もったいないおばけ
楠秋生
後ろから声をかけてきたのは?
稲刈り間近の重く垂れた穂が、波のように揺れている。
「じゃ、また明日なー」
集団下校の最後の友達と別れて一人になった俺は、黄金の海原を突っ切る畦道に入った。道路を通るよりも近道なんだ。燃えているような赤いヒガンバナを1本引っこ抜くと、ぶらんぶらんと振り回し、口笛を吹きながら歩く。
1年生の初めの頃はこの一人ぼっちの道のりが寂しかったけど、まっすぐ歩かなくても誰も文句を言わない自由に慣れると、楽しい時間に変わった。そこいらを飛び回る赤トンボと同じように、束縛されないのん気な帰り道。4年になった今は帰りが少々遅くたって母さんも心配しないし、寄り道しまくりだ。
「あ! ヘビだ!」
数メートル先にシマヘビが畦を横断しようとしているのを見つけて駆け出す。背中できちんと閉めていないランドセルの金具がカタカタと鳴った。
あとちょっとのところで逃げられる。さすがに穂が実った田んぼには入れない。
「ちぇっ」
「ちょっと!」
腹立ち紛れにヒガンバナで地面を叩くと、背後からとがめ声があがった。聞き覚えのないかわいらしい声だ。この辺に小さい子なんていないけど、どこの子だろう?
「あれ?」
確かに聞こえたのに、振り返っても誰もいない。
「どこ見てんのよ。下よ、下!」
「え!? お前、何?」
「何って失礼ね。あんたのリコーダーでしょ。自分の持ち物にもっと愛着を持ちなさいよ」
足元で手足の生えたリコーダーが、細い両腕を腰にあてて文句を言ってくる。俺はしゃがんでまじまじとそいつを見た。あちこちに傷があってどことなく汚れている。確かに俺のだ。
「いや、俺のリコーダーってのはわかるけど」
「じゃあ何が問題なのよ」
「何で手や足があっておしゃべりできるんだよ」
「もったいないおばけの本、読んだでしょ?」
その本は、1ヶ月ほど前に母さんが知り合いからもらってきたものだ。
「あんたはちっとも物を大事にしないから、これでも読んで物を大切にする心を持ってほしいわ」
そう言って渡してきたけど、興味がなかったから読まないまま、ぽいっとそこいらに放り投げていた。そしたら、毎日毎日俺の机に置くんだ。何度退けても学校から帰るとまた置いてある。読んで返したらもう置かないかと思って、1週間目に読んでやった。
物を大切にしないと、もったいないおばけがやって来て、失くした持ち物に命を吹きこんで
もう読んだと言ったのに、それでも母さんは毎日机に置く。
「物を大切にできるまで何回も読みなさいよ」
だってさ。けっ。こんなの何回読んだって変わんねーよ。大切にしないとってのはわかってるんだから。わかってるけど、いつの間にか勝手に物がどっかにいっちゃうんだ。
そのうち、机の上に本があっても退ける気にもならなくなった俺は、無視してその上で絵を描いたり、工作したりするようになった。ノートの下になろうが、作品の下になろうが、毎日懲りずに一番目につくところに置いてきたけど、無視してた。
「読んだんでしょ!?」
リコーダーがもう一度たたみかけてくる。
「お、おう、読んだよ」
「それなら、あたしが何でここにいるかわかるよね?」
読んでたらわかる?
「もしかしてリコーダーの付喪神?」
「仮初めの付喪神、
疑わしそうな目でねめつけてくる。俺の膝下くらいしかないチビなのに、かなり態度がでかい。
「それよりあんた今、私を落っことしてそのまま行こうとしたでしょ」
「落としたっけ?」
「落としたの! 大体ね、錠前をちゃんと閉めてなかったら、
プリプリ怒った声でまくし立てる。
「あたしが出てきたからには、もう失くしものなんてさせないからね! さぁ、さっさと帰って、失くしたもの探すわよ!」
「失くしたものって?」
「あんた、本当はちゃんと読んでないんでしょう。後ろを見てごらんなさいよ」
うながされるまま振り返った俺は、思わず叫んでしまった。
「うわ、なんだこりゃ!」
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