超能力克服作戦
寺野マモル
超能力克服作戦
俺、
しかし、その能力についてここに記すことはできない。理由は後述する。
「うわ、こいつ学校で小説書いてるぞ」
書いている途中だったノートブックを俺から奪った山崎が、これ見よがしに大きな声で言う。
俺は反射的に立ち上がった。山崎は大げさに驚いたふりをしながら、隣にいる溝内にノートを投げ渡した。
「東雲が怒ったー。こえー」
「怒ることはないじゃん、東雲。落ち着けって」
怒っていないわけではない。しかし、立ち上がった以上のことは何もできない。教室中にいる休み時間を持て余したやつらの注目を浴びている中で、ムキになっている姿を晒したくなかった。強引に取り返そうとしたところで、モヤシのように線の細い俺が、バスケ部でもトップクラスの実力と体格を持つこの二人に敵うはずもない。
「か、返してよ」
俺にできるのはせいぜい要望を伝えることだけだったが、溝内は嘲笑を浮かべながら俺のノートに目を通す。そしてすぐに、ぶっと吹き出した。
「おいこいつ、超能力持ってるらしいぞ。やべーよ、殺されちまう」
「ははは、人知を超えた力ってなんだよ。高校二年生にもなって中二病かよ」
山崎も横から内容を覗き見て一緒に笑う。
教室にいる連中からもささやくような笑い声がこだましている。憐みの目を向けてくるやつもいるが、それなら笑われたほうがマシだ。
俺は両手の拳をぎゅっと握りしめたまま、山崎と溝内が飽きるのを待つしかなかった。
きっとこいつらに俺をいじめているという意識はない。ただ教室の隅で珍しいことをしているやつをからかって、周りから笑いをとろうとしているだけだ。今年からこいつらと同じクラスになってから、度々そういうことはあった。やれ寝癖がやばいだの、やれ筆箱がダサいだのと、枚挙に暇がない。
いじるだけいじって、笑い飽きたら終わる。だから今回も、時間が解決してくれる。
そう思っていたときだった。
「返してあげなさいよ」
声の方に目を向けると、一人の女子生徒が溝内の横に立っていた。
「なんだよ
「怒っているわけじゃないわ。東雲君がかわいそうだと思っただけよ」
「なんだよ、めっちゃ東雲の肩持つじゃん。え、もしかして……」
山崎は口に手を当て、露骨ににやけ顔を見せた。
廣瀬は全く動じることなく、山崎をひと睨みした。山崎はばつが悪そうに目をそらす。
「はいはい、わかったよ」
溝内も興醒めしたようで、ノートを俺の机の上に置いた。それとほぼ同時に授業開始のチャイムが鳴る。
さっきまで笑ったり憐れんでいた連中も、蜘蛛の子を散らすように授業の準備を始めた。
俺は廣瀬に向かって無言でお辞儀した。本当は口に出してお礼を言いたかったが、唐突過ぎて声が出なかった。
廣瀬は微笑んでいた。
廣瀬のそんな表情、初めて見た。
「
俺の廣瀬のイメージは、そんな淡白な自己紹介だけだった。クラス替え後の初めてのホームルームで、他のやつらが趣味や部活の話をする中、廣瀬は名字の話だけして終わった。そのうえ美人で成績優秀ときたものだから、みんな一目置きつつも一歩距離を置いていた。俺もまた、気になってはいたけど、話をしたことはなかった。
そんな廣瀬だからこそ、俺を助けてくれたことはかなり意外だった。さすがにこれくらいで俺に気があるのかもと思いあがるほど単純じゃないが、案外優しいやつなのかもしれないとは思った。
その日の放課後、カバンに持って帰る分の教科書だけを入れて帰りの準備をしているところに、トントンと肩を叩かれた。
顔を上げると廣瀬がいた。怒ったら怖そうな、線の強い釣り目を若干細めている。さっき助けてくれた時のような微笑みを浮かべていた。
「東雲君。よかったら一緒に帰らない?」
そんな蠱惑的な誘いを断れるわけもなく、廣瀬の後をついていくようにして一緒に帰ることになった。周りの目は気になったが、わざわざ止めに来るものもいない。
校門を出てからも、廣瀬の横に並んでいいものかわからず、一歩後ろに下がって歩いていた。俺も廣瀬も電車通学なので、駅までの道のりは同じだ。
「東雲君、いつも私と同じ電車に乗ってるのよ。知ってた?」
改札を抜けながら、廣瀬はどっちのホームなんだろうとちょうど考えていたこともあり、驚きが露骨に顔に出た。
廣瀬は「やっぱり」と言って、また微笑んだ。
電車に乗っているときはいつもスマホをいじってるし、歩いているときも音楽を聞きながら俯いていることが多い。だから気が付かなかったのか。
思わず赤面して俯いた。そんな俺を廣瀬がどんな顔をして見ているのかはわからない。
駅のホームには人はまばらにしかいない。下校時刻ではあるものの、だいたいの生徒は部活動に励んでいるし、帰宅部の生徒も教室で歓談している。俺のように放課後になると同時に帰る方が珍しいのだ。
そういえば、廣瀬は部活とか入ってなかったっけと記憶を探っていたところに、
「私は部活じゃなくて、生徒会よ。毎日活動しているわけじゃないから、今日みたいに早く帰る日もあるの」
と言われたものだから、またもや目を見開いて驚いてしまった。
勘がいいというレベルを超えているような気がする。まるで心を読んでいるかのような。
そんな俺の思考すらも読み取ったかのように、廣瀬は小さくうなずいた。
廣瀬がホームの黄色い点字ブロックの前に立ったので、自然と俺もその横に並ぶ形になった。
「東雲君になら隠す必要ないと思って」
「な、なにを?」
「実は私も持ってるのよ、超能力。仲間ね」
ちょうど電車がホームに着いたから、風を切る音によって会話はいったんそこで途切れた。それでも、廣瀬の放った一言は、一言一句間違いなく俺の頭の中で響いていた。
筋トレや格闘技をしている人が、その気になれば自分が相手を殺せる力を持っているから、余裕を持って人と接することができる、なんて話をしているのを聞いたことがある。物騒なやつもいたものだと思いつつも、その考え方に納得している自分もいた。いつも人目を気にしてうまく意思表示ができない自分を脱却したいと思っていたからだ。
とはいえ、運動音痴に手足を生やしたような俺が筋トレや格闘技にやる気を持てるはずもなかった。そこで俺は、超能力にすがることにした。喧嘩が強くなくても筋力があれば自分に自信がつくというのならば、超能力が筋力の代わりになるのではと考えた。要は自分に自信がつけばなんでもいいという話なので、自分が超能力を持っていると思い込むことで、その気になれば相手を超能力で殺せるという心の余裕が生まれて、堂々と胸を張って生きていけるはず。
と思っていた矢先に、山崎と溝内にからかわれ、そこを廣瀬という女子に助けられるという醜態をさらすことになった。
「…………」
俺は今、電車内で廣瀬の横に座っている。香水なのかシャンプーなのかわからないが、甘い香りが時折鼻孔をくすぐる。
せめて車内が混雑していれば、隙間を埋めるようにしてなんの違和感もなく廣瀬の横に座れただろうが、残念ながらホームと同じく車内もガラガラだ。優先席に座っている老夫婦とドアの前で立っているスーツの男を除けば俺たち二人しかいない。
そんな男女二人が話すには格好の環境で、俺たちは五分ほど沈黙を続けていた。廣瀬が超能力を持っていると言ってから、なんの会話もない。
一応何度かさっき助けてもらったお礼を言おうと試みたのだが、自分の中のプライドというわがままな生き物が暴れて言うことを聞かない。ちんけなくせに声だけは大きいのだ。
あまり触れたくはなかったが、この沈黙に耐えられるほどのコミュニケーション能力を持ち合わせていないので、仕方なく超能力の件を掘り下げることにした。
「廣瀬は、どんな超能力を持ってるの?」
「私は、人の心を読んだり……とか?」
とかってなんだよ。俺に聞いてどうするんだ。
「ほら、物を宙に浮かせたり、時間を止めたりとか、とにかくすごいやつよ」
こちらが疑いの目を向けていたことに気付いたのか、取り繕うように廣瀬は続けた。それにしたって表現が稚拙だ。もっと賢い女だと思っていたのだが。
「これのおかげなの。私が、廣瀬那美でいられるのは」
廣瀬はそれ以上何も言わなかった。試しになにかやってみせてよと意地悪いことを言おうと思ったが、口は開かなかった。さっきまでの微笑みとは打って変わって、沈痛な表情をしていたから。
どうやら、やはり廣瀬は俺と同じく実際に超能力を持っているわけではないらしい。それはそれで、俺は廣瀬に親近感を覚えた。もしかしたら廣瀬も、そう思い込むことで自分を鼓舞してるんじゃないか、それによってさっきみたいに堂々と俺を助けることができたんじゃないかと思うと、これまでの高嶺の花のようなイメージは無くなっていた。
それから、俺は廣瀬とよく話すようになった。
教室内で堂々と話すことはなかったが、廣瀬が生徒会の活動のない日はほとんど毎回一緒に帰った。廣瀬の横に並んで歩くことや、電車内で廣瀬の横に座ることにも抵抗を覚えなくなっていた。廣瀬は生徒会でどんな活動をしているかや愛読している作家の名前を話してくれたし、俺からも好きな漫画や今流行っている動画の話をして、盛り上がった。
廣瀬との逢瀬を繰り返しているうちに、俺たちの関係に気付いたやつらもさすがに増え始めて、あまり目立ちたくなかった俺としては気分が良くなかった。しかし、そのことについて廣瀬にどう思っているか聞くと、
「別に気にしなくていいんじゃない?」と言って、いつもみたいに微笑んだ。
そうだ、俺と廣瀬は同じ超能力を持つ仲間なんだ。冷やかすやつらなんか無視してしまえばいい。お互いがお互いの良き理解者なのだから。
ある日、俺は思い切って自分の超能力のことを廣瀬に告白することにした。すなわち、俺は本当は超能力なんてものを持っていないということを。
ここまで親密になってきた中で、自分の中で廣瀬との距離をもっと近づかせたいという欲望が生まれ始めていた。俺が廣瀬に対して抱いている気持ちを、廣瀬も俺に対して抱いているんじゃないかとすら思っていた。
そうなると、今度は超能力の存在が邪魔に思えてきた。廣瀬と話すきっかけになった超能力だが、もしそれが無かったとしても俺と廣瀬の関係は揺るがないことを証明したかったのだ。
いつもの帰り道の電車内で、俺は唐突に切り出した。
「俺、本当は超能力なんて持ってないんだ」
そのあと消え入るような声で「今まで騙しててごめん」と付け足した。
思い切って言ったはいいものの、いざとなると廣瀬の顔を見るのが怖くて、思わず俯いて目をつぶってしまった。
けど、大丈夫のはずだ。初めて帰った時以来、廣瀬とは超能力に関する話はしなかった。おそらく廣瀬も察していたに違いない。だから、廣瀬はこう答えてくれるはずだ。知ってたよ、って―――
俺はおもむろに顔を上げて、廣瀬の顔を見た。
廣瀬は微笑んでいた。いつものように。
ちょうど電車同士がすれ違って、窓が揺れるような轟音で廣瀬の声はかき消された。それでも廣瀬の口の動きから、知ってたよの五文字が読み取れた。
電車の空を裂く音が止んでから、廣瀬は改めて言った。
「私も
「うわ、こいつ学校で小説書いてるぞ」
書いている途中だったノートブックを俺から奪った山崎が、これ見よがしに大きな声で言う。
「あっ」と、俺は思わず声に出して驚く。
まだ途中だったのに―――
仕方ないと小さくため息をついて、俺は立ち上がった。山崎からノートを投げ渡された溝内が口を開いた。
「東雲が怒ったー。こえー」
そして続けざまに、「怒ることはないじゃん、東雲。落ち着けって」と山崎が言った。
俺は二人の無様な姿に、笑いを必死に堪えていた。
完全に、小説の内容通りだ。
そう、これこそが俺の超能力だ。自分が書いた小説の内容を現実にすることができる。
夢のような能力ではあるが、条件はある。基本的に無から有を生み出すような非現実的なことはできない。コントロールできるのは現実にあるものを用いた展開だけだ。例えば、お金が欲しいと思ったとき、目の前に札束を出現させることはできないが、なにかしらの理由で親がお小遣いをくれるということはできる。
今回の内容は、いつも俺をからかってくるやつらを利用して、前から気になっていた廣瀬と恋仲になるというものだ。男子から敬遠されるほどの美人。これを自分のものにできたらと考えるだけ興奮する。
人の感情をどこまでコントロールできるかはまだわからないが、説得力のある展開を書ければなんとかなるはずだ。お互い超能力に依存するという共通点から親密になり、そこから超能力など関係なく好き合っていることに気付くのだ。
本来なら、俺と廣瀬が恋人になるまで小説を書き切ってからが良かった。書いている途中で奪われたという展開にしてしまったせいで、書き切る前に能力が発動してしまったようだ。
とはいえ、たいした問題じゃないだろう。このあと廣瀬が俺を助けて、ノートは再び俺の手元に戻ってくる。そのあとにまた続きを書けばいいだけなのだから。
俺は自分で書いた小説の通り、返して欲しいという要望を弱々しく伝えようとした。
しかし、眼前の光景に、口が開いたまま声が出せなかった。
目の前で、山崎と溝内が宙に浮いている。まるで無重力になったような状態で四肢を空中に投げ出したまま、凍り付いたように動かない。周りを見ると、教室中の人間が全員時が止まったかのように動いていない。
俺と、もう一人を除いては。
「ありがとう、東雲君」
廣瀬が俺の方ににじり寄ってくる。俺も動けるようだったが、驚きのあまり金縛りにあったように体を動かすことができない。
廣瀬にこんなセリフはない。そもそも、こんな非現実的な展開はなかった。
「非現実的なんてひどいわ。あなただって超能力を持っていたじゃない」
廣瀬はほくそ笑む。これまでとは違って、人を見下したような冷酷さが含まれていた。
心を、読まれている……?
「私に超能力を与えたのは東雲君。そして、東雲君の超能力を無くしてしまったのも、東雲君なのよ」
廣瀬は口が裂けたかの如く、ますます口角を上げる。
超能力を無くした……?
ああ、そうか。
書きかけだったから。
俺が超能力を持っていない設定のまま、廣瀬が超能力を持っていることを否定しない状態のまま、能力が発動してしまったから―――
「私はあなたに感謝してるのよ、東雲君。全能感っていうのかしら。今なら何でもできそうだわ」
廣瀬の恍惚とした表情は魅力的なものだったが、今の俺には絶望感しか呼び起こさなかった。
俺はもう、笑うしかなかった。
超能力について記すことはできないなんて、そりゃそうだ。
俺はもう、超能力を持っていないのだから。
超能力克服作戦 寺野マモル @teramaru1005
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます