第38話 試練の紅白戦 後編 その2


「姫野先輩が後ろに下がってる……」

「さっきの小川君のプレーに怒ってたりして……」

「あり得るよな……」


 漂う不穏な空気を察知して1年生達が顔色を変えてざわつき始める。


 そんな事などお構い無しに、柳井が右サイド、高木が左サイドに入ると、高木の大きく弧を描くスローインから試合が再開した。


 高木からのロングスローを松山が難なく胸で受け、浮かせたボールをそのまま逆足の左で振り抜いた。


 放ったシュートはゴールの遥か上を越え、1年生達はホッと胸を撫で下ろした。


 蹴った松山本人は、そんな彼等の様子に「バカめ」と不気味に笑ってみせた。



「……逆足とか決める気無いだろ?」

 藤波が松山に近付いて言った。


「……決めても良かったがな……まだコイツらが苦しみに悶える顔を間近で見てたいんだよ、解るか?……俺の中のアイツザキアはいつも飢えてるんだよ、渇いてるんだ……お前もお……と同じ……血を……」

 松山が狂気に染まった目で、自分の抑えきれない衝動を藤波にぶつけるのだった。


 藤波は、何の心構えも無く話し掛けた事を酷く後悔しながら、両耳に指を突っ込んで耳障りな雑音を遮断した。


 キーパーの裕明から大成にボールが渡る。


 大成が正面を向くが、松山はゆっくりと距離を詰めてくるだけでプレッシャーを掛けるつもりはないようだった。



 これって……


 ……まぁ、そういう事だよな



 大成は何かを悟ったように藤波の隣で顔を出す紘へとパスを送る。


 松山はそのパスへの反応を一切見せず、ただ黙って後ろへ見送った。


 藤波も受け手の紘に素早く寄せるが、明らかにボールを奪う気は無いようだった。

 取る気が無い代わりに、巧みなステップで紘を先へと進ませない。



「紘!!パス!!パーーーーース!!!!」

 ただし、颯太へのパスコースは残したままだった。

 呆れるほどあからさまに。



 ……うぅ、やっぱりそうか


 ……嫌な予感しかしないけど



 紘は迷いながらも、空気を読めと言わんばかりの2年生に流されるまま颯太へのパスを出した。



「おおっ!!ナイスパス!!!!」

 颯太の足元へと緩めのパスが届き、拙いトラップで何とか前を向こうとした時だった。



「ウボッ!!!!」



 颯太のみぞおちに突き上げるような激しい痛みが走った。


 苦しみに顔を歪ませながらゆっくり下の方に目をやると、姫野の膝が颯太の土手っ腹に深々とめり込んでいる。


「うぅ………」

 弱々しい呻き声と共に、颯太の体が大きく『く』の字に折れ曲がった。


 姫野は転々とこぼれたボールを無表情のまま奪い取り、何事も無かったかのようにサッとその場を離れていく。


「うわぁ……酷ッ……」

 紘は思わずその惨劇から目をそらし、さも自分が喰らったかのように苦しそうな顔をしてみせた。



『ピピピピ_____________ッ!!!!』



「姫野君!!!!蹴るならボールを蹴りなさい!!!!喧嘩じゃないのよ!!!!」

 けたたましいホイッスルの後、百合が姫野を名指しで怒鳴り付けた。



「見えてたか……」

 姫野は淡々とそう言って、うずくまったままの颯太に向けてボールを転がした。


「お、おい……大丈夫かよ!?お前」

 中々立ち上がれない颯太に、流石の勇人も心配そうに声を掛ける。


「だ、大丈夫ッス……頑丈なんで……イチチチ……」

 駆け付けた紘の手を借り、ヨロヨロと立ち上がって颯太が答えた。




「……」


 意外だったわ……

 随分つまらない事するのね



「姫野、アイツ滅茶苦茶怒ってる……」

「やっぱ小川に嫉妬してんだよ……だってほらアイツ……」


「……何?姫野君が何なの?」

 隣でヒソヒソ話す石川と江藤に百合が聞いた。


「あ……あの姫野には内緒ッスよ……俺も人から聞いた話なんで」

 江藤が両手を合わせて気まずそうに言った。




 ~2年前~


  上州学園中学 サッカー部 セレクション会議



「まぁ、お前が推したくなるのも分かる……

 姫野優、確かにテクニックは大したもんだ……

 ゴール前での度胸もそうだがあの子は必ず伸びる……」


「じゃあ……特例で合格させちゃいますか?」


 長テーブルにパイプ椅子、隙間無くグチャグチャに書き込まれたホワイトボード、いかにもといった雰囲気を醸し出す会議室の中では、膨大な資料に目を通しながら洋一、渡井一也、他数名のチームスタッフが姫野の合否について話し合っていた。


「俺は好きなんだけどなぁ、彼みたいなフォワード……

 洋さんは好みじゃないだろうけど」

 渡井はそう言って、隣で腕組みして座る洋一をチラリと横目で覗き見た。


「どう見てもうちのカラーには合わないだろ……

 運動量は申し分ないがうちでトップを張るにはスピードが足りない、

 それに……さっきも言ったが肝心な50mのタイムが合格基準に届いてないしな」

 洋一は難しそうに固く目を閉じたまま渡井にそう答えた。



「でも0,1秒ですよ?誤差の範囲だと思うけど」

「それを言い出したら何の為の基準なのか分からなくなるだろ、しかも最低限のタイムで設定してる……

 お前が何と言おうと結果は変わらない、

 彼は不合格だ……残念だが……」

 何とか食い下がろうとする渡井だったが、洋一はハッキリとその三文字を口に出して厳しい現実を突き付けた。


「じゃあ普通に受験して一般入部は?」

「無いな、資料に書いてある、セレクションに落ちたら地元の静和中に通うそうだ」


「あーそうなんだ……」

 渡井はその言葉にガックリ肩を落として最後にポツリと呟いた。



「渡井さん、正直ウチは普通の子じゃ入れないんです……

 ただ上手いだけじゃない

 努力だけじゃ追い付けない……生まれながらに何か特別なものを持ってる子

 それこそサッカーの神様に選ばれたような子だけがウチに入れるんですよ

 姫野君、彼にはそれが無い……残念ながら……」


 他のスタッフが項垂れた渡井を見兼ねてそう声を掛けると、彼は首を垂れたままで何度か小さく頷いてみせた。



「……結局はそういう事だ……

 もし仮にウチに来たとしても……3年間一度も出番が無いかもしれない

 そんな子が今だって大勢いるんだ……

 きっと彼みたいな選手には耐えられない辛さだろう……

 寧ろ今回落とした事は彼にとって良い事かもしれない

 腐らずにサッカーを続けていれば……

 この悔しさをバネに大化けして……

 いつか我々の前に最大の驚異となって現れたりしてな……」


 洋一はそう言って静かに笑った。



「よし、じゃあ皆良いな!?


 『 姫野優』


 彼は我が上州学園中学サッカー部のセレクション合格基準に満たなかった

 よって残念ながら『不合格』とする!!!!


 ……っておい、一也!!聞いてるか!?オーイ……」


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