第1話 コインの表9
母さんの手を見て、覚悟が決まった。
なけなしの3万を柳井たちに渡して、「ぼくはだめな人間だ」って思いながら生きていくより、殺されたほうがましだ。そう思った。
なにも知らない学生やサラリーマンたちがぼくの横を通り過ぎていく。街路樹の木漏れ日が眩しくて目を細めた。今日は雲ひとつない晴天だ。
家を出て、歩きながらスマホを見た。
実は昨日の晩、幼なじみのユウヒにラインでメッセージを打っていた。
『大事な相談があるんだけど、ちょっと話せないかな』
ぼくはユウヒに助けを求めようと思っていた。ユウヒはぼくが柳井たちにいじめられているのを一度目撃していたし、何かあったら言ってくれとも言っていた。ありがたかった。
先生が助けてくれないなら親友に頼るしかない、そう思っていた。
彼に助けを求めて、厄介ごとに巻き込んでしまうのは気がひけたけど、もう彼に頼るしか方法がなかった。切羽詰まっていた。
ラインを見ると『既読』になっていたが、返事はなかった。模擬試験が近いから忙しいのかもしれない。昼には返事があるだろう。
緩いカーブになった坂を登ると、校舎が見えた。校舎を見ると不思議な緊張感に襲われた。カラダが自然と硬くこわばるのを感じた。
「どーん!」
そう言いながら、ぼくの背中に自転車で突っこむ人がいた。驚いて振り返ると、あの角刈り口髭の変な男がいた。
「な、なんなんだよ」
ぼくがそう言うとその男は自転車を止めて、ぼくの首を右腕でキツくロックした。ぼくの顔が急速に赤くなった。
「言葉使いには気をつけたまえ。キミは1年だろ?私は3年だから。私の場合加えて2年留年してるから今20歳なわけ。大先輩なわけ。」
「す、すみません……ごめんなさい」
ぼくが息も絶え絶え謝ると、彼はロックを解除した。ぼくはゲホゲホと咳をした。彼は口髭を指先で引っ張りながらこう言った。
「3万持って来た?今日だろ?」
「あんたにカンケーないだろ」
ぼくがそう言うと、彼は再びぼくの首を右腕でロックした。ぼくの顔は再び赤く紅潮し始めた。
「私は後輩のタメ口には寛容じゃないわけ。それに『あんた』じゃなくて『キャップ』だから」
「すみません、ごめんなさい。気をつけます。許してください」
そう言うと、キャップは再びぼくのロックを解除し「わかればいい」と言った。
やっぱり変な奴だ。絡まれるのは柳井たちだけで十分なのに。
「もう一度聞く。3万持って来たのか?」
「だ、誰にも言わないでくださいよ。」
「うん」
「持って来てません」
キャップはニヤリと笑いながら、ぼくの肩をポンポンと叩いた。
「道理で、いい目をしてると思ったよ。吹っ切れたんだね」
「えっ……」
「ちなみに柳井は昔、人を殺めたことある奴だからね。それを柳井の偉いお父さんが『正当防衛』ってことで処理したんだよ。だから彼が言う『殺す』は本気だから、気をつけたまえ」
ぼくの顔から血の気が引いていくのを感じた。彼の話には信憑性があった。柳井のお父さんは地元では知らない人はいない有力者だ。この小さな町でいくつもの会社を経営しながら、政治家をしていた。
「バイバイキーン」
キャップはそれだけ話すと、再び自転車に乗って足早に去って行った。ぼくはしばらくその場で立ち尽くしていた。
ヤバい……マジで死んじゃう…。
今日は学校お休みして、お家に帰ろう。
ぼくはその場で回れ右をして、校舎とは反対側に向かって走り出した。
その時、ぼくの目の前に下松先生が立っていた。
「大野、どこ行くんだ?学校もう始まるぞ」
「あの、忘れ物…」
「なんの忘れ物だ?」
「えっ?いや、あの、数学の……」
下松先生は「下手な嘘をつくな」と言って、ぼくの右手首を乱暴に力強く握った。ぼくはその手を振り解こうとしたが、体育教師の握力には敵わなかった。必死に抵抗するぼくに下松先生は上から見下すようにこう言った。
「今日は柳井と大事な用があるんだろう?」
その言葉を聞いて、ぼくは全身から力が抜けていくのを感じた。
下松先生はぼくが柳井と会うことを知っていた。
なぜだ?
引きずられるようにして学校に入った。
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