最強暗殺者X

kankisis

最強暗殺者X

 この女――ソファーで眠る標的に気づかれてはいけない。持ち前の勘で、足下の障害物をまたぐ。ティッシュ箱だろうが、それが何かは俺には関係ない。音を立てないよう近づきつつ、腕時計を見る。部屋の電気をつけないで済むために、愛用している腕時計は文字盤に蛍光塗料が塗られている。

 午前2時15分。

 指定通りの時間ぴったりだ。完璧な仕事は俺の売り。クライアントもそれを期待して俺に仕事を依頼する。

 これから俺が始末する標的は、彼女自身に待ち受ける運命を知りもしない。一方で俺は彼女の歩んできた人生を一つまみも知らない。彼女の人生を知るのではなく、彼女の人生を奪うのが俺の仕事だ。

 懐から針を取り出す。先端に触れないよう細心の注意を払った。刺したところで血も出ない極細の針。だが、その先端には特殊な神経毒が塗ってある。この毒素は体内に取り込まれると、ものの数秒で標的を心停止させる。その後、毒素は決して死体から検出されず、標的は自然な突然死として扱われるのだ。

 針を標的の首元に突き刺した。痛みを感じないツボだから、彼女は眠りについたまま、あの世へ直行する。ゆっくり針を抜いて、使用済み針用の半透明のケースに収めた。大量の針が入っているこのケースには、俺が奪ってきた命の数々がしまわれているといっても過言ではない。大切なコレクションだ。

 念のため、確認をする。確実に仕留められたかどうか、チェックは欠かさない。

 女の鼻に手をかざすと、標的の息の根はすでに止まっている。

 おかしな妨害に悩まされたが――今回も、俺の勝ちだ。


   ***


 暗殺請負人。闇の世界で暗躍する彼らは、正体を隠して日々を過ごしている。山瀬リョウ、またの名をハンター・タランチュラ。彼の場合、日常を送る仮の姿はタクシー運転手だった。彼は月に一度、暗殺を依頼してくる特別な顧客のために、とある裏通りでタクシーを走らせる。

 今回の依頼人は、スーツ姿の40代男性。彼は道端に立って、山瀬リョウが運転手を務めるタクシーが来るのを待った。

 午後2時ちょうどに、タクシーはやって来た。『回送』と表示されているが、スーツの男は気にせず片方の手を上げた。

 リョウはタクシーを止め、依頼人の男を乗せた。行き先を聞かずにタクシーは走り始める。

「……」

 黙って運転するリョウに依頼人は気圧されて、依頼人までもが声を出さず口を閉じていた。暗殺を依頼するのは、誰にとっても緊張するものだ。静かな車内で、振動に二人は身を揺らしている。

「……料金はお持ちですか」

 赤信号で止まっているとき、リョウは待ちかねて依頼人に尋ねた。運賃ではない。暗殺の依頼料金についてだ。

 スーツ姿の依頼人は思い出したように鞄を開き、リョウに見せた。

「西川さんの紹介で」

 鞄の中身は札束が詰まったビニール袋だ。受け取ると、リョウは助手席の収納スペースにしまい込んだ。

「どなたを消しましょう」

「日時の指定ができるとか」

「標的が眠っている時間帯に限り、可能です」

 リョウは、ハンドルを握りながら前方をまっすぐ見つめている。

「良かった。それでは、この人を」

 依頼人は二行で書かれたメモと標的の顔写真を渡した。ざっと目を通して、リョウは質問を投げる。

「初めての依頼ですが、覚悟のほどはいかがですか。実際に手を下すのは私ですが、あなたが他者の命を奪うことに変わりはありません。今なら引き返すことが可能ですよ」

「ありがとう。心配は無用です」

「わかりました。この依頼、ハンター・タランチュラが引き受けましょう」

 ほっと安心した依頼人を降ろして、タクシーは交差点を走り去った。



 『5月25日 午前2時15分 渋谷〇〇アパート2階203号室

  女性の一人暮らし 部屋の中で、方法問わず』


 暗殺者の住処で焼かれて灰になったメモには、こう書かれていた。

 一週間の準備期間で何ができるかを、椅子でくつろぎつつリョウは考えていた。

標的を殺す得物は毒針と決まっている。それがハンター・タランチュラの名の由来だった。指定にあるように、ターゲットが眠るアパートでの仕事になる。侵入した痕跡は絶対に残してはならない。

 実行一週間前の依頼とは腕が試されているようだと、彼は思った。いくらベテランの山瀬リョウといえど、下準備をする余裕がなかった。普通はもっと、数か月かけて確実に仕留められるよう準備を行う。

 受けた以上は全力でやり切る。それがリョウの、ハンター・タランチュラとしての矜持だった。


 彼がまず行うのは、現場の下見。事前に周辺の地図をよく見て、下見は一度きりで済ませる。誰にもタクシー運転手山瀬リョウとわからないレベルの変装をして、アパートへ向かう。電車の最寄り駅から徒歩だ。経路を把握するのには、自身の足で歩くのが一番よい方法だった。

 リョウは駅を出て、脳内に叩き込んだ地図に従い道を進んだ。目的のアパートは繁華街からやや離れた、寂れた路地にあった。いくつか角を曲がり、住宅が立ち並ぶ中に、リョウは肩身が狭そうにして建っている一軒のアパートを発見した。二階建ての、築何十年かはある古いアパートだった。

 監視カメラはアパートの入口に一つ。これは裏手に回れば、本番で映り込まずに済むとリョウは判断した。203号室の位置を確かめて、頭の中で侵入手順を練りつつ、自然な足取りで歩調を緩めずに立ち去る。

 本番において、特別に苦労をする事はないだろう。リョウはアパートの横を通り過ぎて、坂道を下った。

 梅雨入り前の暑さに辟易としつつ、冷えたスポーツドリンクを買おうとしてリョウは自販機の前で立ち止まった。小銭を2枚入れて、点灯したボタンを押す。取出し口に落ちたペットボトルを手に取り、釣り銭を得ようとレバーを下げた。しかし、あるはずの釣り銭が出てこない。指を入れて軽く探っても、硬貨の冷たい感触は感じられなかった。リョウは諦めて、手を引っ込めた。

 縁起が悪い。

 ペットボトルの蓋を外し、べたつく甘みを味わいつつ、渇いた喉を潤した。たったの数十円じゃないか。そして、いくら縁起が悪くても仕事内容は変わるものではない。蓋をはめて、釣り銭が出てこなかった事を忘れてしまおうと、リョウは再び歩き出す。


 その日、何事もなく住処に戻れたわけでは無かった。

 駅に戻る途中で、とある雑居ビルの下を通りがかった。天性の勘が働いて、2、3歩だけ身体を横にずらす。すると、まっすぐに歩いていたならば頭頂部に直撃していただろうタイミングで、リョウの頭上から鉢植えが落下してきた。

 とっさに見上げると、雑居ビルの最も高い階の窓が開いていて、正体不明の男が乗り出していた身を慌てて引っ込める。

 リョウはその人物を見て、同業者と判断した。ただし、ほとんど素人に近い。

 プロの勘を舐めてもらっては困る。

 素早くビルの裏側に回り、非常階段の下で身を隠す。少しして、大慌てで大きな音を立てながら男が駆け下りてくると、山瀬リョウは彼の前に立ちふさがるように飛び出した。

 男は驚いて、ビルの壁際にへたり込んだ。

「あんた、俺を殺そうとしてるだろ……」

 リョウを前にしてひどく怯えている。

「同業者だろ、見逃してくれよ」

 命乞いする男を冷たく見下ろしながら、リョウは毒針を取り出す。

「お前、みっともないぞ」

 同業者殺しはタブーであった。ただし、向こうから仕掛けてきた場合は違う。この男は先にリョウを殺そうとして、失敗した。文句を言うべきは本人の仕事の腕に対してだ。彼は毒針を見て、歯をがちがち鳴らして何も言えなくなってしまっていた。やめてくれと言わんばかりに手の平をリョウに向けて、目を必死にそらしている。

 話を聞くつもりは無かった。これから殺す相手の過去など聞いても仕方がない。リョウの仕事は毒針で相手の命を奪う事だけだ。山瀬リョウは、静かに針を男の手の平に突き刺した。

 死体はそのままにして、リョウはその場を立ち去った。男が植木鉢を落とした雑居ビルの最上階は空き部屋になっていて、他に協力者がいる様子もなく、死んだ男以外に誰かがいた痕跡は存在しなかった。死体はしばらくして、別の誰かが発見する事だろう。


   ***


 下見をした日以降も、縁起の悪い出来事が山瀬リョウの周辺で立て続けに起こった。帰りの電車が5分間遅れたり、犬のフンを危うく踏みかけたり。そして必ず、そういった出来事が発生したあとに、同業者がリョウを見つけて襲い掛かってくるのだ。

 もちろん、ベテラン暗殺者であるリョウはことごとく襲撃を退けた。しかし、いくらなんでもこの状況がおかしいと気づいたリョウは、彼を今回の依頼人に紹介した西川に便りを出そうかと迷い始めた。ただ、数日して襲撃は沈静化し、再びリョウの周囲は静かになった。それならばいいと、リョウは何もしない事に決めた。

 ある日の昼間、彼がタクシーを街中で走らせていると、とある乗客がこのような事を言ってきた。

「山瀬さん。どうも最近、あなたの同業者を消して回っている者がいるらしいんですよ」

 この乗客は、以前に一度だけ、暗殺をリョウに依頼した事のある人物だった。暗殺を成功させて以来、リョウを気に入った彼は定期的にリョウの運転するタクシーを利用していた。

 一体どういう事かと聞く。

「それがね、消えたあなたの同業者ってのが、みな同一のターゲットを消そうとしていたという噂がありまして。ことごとく暗殺請負人を撃退する凄腕がいるらしい。その謎の人物Xがターゲットを護衛しているのか、はたまた謎の人物X自体がターゲットなのか。それは誰も知らないのです。あくまでも噂ですが、一応恩人であるあなたの耳に入れておきたかったというわけです」

 運賃を支払って、乗客はタクシーを降りた。

「山瀬さん。お気をつけて」

 ドアを閉めて、リョウはタクシーを発進させた。

 凄腕の人物Xは、もしかすると俺だろうか。リョウは思った。ここ数日の襲撃は目に余るものがあった。本当に俺が標的にされていたのだとしたならば、それを撃退しきってみせた俺こそが謎の人物Xだ。

 幸い、依頼された当日になるまで、支障となる出来事はそれから一度も無かった。



 0時を回って、日付は5月25日になった。アパートの女性暗殺の当日だ。夜遅くまで映画館で時間を潰した後、リョウは24時間営業のファストフード店で本を読みながら時が来るのを待った。映画はヒーローと暗殺者が派手に戦うアクション物で、彼はこんなものは実際にあり得ないと思いながら映画を観ていた。暗殺者としての現実を知っているリョウにとって、あまりに馬鹿げた内容だった。

 時間を見て、ファストフード店を出る。下見をした時とはまた違った変装で、目的のアパートへ向かった。頭の中で実行手順をおさらいしながら夜道を歩く。パトロール中の警官とすれ違っても、リョウは平然としていた。職務質問をされない100パーセントの自信があった。そして、今度も警官がリョウを呼び止める事はなかった。

 アパートが見える曲がり角の手前で、リョウは立ち止まった。これまで感じたことのない、とても嫌な予感が彼を支配していた。それが何かわかる前に、上着を脱いで、前方の角に向けて広げた上着を高く掲げた。

 空を切る音がして、上着に穴が開いた。銃による狙撃だ。リョウはとっさに上着を放り投げて、懐から金属の筒を取り出し、唇に当てた。弾道の計算は一瞬で済ませてある。曲がり角に身をさらし、息を強く吹いた。2発目の銃弾が頬をかすめる。

 勝負はリョウの勝ちだった。彼が吹き矢の要領で飛ばした毒針は相手に命中した。リョウを狙撃した相手は、アパートより一つ奥側にある家屋の塀の上に狙撃銃を構え、寝そべったまま息絶えている。彼はプロフェッショナルだった。なぜなら、全てが監視カメラの死角で事が済むように位置取りされていたからだ。

 リョウは落ちている銃弾を拾い、狙撃手の遺体からは銃を取り上げた。遺体は見つかりにくいところに一旦隠し、本来の仕事を終えた後で表に転がしておく。まずは刺さっている毒針を抜き取って、使用済みケースにしまった。ケースの中の毒針はこの一週間でかなりの量が増えた。あと一本、これから増える予定だ。

 計画通りにアパートの裏手へ回り、203号室の窓へよじ登った。電気は消えていて、部屋の中は暗くなっている。部屋に気配はただ一人、眠る女だけ。リョウは部屋に侵入し、彼女に針を突き刺した。

 俺の勝ちだ。リョウは達成感を胸中で味わいつつ、窓から外に出ようとした。そして、なぜか腐臭が、その時になってリョウの鼻をついた。


   ***


 ――俺の勝ちだ。

 心の声が聞こえる。ずいぶんとうるさい男だと思いつつ、私は部屋の隅でどうやってこいつを始末しようか考えた。なぜかこの毒グモ気取りの男は悪運が強い。部屋に入って来られるのは想定外だ。その前に殺しているはずだった。

 男は私の腐った死体の鼻先に手をかざしている。こいつが私を殺したわけではないのに、勝手に達成感を覚えてもらっては癪に障る。

 最初に私を殺した人物はとっくに亡くなっている。数年前に理由もわからず暗殺の標的にされて死んだ私は怨霊となって、この部屋から離れられずにいた。最初の暗殺者は私の部屋から出るときに二階から落下死した。それから誰もこの部屋には住もうとしない。なぜか、まだ私が生きていて、部屋に住んでいる事になっているらしかった。本当は腐っている私の肉体も、なぜか誰にも気づかれていない。

 それから少しして、次々に暗殺者が私を殺しにやって来るようになった。最初は、暗殺者に依頼する事のできる人物が近くを通りがかるのを待って、私の暗殺を依頼させるよう呪いをかけて誘導した。次第に、名の知れた暗殺者がこのアパート周辺でよく死ぬ事に警察関係者が気づき始め、暗殺者の存在を良く思っていなかった一部上層部が私を利用するようになった。私はすでに死んでいるので、暗殺者がどうなっても犯罪にはならないらしい。私は暗殺者たちが苦しんで死ねばいいと思っていたから、それを受け入れた。彼らはアパートに住む私を殺すよう暗殺者に依頼する。そして私に近づいた暗殺者は、次々と呪いにより事故死していった。私は、一部で謎の人物Xと呼ばれている。

 毒グモ気取りの山瀬リョウという男は例外だった。部屋に入れるまで、あまりの運の良さに彼を死なせる事ができなかった。彼と同時期に私の暗殺を計画していた腕利きの暗殺者たちが、本当は私の怨念による不運のはずが、山瀬リョウに狙われているものと錯覚しだすほどだった。

 その結果、彼らは殺しあって、山瀬リョウ一人が今ここにいるわけだけど……私は台所に放置されている錆びた包丁を静かに浮遊させて、窓へ向いて背中を見せる彼へと誘導した。

 彼は振り返った。勘づくのが早いけど、もう遅い。錆びた刃先は勢いよく彼に刺さり、命を奪う。

 外では後始末をしてくれる警官たちが待っている。私は彼の死体を窓から落とした。

 今回も、私の勝ちだ。

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