第9話 2-5
今さら過去を変えて、短期留学に行ったことになったら、その後の人生が大きく変わるかもしれない。俺は現在の暮らしにそれなりに満足している。これを放棄してまで留学をしたいとは思わない。第一、戸茂田と疎遠になったとしたら、今日彼からSカードを入手するという出来事も、起こらないことになるかもしれない。そういうタイムパラドックス的な螺旋の迷路にはまるのは御免蒙る。
よって殺害は、高崎が短期留学から帰ってきて以降にしなければならない。
どちらを殺し、どちらに犯人の濡れ衣を着せるかは悩みどころだが、犯人役はアリバイが成立しづらい人間である方がいい。となると高崎が犯人だ。金森校長は昼夜関係なく人と会い、会議に出る等してスケジュールが詰まっているに違いない。一介の高校生に過ぎない高崎は、アリバイ証明が不可能な時間帯が金森よりは多いはずだ。
そうなってくると、学校でやるのが一番手っ取り早い。ただし、俺が高二から高三に掛けての何月何日何時に校長は確実に校長室で一人きりで仕事をしていて、なおかつ高崎にはアリバイがないことがはっきりしている日時なんて、覚えているはずがない。他の同級生に今から当たったとしたって、鮮明に記憶しているとは到底考えられない。
それでも高校時代の思い出を掘り起こして行く内に、行けそうな日がいくつかピックアップできた。一つは修学旅行の期間だ。校長も同行しており、宿泊先の深夜帯なら個室に一人きりだろう。そこへ今の俺が出現して殺害、高崎の仕業に見せ掛ける偽装工作をして去る。……心配なのは、俺達生徒を見張るために巡回していた教師がいた点だ。しかと覚えていないが、生徒が深夜、絶対に出歩けない監視態勢を敷かれていたとしたら、いくら高崎に罪を擦り付けてもあいつの犯行と断定するには至らないかもしれない。
もっと成功の可能性が高そうなのは体育祭だ。体育祭のような大きな行事のときは、校長も常に誰かと一緒にいるなんてことはなく、たまに校長室に引っ込んでいたと記憶している。特に、俺が高三時の体育祭では校長は障害物リレーに出場し、へとへとになったとかで一時間ほど校長室に籠もっていた。学校医が体調を診ただろうけれど、ずっと付き添っていたはずはない。学校医には生徒の怪我などにも対応する任務があるからだ。
二つを比較検討し、修学旅行中を狙うよりは、体育祭の方がよさそうだと再認識する。旅先で事件発生となると、ことの流れがどう転ぶか予想しづらいのもあるし、修学旅行は色々と思い出があって、些末な事柄に関する記憶が非常にぼやけている。これに対し体育祭はまだ鮮明な記憶がたくさんあり、校長が出場した障害物レースは午後の部最初の種目だったのすら覚えている。そこから推し量れば、校長が校長室に一人きりでいたであろう時間帯は、おおよそ見当が付く。三時間の幅があればまず大丈夫だ。
残る大きな問題は、高崎のアリバイが不成立になるようにしなければいけないことだ。仮に午後一時に校長殺害を成し遂げたとして、遺体が発見されるのは恐らく午後二時前後。それまでの間に高崎が一人きりになる時間が五分程度あれば充分。再び体育祭当日の記憶を手繰ると、俺達三年生男子はしばらく出場種目がなく、全員が応援席にいた。だが本当に全員がいたかどうかなんて、誰も確かな証言はできまい。
よし、なかなかいい感じだ。殺害方法の決定等、もっと細部を詰めてから実行に移す。そう心に誓った。
~ ~ ~
うまく行った、と思う……いや、本当にうまく行ったのだろうか?
事前には、自分では何の問題もなく、震え一つ見せずに始末できると信じていたのに。いざ実行してみると、図太いはずの神経が打たれた麺のように細くなったようだ。震えが来て、その震えを止めるのに力を込めるとかえって震えが強まった。最終的に、手で手を押さえ付けて、どうにかこうにか震えを鎮める。自分の場合、やる前よりも、やったあとの方が震えは大きくなった。
過去に飛んだあとの振る舞い・行為は、現在に戻って来ればその年月分、記憶が薄れているものと思っていたんだが、実際には鮮明に覚えているんだよな。何故だか誤解していた。俺という時間旅行者を基準にすれば、それが当然なのに。
ともかく、当初計画していた通り、金森校長を校長室で絞殺し、高崎の上履きの片方を現場に遺した上で立ち去った。できることなら凶器の紐に高崎の汗を染み込ませるぐらいはしたかったので、私服姿のまま生徒の家族のふりをして、しばらくグランド周辺をぶらつき、あいつの姿を探したが徒労に終わった。さすがにそこまでうまく事は運ばないか。まあ想定内だと思うことにする。完全に予定通りに行ったなら、こんなに震えなかったのかもしれないが。
さあ、肝心なのはこのあとだ。どう未来が変わったのか、俺はまだ確認していない。現在、午前三時過ぎ。どうしてこんな真夜中に時空旅行に発ち、戻るようにしたのか、理由は単純明快。誰かが突然訪ねてくるなどといった不測の事態を考慮して、なるべくその恐れの低い時間帯を選んだんだ。
そしてこの二度目のSカードの旅でも、確かに出発直後の時刻に戻れたようだ。自宅アパートの自室に帰還したのも間違いない。部屋の状況は変わっていないみたいだし、自分自身も五体満足、健康そのものだ。少なくとも当時の俺が校長殺害犯として捕まることだけはなかったと言える。
高崎がどうなったのか、高校時代の友達に電話か何かで聞いてみようかとも考えたが、不自然な行動はまずい。事件が未解決で今も捜査が続いている可能性だってあるかもしれないと、頭の片隅で意識しておかねば。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます