第7話 2-3
「お、ご名答だぜ。察しがよいのは話が早くて助かるねえ。どうする? 今言ったのでいいのなら、早速やってみるけども?」
「そうだね……財布を持って行かれるのは何となく嫌だから、運転免許証にしてくれないかな。現状、使っていないも同然だから」
「了解」
俺は薄笑いを浮かべていたと思う。何でこんなノリノリになって、与太話を全うしてるんだろうって、自分でも不思議だ。
「免許証は財布の中に入ってるんだよな?」
「ああ。ついでに、財布の置き場所も教えとこう。眠りを妨げられるのは嫌だからね。昨日は確か、ジャケットのポケットから出して、ライティングデスクの左端に置いていたと思う。うちに来たことあるから分かるだろ?」
「ああ。では行ってみるとするかな。まずはサインをしないと」
筆記用具入れを鞄から取り出し、ボールペンを使うかシャープペンシルにするかでちょっと迷う。使用者の変更は認められないとなっているが、もしも鉛筆で署名してSカードを利用した後、名前を消しゴムで消して別の名前に書き換えたらどうなるんだろう。ま、そんな心配はこれが本物であると判明してからにすべきだが。
結局、ルールは守るべきだなと、ボールペンを用いて名前を書き込んだ。
「時間は何時がいい? 確実に眠っている時間帯が分かれば教えてくれ」
「午前三時前後かな。昨晩は途中で目が覚めることなく、朝を迎えたと思うけど」
「場所はどうしようか。あの机がある部屋で寝てるんじゃないよな?」
「その隣の居間に布団を敷いている」
「じゃあいきなり勉強部屋に出現しても大丈夫って訳だ」
俺は戸茂田の住居にある勉強部屋を思い出し、脳裏に明確に浮かべようと努力した。部屋の光景に加え、時計をイメージし、その時刻が午前三時になるようにする。
「思い描けたかい? 曖昧なら、写真を見せようか。携帯端末に一枚ぐらい保存してあるだろうから」
「いや、問題ない、と思う」
俺はこの“実験”をやってしまうのが惜しく感じ始めていた。夢が壊れるのは忍びない。戸茂田の親父を殺害した犯人が嘘つきだとはっきりするのも、戸茂田の精神状態にさざ波以上の影響を及ぼすに違いない。
一流のマジシャンかスリ師なら、居間この場で、戸茂田の懐の財布から運転免許証だけを抜き取る芸当も可能なんだろうか。
「どうしたんだい?」
戸茂田が邪気のない両眼を向けてきた。「怖くなったとか?」なんて言ってからかってくる。
「怖くなんかないさ。準備万端、あとはスキップと唱えるだけで」
そう言った刹那、俺の手からスキップがはらりと床に落ちた。
* *
興奮を隠し切れていなかったかもしれない。“滞在先”で一時間ほど過ごし、落ち着け、冷静になれと自分に言い聞かせたのだが、それでもなお興奮で鼻息が荒くなっている気がする。
まさか本物だったとは……。
それが最初の感想だ。Sカードで昨日の晩にスキップできた俺は、よくぞその場で叫び出さなかったものだと自分で自分を褒めてやりたい。寝ている戸茂田に目を覚まされたら、台無しになるところだった。
それから昼下がりの学生食堂に戻ったときも、ちょっとした感動を覚えたが、やはり表情や態度に出ないよう努力した。
「どうだい?」
目の前にいる戸茂田が聞いてきた。続いて内ポケットに手を入れ、財布を取り出すと中から運転免許証を抜き出し、俺の方に向ける。
「おや、免許証はちゃんとあったよ」
「――だろうな」
俺は答えつつ、苦笑いを作った。
「昨日の夜に行けた感覚はまるでないのだから。当然、その免許を持ってくることはできなかった」
そう、俺は戸茂田に嘘をついたのだ。
今後、誰にも知られることなくSカードを使用するために。
「そっか。残念だ」
俺につられたように戸茂田も苦笑を浮かべる。いや、苦笑と言うよりも気抜けした、脱力感満載の笑みだ。
「けど、偽物でよかったと思えるよ。過去に遡って改変できる道具なんて手にしたら、僕はやっぱり父に生きていて欲しいから、そのための行動を起こしていた可能性が高い」
「……殺人犯を殺さずに事件を回避できるんだったら、別にかまわないと思うが」
Sカードが本物だったらという“仮定に基づく”話を続けるつもりはなかったのだが、つい、言ってしまった。戸茂田がまだ囚われているようだったからというのが大きい。
「そういう考え方もあるなあ」
「そろそろ出るか」
いささか強引に話題を断ち切って、俺は椅子から腰を浮かせた。Sカードを返してくれるか?と言い出されると面倒になる。こちらから、「ユニークなジョークグッズだ。俺がもらっておいていいか」とでも申し出るのが賢明か? しかしもし「いや、だめ。返してくれ」と言われたら、返さない訳に行かないだろう。流れに任せ、なるようになれ、だ。
「そうだね。このあとの講義で、調べ物をしておくつもりがあったんだ。すっかり忘れていた」
ありがたいことに戸茂田の方からそんな話を言い出してくれた。自然な形で会話を終えられるのなら、何でも大歓迎だ。
「そんじゃ、また明日、かな。今日このあとの授業、被ってなかったはずだし」
「ああ。そうするとしよう」
俺は図書館へ足を向けた戸茂田を、彼の姿が視認できなくなるまで見送った。それからおもむろにきびすを返すと、いそいそと最寄り駅まで早足になった。
続く
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