第27話 5-4

 一回目の僕が去った直後に、僕は非常にもったいないことをしたと気付き、暗がりの中で歯がみした。

 一回目の僕に警告してやるべきだったのだ。あのまま帰ったら、着いた途端、良知の奴に襲われる流れが待っている。前もって言っておけば対処できるに違いないのに。同じ時空に二度目の介入をしたことがどれほど危険なのか予測が付かないため、一度目の僕が行動を変えないよう、邪魔しないでおこうと思った故に大人しく身を潜めていたのだけれども、果たして正しい選択だったのか疑問だ。

 とはいえ、失地回復の余地は充分残されている。僕もいずれ戻るのだ。次こそは良知を撃退できるように備えておけばよい。

 あるいは……この時代の良知、つまりは一年生の良知を見付けて制裁を加えておくという手もあるにはある。だけど、制限時間がある。三時間でこの時代のあいつを見付け出して、どうこうしようとしても不可能だろう。

 それよりもどうしてあいつは僕を襲ったんだ? 動機が分からない。三時間後には否応なしに戻らなければならないのだから、考える時間はたっぷりある。ただ、推測しようにも材料が少ないのが困る。今日まで接点がほとんどなかったし、公の場で良知の悪口を言ったことすらない。はっきり言って、お互いに関係のないところで人生を送ってきたし、これからも送っていくはずだったと思うんだが。

 百パーセント確実なロジックではないが……元々は良知は僕を襲撃することはなかったんだと思う。僕がSカードで過去に行った結果、何かが変わり、それが原因となって良知が僕を襲うに至ったんじゃないだろうか。この考えが正しいとすると、最もシンプルな動機が浮かび上がる。

 僕の成績がオール優になった。良知は自分以外にもオール優の学生がいるのが気に入らない。ならば排除してしまえ――こんな風に短絡的に考えたんじゃないか。まあ、唯一の可を優に変えたいと執着した僕が非難できる立場じゃないかもしれないが。

 想像が的を射ているのなら、元の状態に戻すのが最善の解決策になる。僕の答案を可レベルに戻せばいい。だが、これまでの努力――とは言いづらいので、これまでの作業と言い直そう――これまでの作業が無駄になるのはいかにも惜しい。成績は人格とは無関係であるが、良知がオール優になるぐらいなら、僕もオール優でありたい。あいつは僕に成績で並ばれるのが嫌なのだろう。トップは一人でいいという考えの持ち主に思えた。

 ……そうか。逆にしてしまえばいいんじゃないか?

 良知の奴がオール優でなくなれば、どうだろう? オール優になった僕に嫉妬混じりの殺意を抱く理由がなくなるはず。これであいつの暴走を止められるのならば、御の字だ。仮に無駄骨に終わったとしても、あと一回、Sカードの権利が残っている。他の対処法を試すまでだ。

 僕は善後策を含め、時間の許す限り様々な選択を想定していった。そして三時間が経過するぎりぎりまで、シミュレーションを繰り返した。


 充分にシミュレーションを重ねていたおかげだろう、僕は良知を余裕を持って迎撃できた。当然、死ぬような目にも遭わなかった。

 だが、余裕がありすぎたのかもしれない。僕は金属製の定規を相手の喉に突き立ててしまった。

 良知は昨日クリーニングから戻って来たばかりの掛け布団の上に倒れ、動かなくなり、そして死んだ。

 まったく……想定外にも程がある。

 定規を抜かずにおいたので返り血は浴びずに済んだし、そもそも出血は少なく、そのわずかな量の血も掛け布団に吸い取られた。僕にとっては不幸中の幸いである。遺体さえどうにかできれば、隠蔽は可能だろう。

 真っ先に浮かんだのは、遺体をここから運び出すこと。足はある。中古だがセダンを持っている。部屋は一階、駐車場は屋外だが目と鼻の先。時間が経って暗くなれば、人目もなくなるはず。

 良知の身体の下、背中側に腕を通して持ち上げてみる。軽い。このひょろっとした体格なら行けるとは思ったが、想像以上に軽く感じられた。

 これなら大丈夫だ。こいつの遺体と血が付いた掛け布団を運び出し、処分すればいい。


 血痕の残る掛け布団で遺体を巻いて、さらに真っ新のシーツで二重に梱包した。手袋をにマスク、帽子まで着用して一連の作業を行った。だから遺体や掛け布団、シーツには僕の痕跡は残っていない、と思う。これはもう信じるしかない。

 やつの命を奪った金属製の定規には、もちろん僕の指紋や皮脂が付いているに違いない。だから当然、引き抜いておく。掛け布団を使って血しぶきは防げた。

 部屋には他に、良知の靴跡がいくつか付けられていた。こいつは靴を脱がずに乱入してきたのだ。僕は丁寧にぞうきん掛けをして、湿った靴跡をきれいに拭き取った。それから掃除を始める。良知の髪の毛が落ちた可能性が高い。皮膚の欠片や割れた爪、ふけ、耳垢なんかも落ちたかもしれない。目に見える分だけでも取り去っておこう。ただし、電気掃除機と手持ちタイプの粘着式ローラーを駆使して、床上を隅から隅まできれいにした。

 捨て場所のあてはある。車でここから三十分ほどの河原だ。葦だか何だか知らないが背の高い草が今の季節でも豊富に生えていて、その中に隠せば人目に付きにくい。埋める必要まではあるまい。それでも車を停めてから、少々歩かねばいけない。軽いとは言っても、人ひとりを担いで運ぶのはなかなかの労働になろう。

 体力を付けておこうと早めの夕食を摂った。が、じきに腹が空いてきたのでまた食べた。どうやら二度のタイムトラベルによって過去で過ごした分、エネルギーを消費したらしい。

 そうこうする内に夜になった。

 そろそろだなと僕は決意を固め、様子を窺うためにカーテンをめくり、窓から外を見た。

「あっ」

 またもや、大きなことを忘れていた。短く声を上げたのは、驚きよりも、自分の間抜けぶりに呆れたためかもしれない。

 部屋の外の世界は一面、白く染まっていた。暗くてもそれはよく分かる。そしてもう雪は降っていない。焦りを覚えつつ、僕はネットの天気予報を見た。このあとは晴れに向かうそうだ、くそっ。

 頭の中で警報が鳴っている。雪に足跡を残すのはまずい気がする。今晩、良知が自宅に帰らなくたって、いきなり警察が動くはずないと思う。だが一度動き出したら、僕の部屋を訪ねてくるかもしれない。良知の奴がオール優の僕への敵対心を周囲に露わにしていたとしたら。あるいは公言はしてなくても日記か何かに付けていたとしたら。


 続く

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