第2話・気持ち悪いね

「紗霧ちゃんはさぁ、美桜に振られたの?」

 心春は隣に座った私の髪を、指でくるくると巻きながら問う。

「えっと……」

 なんて答えればいいんだろう。振られたことには間違いないが、美桜は代替案を用意してくれて、それを私が断って……。いや、未練がましい真似はやめよう。

「そう、振られたの。一目惚れで、ずっと好きだった」

 既に目の前の少女に恋をしているという自覚があるからか、妙な後ろめたさを感じているが……答えないわけにはいかない。

「ふぅん。可哀想だね、あんなビッチに恋しちゃうなんて」

「美桜の悪口を言うなら帰る」

 勝手に来といてなんだと言った感じだが、姉妹だろうと双子だろうと、美桜を貶されるのは許せない。彼女への憧れは依然としてあるのだから。

「ごめんて。拗ねてる紗霧ちゃんも可愛いなぁ」

 髪で遊んでいた指は、自然と頬へ。爪で肌を撫でられて鳥肌が立つ。

「怒った?」

「……少し」

 これから友達になろうというのだ。面倒な隠し事はできるだけしたくない。

「じゃあ……お詫びに、あいつがあんなんなっちゃった理由を教えてあげようか」

「理由?」

「美桜だって生まれた時からあんなビッチ……えっと、性的指向を持ってたわけじゃないんだよ。あいつはただ、真面目なだけ」

 真面目? 複数の女性と体だけの関係を築く行為が?

 心春は私から手を離し、ベッドに倒れて仰向けになった。視線は虚空を見つめ、薄笑いを浮かべているように見える。

「最初は小学校の低学年だったっけなぁ、同じクラスの子に告白されたんだって。もちろん女の子ね? でも美桜からしたら誰? って子だったらしくて、丁重にお断りをした。すると向こうはなんて言ったと思う? 『思い出に、一回だけでいいから』って。真面目なあいつが断れるわけないよね」

「……」

「それからはもう、そういうことだよね、噂を聞いた女の子が好きな女の子から、付き合えはしないけどヤラしてくれるらしいってことで殺到。断ろうとすれば『あいつはシたのに』って言われてどうしようもない。あとは真面目な性格が起因して、『これは強制されてるんじゃない。私の趣味だ』って思い込むことで……ビッチな美桜ちゃんの完成~」

 想像が、あまりにも容易い。そんな話を聞かされてしまえば――

「可哀想でしょう? これを踏まえて、今からもう一回アタックしていいんだよ」

 ――先程、美桜の提案を拒んだ自分が、残酷極まりない人間に思える。

「……いいの。美桜がその道を選択したんだから、私は私の道を選ぶ」

 美桜がきっと苦しんで選んだ道を、後から眺めただけに過ぎない私が非難するなどあってはならない。

 もう恋人になってほしいとか、いろんな人と肌を重ねるのをやめてほしいとか、そんな問答ができる領域じゃないんだ。

「ふぅん。私で溜飲を下げる道を選ぶってことね」

「っ」

 認めたくない浅ましい思考を快活に言い放たれ、急激に赤面していく。

「やっぱり。紗霧ちゃん、女はもっと嘘けなくちゃダメだよ。なんでもかんでも顔に出せばいいってもんじゃない」

「……ごめんなさい」 

 こんな状況、謝る以外に何を言えばいい。これが常軌を逸した失礼だということくらい、私にだってわかる。

「いいよ別に。慣れたし。生まれてからずっと私は『じゃない方』だった。狭山姉妹の美桜じゃない方ってね。勉強も運動もできない。コミュ力もない。真面目でも優しくもない」

「…………」

 なにか、一言でもいいのに、口が動かない。

 そんなことないよって? そんな、そんな無責任なことは言えない。

 私はまだ――心春この子について何も知らない。

「あは、そんな顔しないでよ。気にしないで。最近は慣れて、狭山家の姉妹としての役割はもう全部美桜に任せることにしたし。私は引きこもってゲームしてればいいだけ。気楽なもんよ」

 それは、ため息なのか嘲笑なのかわからない。心春は小さく息を吐いて上体を起こし、ベッドから立ち上がると振り返って私を見た。

「じゃ、お喋りお終い。もう帰れば? どうせ美桜に友達になってあげて欲しいとか言われたんでしょ? 大きなお世話だし。私ゲームやるから」

「……見てて、いい?」

「えっ?」

 私は無礼者だし、稚拙な恋愛観を持っていて、誰がどう見ても愚か者だけど、これだけはわかる――

「こんなに凄い部屋初めて見たから……どんなゲームするのかな、って」

 ――ここで帰ったら、一生後悔する。

 狭山美桜という、誰もが完璧と呼ぶ存在の傍にいて、自分を卑下するなという方が不可能だ。

 さっきのやり取りですら、きっと私は心春を傷付けた。

 まずは心春について知りたい。知って、ちゃんと謝りたい。好きだのなんだのは後回しだ。

「まぁ別にいいけど……」

 少しだけ困惑を浮かべた心春はそう言うと、その体を包むには大きすぎるチェアに腰掛け、ヘッドフォンを付けてマウスとキーボードを軽快に操作していく。

 ゲームを起動したらしく、モニターが真っ暗になった。

「「っ」」

 映像が映し出されるまでのコンマ一秒、鏡と化したそれは、私の視線と、こちらを睨め付けていた心春の視線とを交差させる。

「そんなに美桜の顔が好き? 気持ち悪いね、紗霧ちゃん」

 冷たい眼差しと吐き捨てるような言葉。そしてそれらとは対象的に、からかうような甘い声音が、魂を震わせた。ああ、私は無礼者で愚か者なだけでなく、度し難い変質者らしい。

 それから私は――またモニターが暗くなる瞬間を期待して――わけもわからないゲーム画面をただ眺め続けた。

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