第1話 コインの表4

ぼくは逃げるように教室を飛び出した。

下駄箱に行く手前の廊下で、後ろを振り返り、変な漢が付いてきていないかを確認し走るのをやめた。

柳井から恐ろしいめに遭わされたこと、変な男がロッカーから出てきたことなどで頭は混乱していた。

 

柳井からこれまでカツアゲされたり殴られたりすることはあったけど、今日みたいに命の危険を感じたのは初めてだった。以前は1万円差し出せば柳井たちは大喜びだったのに、要求される金額もエスカレートしていた。 


来週3万持って行かなきゃ、殺される!


そう考えると身震いした。

そしてふと手の中に握りしめていた名刺を見てみた。真っ白な名刺の真ん中にQRコードが記されているだけで、名前も何も書いていなかった。裏をめくってみても何も書いていない。

気味の悪い名刺だと感じて、手洗い場の下にあるゴミ箱にそれを捨てようとして、ゴミ箱に手を伸ばした時だった。


「ハル」


背中越しにぼくの名前を呼ぶ声がした。

大野ハルキ、それがぼくの名前だ。

友達のいないぼくの名前をそんなふうに呼んでくれるのは幼なじみのユウヒ以外にいなかった。


振り向くと、3メートル後ろにユウヒがいた。

その優しい笑顔と穏やかな声を聞いて、ざわついていた胸のうちがストンと落ち着くのを感じた。


「なんか久しぶりだね」


ユウヒは右エクボを作り、いつもと同じ顔で笑った。ユウヒとは学年は同じだけど、この生徒数の多い学校でクラスが違うから、会うことは少なくなっていた。


「それ、何?」


ユウヒはぼくが手に持っていた名刺を指差した。

ぼくは慌ててズボンのポケットにそれをねじ込み「なんでもない」と答えた。


靴箱で靴を履き替えて外に出ると、ランニングする部活動生がぼくらの前を横切った。


「今から塾?」


「そう。ほぼ毎日だからね、うんざりするよ」


ユウヒの両親は教育熱心で、ユウヒは小学生の頃から進学塾に行かされていた。


「僕も部活とかしてみたかったな。ハルみたいに頭よかったら、塾に行かなくて済んだのかもしれないけど」

 

ぼくはなんて返答したらいいかわからなくて、黙っていた。


「模試が近いでしょ?ハルは勉強してる?」


「ぜんぜん」


「他の生徒だったら『勉強してないって言いながら本当は猛勉強してるんだろ』って疑っちゃうんだけど、ハルの場合は本当にしてないからなぁ」


「なにそれ」


「いいよなぁ。勉強しなくてもいつも僕よりいい成績取っちゃうんだから」


ユウヒはいたずらっぽく笑顔で言った。


「ところで最近、柳井たちから嫌がらせとか受けてない?」


ユウヒからそう言われて、無意識に燃やされた前髪を触った。


「ぜんぜん、大丈夫」


ぼくは強がった。一度柳井たちからいじめられているのをユウヒに見られたことがあった。それ以来ユウヒは心配してくれていた。なんとなくユウヒには言えなかった。心配かけたくなかった。


「なんかあったら言ってよ。僕らは幼なじみなんだから」


「わかった」


ぼくにも味方がいる。ユウヒのそんな言葉だけでぼくは強くなれる気がした。


帰り道の歩道に夕陽が眩しく輝いていた。




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