その4
『出来てるかね?』
荒川の河川敷にある彼の”小屋”は、前より幾分広くなったような感じがするが、それでも少し立ち上がろうとすると、天井に頭がぶつかってしまう。
『ん、』彼は目だけパソコンのモニターに向け、キーボードの操作を止めず、顎だけをしゃくって、傍らの紙袋を指した。
中を開けてみると、USBメモリーが一つと、一枚の紙きれが入っていた。請求書である。
俺は代わりにポケットから、ゴムバンドで丸めて縛った福澤先生を彼の横に放り出す。
彼は手を伸ばしてそいつを掴むと、テーブルの下にあった頑丈そうな手提げ金庫を出して開け、無造作に中へ放り込んだ。
『難しかったかね?』
シナモンスティックを咥え、部屋の中を見回しながら俺が言うと、相変わらずモニターから目を離さずに、
『なんてことはない。前にもいったろ?俺にとってネットの世界を覗きまわるのは、障子に穴を開けるより簡単だってな』
そう、彼の名は毎度おなじみ”不可能を可能にする天才ハッカー”、馬さんである。
年齢不詳、前歴不詳、本名その他、何もかも不詳という謎の人物、ここ荒川に小屋を建て、パソコンをいじって情報を集め、それを売って暮らしている。
『それにしてもあんた、ネット位少しはやってみたらどうなんだね?今日び小学生のガキだって、この程度の事はやらかすぜ』
馬さんはほんのちょっとの間、顔をこっちに向けて、呆れたような声で言った。
『生憎だが、俺はネットって奴はどうも苦手でね。未だにパソコンのいじり方すら分からん。』
『スマホは持ってるんだろう?』
『それだってマニュアルと首っ引きでやっと覚えかけたところだ。その点に関しちゃ、小学生に負ける』
『・・・・まあいい。そんなあんたのお陰で、俺がこうして食えるんだからな』
馬さんはそう言って、鼻をこすり、またパソコンに向かった。
さあ、これで大丈夫だ。
あとは浦島太郎の行方を突き止めるのみだな。
探し物というのは、その気になって見つけようと思えば、意外と早く見つかるものだ。
その家は東中野の、少々入り組んだ場所にあった。鉄筋二階建ての、まあどこにでもあるような普通の住宅だった。
築20年と言ったところだろう。
さほど目立たない、平凡な建物である。
門扉には、大理石の表札があり、そこには、
『川本』と筆太の文字で彫られてあった。
インターフォンを押す。
応答がない。
もう一度押す。
”はい、どちら様ですか?”
スピーカー越しに声が返って来た。
『川本さん・・・・川本博さんのお宅ですね』
俺はそう言ってホルダーを出して広げ、モニターカメラと思しき丸い穴に向かって、
『私立探偵の
しばらく間があった。
凡そ2~3分ほどだったろうか。
玄関のドアが開き、背の低い、50代半ばと思われる地味な服装に地味な顔立ちの女性が姿を現した。
『川本博は・・・・私の息子でございますが、どんな御用件でございましょう?』
彼女は低い、おどおどした調子で、俺に問うた。
『それは息子さんにお会いして直接伺います。ご在宅ではないんですか?』
『おりますが・・・・今はちょっと無理なんです』
『無理とは、どういう意味ですか?』
『どうしても無理なのです。折角でございますが、お引き取り下さいませ』
すると、その時だ。
建物の奥、いや、正確には二階である・・・・から、何か叫ぶ怒号のような声が、外にいる俺の耳にもはっきり届いた。
『あれは?』俺が訊ねる。
『何でもございません。兎に角お引き取り下さい』
やむを得んな。俺は、
『ではまた来ます』と、頭だけ下げ、川本家を後にした。
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