症するか解らない、症状も分からない……なんて命を賭けたびっくり箱を開けるようなものだ。町の人が恐ろしさを紛らわすために噂話をしたくなるのも分かるかもしれない。)
―
彼に両親はいない。父は物心ついた頃からいないし、母は……杏李が6歳の時に橋から飛び降りて自殺した。まだ幼かった杏李にはショックの方が大きくてよく覚えていないが、あの時母は病院で余命宣告をされたのだと言っていた。
何かの病気だったのだろうか。思い出したくてもあの時のことを考えるだけで杏李は冷静でいられなくなる。あれからもう20年も経つというのに。
―話が変わるが杏李はとにかく独り言が多い。口には出さないので
「ふむ……。」
(夕餉を今作ってしまうか、さよ子に贈るハンカチを染めてしまうか……。)
「ハンカチにしよう。」
時間をかけて道具の準備を終え、椅子に腰掛け一息ついていると
キィ……ッ
「こんにちは、杏李さん。」
とドアをノックして返事をする前に中に入ってきたのはさよ子だった。
「さよ子、こんな時間にどうしたの。手習いはいいの?」
「いいのよ。あなたに贈ろうと思って刺繍のハンカチを作っていたのだけれど、あなたのことを想っていたから急に会いたくなってしまったの。」
「きっと今頃先生は呆れているわ。」
とくすくすと笑いながらさよ子は言った。
「そうなんだ……。」
と杏李は顔を少し赤らめて短く返事をした。
「……実は僕もハンカチを染めようと思っていたんだ。さよ子に渡そうと思って。」
「あら……!そうなの。私たち考えることがよく似ているわね。やっぱり小さい時から一緒に暮らしてきたからかしら。」
そう、先程も言ったが杏李には両親がいない。あの事件のあとで、貧しい孤児院に引き取られそうになった所をさよ子の父である
杏李が引き取られたとき、さよ子は2歳。
自分の子供がいちばん可愛いであろう時期にさよ子の父と母、使用人達は杏李にも惜しみなく愛情を注いでくれた。養子ではなかったが、それこそ本当に藤家の一員のように。
愛を一番必要とする時期に愛情を失った杏李には
それが本当に嬉しくて、くすぐったくて……申し訳なかった。
最初の頃、今まで全ての家事をしてこなかった杏李には分からないことも多く、失敗もあった。だがこれ以上迷惑をかけられない……と杏李は誰にも頼ることはなかった。
……だが一つだけ今でも気になっていることがある。あの時、義父にせめてこいつを傍に置いてくれ。と渡された猫のタマについてだ。
あれから11年経つが全く歳をとる気配がない。
それに知能もとても高い。
本当にただの猫なのだろうか。
また義父に会うことがあったら聞いてみよう。
「……そうだ杏李さん。これ見てくださらない?」
さよ子が高そうな花柄の着物の袖をまくるようにして見せてきたのは
(ビー玉……?)
「さよ子、これは何?」
と杏李は首を傾げてまくった着物の袖を下ろしながらさよ子に尋ねた。
「綺麗な色をしたビー玉でしょう、うちに遊びに来た外国のお嬢さんに貰ったものなの。」
さよ子がそういうので杏李は再び白くて細いさよ子の綺麗な手のひらにのせられたビー玉をみた。
(まるで僕の瞳のような……)
「あなたの瞳の色そっくりでしょう?緑に少し金が混じったような素敵な色。」
杏李はこの国では珍しい亜麻色の髪と緑金の瞳、美青年と呼ばれるにふさわしい容姿を持っている。それ目当ての若い女性の客が多いがその事に杏李は気づいていない。
「もうひとつあるのだけれど。」
そう言ってさよ子が取りだしたのは
鶸茶とはくすんだ緑がかった茶色っぽいような黄色っぽいようなとても趣のある色だ。
(さよ子の瞳と同じ……。さよ子の母に異国の血が混じっているからか、なんだか珍しくて昔からその色が大好きだった。今思うと自分のことを棚に上げているな……。さよ子の髪は艶のある黒髪だし、瞳の色も近くで見ないと分からない。珍しいのは僕の方か……。)
「これ、あなたにあげるわ。持っていてくれるかしら。」
そうさよ子が杏李に差し出したのは鶸茶のビー玉だった。
「……?」
「……私がこっちの色を持つわ。」
とさよ子は耳まで真っ赤にして今度は懐から手製の小さな巾着を2つ取り出して、杏李の分を入れてくれた。
「私、そろそろ帰るわね。お父様にも心配をかけてしまうわ。」
このとき 杏李は何故か胸がざわめいた。
「送っていくよ。」
外に出るとオレンジ色の日が沈み出していた。
さよ子を連れて藤家の方に向かおうとすると
突然、バリッバリッと大きな何かが壊れる音がした。
「あっちからよ!」
と暗くなり始めた空の下でさよ子が指を指したのは、店の後ろだった。
2人で警戒しながら回り込んでみるとそこには
「……こんなものあったかな。」
「大変!壊れているわ。神様が住んでいるかもしれないのに。」
「これは……スス?」
祠を指でなぞって杏李はそう呟いた。
(さっきの音はこれか……?)
と杏李が独り言を言っていると
パリッパリッと何かが落ち葉に倒れ込む音がした。反射的に振り返るとさよ子が倒れていた。
「……さよ子!?」
さっきまで元気に喋っていたさよ子が突然杏李の目の前で倒れたのだ
「えっ……!?」
杏李はトラウマが呼び起こされパニックになっていた。
「にゃあ」
「あっ……さよ子。」
と涙でぐしゃぐしゃになった杏李は
いつの間にか杏李のそばまで来ていたタマの「にゃあ」という鳴き声ひとつで正気を取り戻した。
とりあえず杏李はさよ子を抱きあげて、自分の部屋に向かった。
「ごめんね、さよ子。硬い布団しかないけど我慢して。」
「タマ……。ありがとう、僕は藤家に行ってくるから、さよ子を守るんだよ。」
「にゃあ!」
―――――――――――――――――
長い長い塀を眺め、歩き続けること10分。
「やっと着いた……。」
ようやく杏李は外門にたどり着いた。
滅多に出すことの無い大声で杏李は人を呼んだ。
「誰か……、誰か!」
「……はい。どちら様で……!」
「杏李様!お戻りになられたのですか?」
「いや違うんだ……。
「さっき、さよ子さんが倒れたんだ。」
「お嬢様が!?大変、すぐに医者を呼ばなくてはいけませんね。」
「杏李様の家にいらっしゃるんですよね?」
「……」
コクリと杏李は頷いた。
「では杏李様は、先にご自宅に戻っていてください!そちらに医者を連れていきます。」
「ありがとう……、菜帆さん。」
菜帆さんは杏李が子供の頃から面倒を見てくれた女性だ。なんだか安心してしまって、1度は落ち着いたはずの感情がまた溢れてきてしまった。
「……!杏李様、落ち着いてくださいな。きっとお嬢様は大丈夫ですよ。あなたがしっかりしないでどうするんですか……ここまでよく来れましたね。」と菜帆さんは杏李の感情を丸々包み込むように頭をそっと撫でてくれた。
「もう大丈夫。お嬢様の所へ行ってあげてください。」
「……。」
潤んだ目で返事をして杏李は家に向けて全力で走り出した。
――――――――――――――
「なぁ白狐……いや今はタマだったか。お前の主はまだ帰ってこないのか?」
「お前の正体にも気づいていないようだし、鈍いところがあるな……まや香と同じだな。」
「さて、どうなっているかな……あの赤子は。」
「悪いがタマ。お前は
「にゃあ……。」
――――――――――――――――――
「はぁ……。」
もともと体力のない杏李は息をきらして、ようやく家にたどり着いた。
(さよ子……)
とのれんをあげて、自室に入ると知らない子供がそこにいた……。
「誰……?」
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