スピードスター 後編

第18話 スピードスター 後編 その1

「テツ!!そこから全員抜いてみろ!!」

 海の代わりに左ウイングに入った他の部員にボールが渡ると、渡井はすかさず彼にそう声を掛けた。


 少年は指示通りボールを持ったまま左サイドを一気に駆け上がるが、加速する間も無く行く手を塞がれ、待ち受けるDF達の格好の餌食となってしまった。


「いやー、やっぱ駄目かー……」

「あそこからじゃ距離がありすぎる……」

 思わず渡井が苦笑いすると、隣にいた洋一が、当たり前だろうとでも言うように苦言を呈した。


「でも……海ならあの距離で持ってっちゃいますよね」

「まぁアイツはちょっと異常だからな……あり得ないだろ……普通に走るよりドリブルしてる方が速いなんて」

 渡井がそう言って海を評価するのとは対照的に、洋一はとても理解できないといった顔をして言い放った。



 ~3カ月前~



 ある日の事、上州学園のグラウンドには入部したての新1年生30名程が集められていた。


「よし、全員いるな……じゃあちょっとこれから新入部員で50mのタイム測ろうか!!」

 点呼を終えると渡井が何とも爽やかな笑顔を見せて言った。



「おっ、速ッ!!6,9……最近の子は平気な顔して7秒切ってくるな……」

 渡井は子供達の叩き出す好タイムのオンパレードに、驚きの溜め息をついて感心するばかりだった。


「よし!!次……おっ、海じゃんか……」

 スタートラインでは、肩や首をほぐしながら海がスタンバイしている。


「アイツ……100m日本一なんだろ!?」

「マジかよ……」

「噂じゃスタメン確定だってよ……」

「やっぱオーラが違うよな……」


 海の後ろで順番を待つ部員達がざわつき始めた。


「みんな注目してるぜ、スーパースター」

「……やめてくれる?集中してるんだから」

 スターターを務める斎藤がそう冷やかすと、海はアキレス腱を伸ばしてムッとしながら答えた。


「言っとくけど……50mや100mがどんなに速かろうが、それがサッカーに役立つスピードじゃなきゃ意味が無い」

「……うん、島崎さん・・・・……にもよく言われるよ……あのさ……集中させて欲しいんだけど」


「つまり……あれだ、その……こんなのは余興だと思ってだな……」

「……分かった、斉藤君……僕に敗けるのが嫌なんだろ!?」

「うっ!!!!……ハハ……分かっちゃった?」

「まったく……」

 斎藤が笑って誤魔化すと、思わず海の表情も綻んだ。


「おーい、早くしろー!!」

 ゴール側から渡井が二人に声を掛けた。


「コホン……相手に良いプレーをさせないってのもセオリーだからな、先輩の教えをよく覚えておきなさい」

「……はい、先輩」


「ヨーイ……ドン!!」

 斎藤の合図と共に海が力強く駆け出した。


「うおおおおっ!!!!やっぱ速えええええっ!!!!」

 一気にトップスピードへと加速する海の走りに、部員達からはどよめきが起こる。


「……普通に走るとあんなもんか……」

 遠ざかっていく海の背中を見つめながら斎藤が呟いた。


「お!!……えーと……6,4……」

 渡井は海のタイムを読み上げると、何だか釈然としないような表情を見せた。


 言っちゃ悪いがフォームが酷すぎる……

 だが、速い……それも桁違いに……

 でも……タイムにするとこんなもんなのかなぁ……

 前に見たゲームの時はもっとスピードが出てたような……



 それから数日が経ったある日……

 新入部員同士の紅白戦での事だった。


「島崎に持たせるな!!!!」

 センターライン付近だった。

 転々と転がっていくセカンドボール目掛けて、海と相手MFが競り合っていた。


 ボール迄の距離は、明らかに相手MFの方に分があった。

 ……分があった筈だった。


 決して彼が遅いわけではない。

 海と競る者はどうしてもそう見られてしまうのだ。


 彼からしてみればアドバンテージだった筈のその距離は一瞬で消えて失くなり、ボールを追っていた二人の位置関係は、何時しか完全に逆転していた。


 追い抜かれた少年が、ボールをさらってそのまま遠ざかろうとする海の背中に、そうはさせまいと手を掛けようとしたその時だった。


 彼の伸ばしたその手が、海の体に一切触れる事無く振り下ろされた。

 目測を誤った訳ではない。

 海がボールに触れた瞬間、彼の反応が追い付かない程の爆発的な加速が起きたのだ。


「嘘だろ……」

 彼は思わずそう口にして、追い掛けるそのスピードを緩めてしまった。


 彼を振り切って完全にフリーになった海は、慌てて寄せてくるDF陣の隙間をいとも簡単に貫くと、ぽっかりスペースの空いたゴール前へ鋭く抉るように抜け出していった。


 突然目の前に海が現れたと思ったら、その時にはもう既にゴールネットが揺れていた。

 キーパーからすればそんな感じだっただろう。

 それほどあっという間の出来事だった。


 ピッチに立つ全員が、言葉を失くしてしまう位に圧倒されていた。

 まさに海の独壇場であった。


 しかし、海のそのプレーに最も驚愕していたのは、ここにいる誰よりも一番冷静でいなければならない筈の監督である渡井、彼自身だった。

「……何だ?今の……嘘だろ……アイツ、フォームが……

 いや、それより……ボール持った瞬間加速したぞ……

 そんなバカな事が……」


「やっぱりね……」

 ピッチの外で見ていた斎藤は、野暮ったいパーマ頭を掻きながらそう言って鼻先で笑った。


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