貴女は『じゃない方』じゃない。
燈外町 猶
第1話・記念すべき日
今日は特別で、記念すべき日となった。
去年、人生で初めて一目惚れをして、
先週、人生で初めて想いを伝えて、
今日、人生で初めて肌を重ねて、
今日、人生で初めて振られた。
そんな記念すべき日に、私は出会った。
初めて一目惚れをしたその顔と、同じ顔を持つ少女に――
――生まれて二度目の、一目惚れをした。
×
真面目な人生を送ってきた自負がある。両親の期待に応え名門私立中学へ入り、そこでも多の秀才に負けることなく好成績を収め、二年に上がれば生徒会副会長となり、会長である
称賛を送られて然るべきだと思う。褒賞を得られて然るべきだと思う。
そんな然るべき果報の日は、今日だ。
「緊張してる?」
「……うん」
愛おしい人の手が、どこか慣れたように私の制服を脱がしていく。心臓が激しくのたうつ度に石化していく身体。
なされるがままに身を任せるしかない私へ、美桜は優しい笑みを浮かべた。
「そんなに緊張しないで。これはお遊びよ。どこにでもあって、誰でもやっている普遍的なもの。大人になったらきっと忘れてしまう、青春の一ページでしかないの」
「……そんな風には思えないよ」
リラックスさせるためだろうか。私を横に寝かせ、腕枕をしてくれた美桜。空いた左手も抜かりなく頭を撫でてくれている。
「じゃあどんな風に思ってくれてるの?」
「……恋人との、その、初めての」
「
言葉を探す私の唇が、美桜の美しい人差し指で軽く押さえられ、幾度ともなく覚えた絶望に再び襲われる。
「言ったでしょう? 私は……そういう相手にはなれない」
「どうしてよ、なんでなの美桜。こういうことはするのに、誰とも付き合わないって……私にはわからないよ」
美桜。私が人生で初めて好きになった女の子。勉強ができて、運動もできて、容姿は芸能人よりも整っていて、優しさと厳しさを瞳に孕ませていて、そして――
「そうだね、きっと紗霧にはわからない」
――女の子を抱くのが趣味の、女の子。
「結局美桜は、こういうことができれば誰でもいいんだ」
最初から言うべきことを言ってくれていた美桜に、それでも
「そうじゃないわ。身体を重ねる人はちゃんと選んでる。でもね、一人に絞るなんてできない。私は全員、可愛い女の子とは全員として、全員と良好な関係を保ってたいの。そういう病気なの」
「そんなの……いつか刺されるに決まってる」
「そうね。だからその時期を少しでも遅らせるためのルールよ」
私からの告白を断った美桜は、身体だけは恋人の関係にすることができると代替案を提示して、私は一縷の望みに掛けてそれを受け、今、こうしてベッドの上で二人寝転がっている。
結局――私は報われなかった。褒賞なんて、どこにもなかった。
「っ……今のは?」
きっと事の最中なら気付くことは無かったであろう小さな小さな、擦るような足音が聞こえる。失恋の沈黙にある今だからこそ知覚できた。
「家族の人はいないって言ってなかった?」
「両親がいないって言ったのよ」
「じゃあ誰がいるの?」
「……妹」
「えっ?」
端的に述べられた情報は、美桜について深い造詣を持っていると自負していた私を混乱させる。妹? そんな子がいるなんて聞いてない。
「……引きこもりなの。小学校の高学年辺りからかな。ゲームばかりやっててあまり部屋から出てこないし、当然だけど学校にも行ってない」
「そう、だったんだ」
道理でわからなかったはずだ。私が美桜と出会ったのは高校に上がってから。もし美桜と同じ小学校に通っていた人がいたとしても、美桜の神聖性を保つためにその口を噤んだはずだ。
「ねぇ紗霧。私、貴女のことが大好きよ」
あまり触れられたくない話題だったのか、美桜は強引に会話の流れを変えた。
「じゃあ」
「だから、もし恋人になってしまったとき、貴女を傷付けてしまう未来が怖いの」
私を抱き寄せる美桜からは、脳の奥がクラクラするような香りがする。何人もの女の子を抱くことで、フェロモンは熟成されていくのだろうか。
「……紗霧、体だけの愛がそんなに不純? いいじゃない、みんなが幸せになれるんだから」
耳元で囁く妖艶な悪魔の声音に、心と体が疼く。それでも私が起こした行動は――
「ダメ、できない」
――涙を溢して、大好きな彼女を拒絶すること。
「恋人が他の誰かを愛するなんて耐えられない。たとえ美桜でも、たとえどれだけ私を愛してくれても……受け入れられない」
聞きながら優しく頭を撫でてくれていた美桜は、「そう」とだけ呟き、ベッドから降りて乱れた制服を直していく。
私は確信した。一目惚れは、初恋は、本当に実らないのだと。
「妹ね、双子なの」
先ほどの雰囲気から一転して、まるで学校にいるときのように、明るくて凛とした美桜の声音に戻り、話の内容も少し前に戻る。
「見たい?」
美桜は双子と言っただけだ。生まれた時が同じであっても容姿が大きく異なる場合だって往々にしてありえる。
だのに、美桜の双子というワードを聞いただけで、ときめく胸が私の中心にあることを激しく主張している。
「見たい」
予め答えの決まっていた問いを投げかけられ、その後の話の展開も考えずに即答してしまった。
「そうよね。紗霧は私の顔、大好きだものね」
「私は……美桜の全部が好きだよ」
「ありがとう。私の醜いところをここまで見て、まだそんな風に言ってくれるのだから……紗霧は本当に素敵な人だわ」
美桜としてもきっと、全部が好きなら体だけの関係を受け入れて欲しいと思っているのだろう。
けれど。『好き』と『譲れる』かは別の話だ。このまま美桜と私が恋人になれば、きっと『好き』は『憎悪』に反転されてしまう。
「だから、そんな紗霧にだからこそ、妹――
美桜は膝をつき、私の両手を自身の両手で包み込んで言う。こんなの、ズルすぎる。
「それで……出来ることなら、友達になってあげて欲しいな。あの子、このままじゃ一生変われない。あの子が引きこもってしまったのは私が原因でもあるから、どうにかしてあげたいんだけど、もう、どうにもできなくて……」
普段は気丈で、何事も前向きに解決していく美桜が、こんな風に愁いを帯びているのは珍しい。どんな表情でも可愛くて綺麗だなんて、本当にズルい。
「こんなこと、他の誰にも頼めない。心の底から紗霧を、世界で最も信頼してるから出来るお願いなの」
「……もちろん、いいよ」
そんな風に言われて、断れるわけがない。『私は貴女のことが好きなのに』って泣きじゃくってやりたいのに。
私を見つめる瞳があまりに誠実で、やっぱり私は美桜には勝てないんだと思い知らされた。
「私で良ければ力になる」
「ありがとう、紗霧」
×
「心春、入るわね」
「なに、眠いんだけど…………誰、それ?」
ドアを開けた美桜に続いて部屋を覗き込むと、そこは私にとって異空間のように思えた。
綺羅びやかに発光するデスクトップのPCケース、マウス、キーボード。
アニメのような画像や、ゲームの待機画面を映しているであろうモニターが四台。
先程までいた美桜の部屋とはまるで違う世界。同じなのは漂うシャンプーの匂いと――ベッドに腰掛け物珍しそうに私を見つめる、私の大好きな人と寸分違わない――その容姿だけ。
「この前、誰かとオフラインのゲームがしたいって愚痴っていたでしょう? 私の一番大切で、信頼してる友達の――」
「
まだ詳しい事情はわからないが、ともかく友達になりにきたのだからと思い、右手を差し出すと。
「ふぅん……紗霧ちゃん、かぁ。可愛いね。美桜のお
握手はせずに、中指をまじまじと眺めた――心春。
「失礼なことを言わないで。紗霧とは……親友よ。それ以上のことはないわ」
「へぇ、珍し。まぁどうでもいいや。じゃあ美桜は消えてよ、二人っきりで紗霧ちゃんと仲を深めたいから」
言われた美桜は私に『それじゃあ』と――無理に作った笑顔で――言って去り、ドアを閉めて私と心春を二人きりにした。
「こっちきて、紗霧ちゃん」
「う、うん」
私も言われるがままにベッドまで移動して腰を落とせば、目の前には、意地悪そうに口角を上げた心春の顔。
「紗霧ちゃん、顔と体から真面目さが滲み出てるよ。好きだなぁ、こういう人」
「っ」
ああ、私はなんて……なんて、節操のない女なのだろう。美桜を責めることなんて――できない。
「今日からよろしくね、紗霧ちゃん」
この日私は、生まれて初めて一目惚れをした顔と同じ顔をした少女に――人生で二度目の、一目惚れをした。
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