スピードスター 前編

第14話 スピードスター 前編 その1

「春樹、海はどうした?」

「サボりです、サボり、帰っちゃったらしーですよ」

「さ……さぼり!!!?」

 斎藤の言葉を聞いた瞬間、島崎洋一はその血圧が一気に上がり、思わず額に手を当て天を仰いだ。


「うぅ……アイツめ、いつまで小学生気分で……

 スー……ハァー……スー……ハァー……」

 洋一は、深呼吸で動悸を押さえながらそう憤っていた。


「プッ」

「……!?」

 斎藤が込み上げてくる笑いを必死に堪え、駆け足で洋一から離れていく。


「フゥ、フゥ……時間が惜しい、テツ!!お前が海の位置に入って紅白戦だ!!すぐ始めろ」

 洋一は呼吸が落ち着くと、苛立ったままの口調で部員達に指示を出し、コート脇のベンチにドカッと腰を下ろした。


「まったく……」

 グラウンドに出てまだ数分しか経っていないにも関わらず彼の疲労は凄まじかった。


 島崎洋一しまざきよういち

 上州学園高等部の教師であり島崎海の父である。

 40歳にして上州学園サッカー部の総監督を務める。


 普段は高等部で指揮を執るため、今回のように大会期間中でもない限り中等部の練習に顔を出すことはまずない。


 海が彼の血を色濃く引き継いでいるのはその容姿からも明らかであり、端正なルックスに斎藤すら上回る高身長、更には頭脳明晰という、まるで欠点らしい欠点が見当たらない誰もが羨むような人物であった。


 強いて欠点を挙げるとすれば、異常な程神経質な為人よりも心労に感じる事が多く、最近特に白髪が目立ち始め急に老け込んだようになった事位だろうか。


「ヘイ!!」

 トップ下に位置する斎藤が中央でパスを受けると、あっという間に敵陣深くまでボールを運んで行った。


 文字通り視野の高い斎藤には俯瞰でピッチ全体を見渡すことなど容易く、ゴールまでの道筋がありありと見えているのだ。


 へばり付いていたDFのマークをあっさり外すと何の迷いもなくその右足を振り抜いた。


 ガツン……


 放ったシュートはポスト右上に当たり、鈍い音と共に枠外へと弾かれていく。


「あのスロースターターが今日はどうしたんですかね!?」

 にこやかな笑顔の青年がそう言いながら洋一の隣に腰を下ろすと、ゴール前で頭を抱えていた斎藤に向かってナイスシュートと親指を立てた。


 青年の名は渡井一也わたいかずや 29歳、島崎にも引けを取らない高身長且つ笑顔のまぶしい好青年、上州学園サッカー中等部の外部監督である。

 上州学園サッカー部を統括する洋一とは古くから師弟関係にあった。


 徹底した管理下での選手育成をモットーとする洋一とは相反し、渡井の指導方法は完全なる放任主義、部員達の自主性を重んじるというものだった。


 性格も大雑把で細かい事は気にしない、何から何まで正反対の二人だったが不思議と彼等は馬が合った。


「おう、お疲れ……昨日の試合で何か刺激になる事でもあったか?」

「まぁ1年の海にあれだけ活躍されたら……上級生は皆尻に火が付いたんじゃないですかね!?」

 渡井が笑顔のままで答える。


「静和の7番はどうだった?確か……姫野とか言ったな」

「彼ならあの点差で最後までよくやってましたよ……ウチにはああいったガツガツした子がいませんからね、春樹も海も何度か弾き飛ばされてましたよ」

「アイツは少しくらい痛い目に合った方が良い……

 にしても春樹まで吹っ飛ばすなんてな……」

「圧が半端ないですよ、カードが出ても気にしないって感じでしたね……

 おっ!!……あぁ、また外した」


「ダーーーッ!!!!クソ!!!!」

「はるきーーー!!良いぞ!!グッド、グッド!!あそこでシュートまで持っていけたんだ、気にするな!!」

 渡井は立ち上がると再びゴール前で悔しさを表現していた斉藤にそう声を掛けた。


「ほんと今日は何か違うなぁ……そう言えば海は!?テツの様子見ですか!?」

 周りを隈無く見渡して渡井が尋ねると、洋一は眉間に深いシワを作って溜め息をついた。


「サボりだ……サボり、まったく……誰に似たんだか」

「へ!!!?」



「ヘブッ!!!!」

 颯太に睨まれたままの海がノーモーションでくしゃみをした。


「風邪か!?」

 颯太が気遣った。


「……いや、きっと誰かが僕の噂でもしてたのさ」

「そうか……」


「……」


「シマザキカイ!!!!」

「なっ、何!?」

 一瞬二人の間に漂った妙な空気を破るように、再び颯太が海の名前を叫んだ。


「俺と……俺ともう一度勝負して下さい!!!!」

「!!!?勝負!!!?」

「お願いします!!!!」

「!?……えーっと……」

 颯太は深々とお辞儀するが、海は困ったように頭をポリポリ掻くばかりだった。


「久しぶりだね、島崎君……」

 夏海が海にボールを手渡して言った。


「!?……あっ、もしかして大場さん!?」

「良かったー!!覚えててくれた!!そう、大場さんです……全国大会以来だね、その様子だと颯太の事なんて覚えてないでしょ?まぁ無理もないけど……」


「そんな馬鹿な事あるかよ!!なぁシマザキ君!!」

 嫌みっぽく言う夏海を笑い飛ばして颯太は虚勢を張るように声高に言った。


「!!!?……あぁ、もちろんだよ……えーっと……その……ハハハ……」


「!!!!」

 どうにも思い出せていないのは流石の颯太の目にも明らかだった。


「君ほんとに凄いね!!もう一回リフティングやってみせてよ!!」

 紘は固まったまま全身をプルプル震わせている颯太を強引に押し退けると、羨望の眼差しを向けながら海にせがんだ。


「え!?あぁ、いいよ……ちょっと離れてくれる?」

 そう言って海が足下のボールを真上に跳ね上げると、その球体は翼が生えたように夕焼けの空を自由に舞いだした。


「凄い、ほんと凄い!!」

「ハハッ、ありがとっ……よっ、ほっ」

 絶賛する紘に気を良くしたのか、海の動きが段々と大きくそしてアクロバティックになっていく。


 紘は目の前で繰り出される大技の数々に溜め息を漏らすばかりだった。


「空気ね、完全に」

「ぐぬぬっ……!!!!」

 夏海は意地の悪い笑みを浮かべ、颯太に追い討ちを掛けるように言った。


「……感動だよ……マジで凄すぎ!!ほんとありがとう!!」

「そんな大袈裟な……練習すれば誰だってできるよ」

 ひとしきり技を見せ終わると海は興奮冷めやらぬ紘にそう言って笑った。


「シマザキ君!!!!俺と勝負してください!!!!」


「……」


 颯太なりに空気を読んでのタイミングだったが、またみんなの時が止まったようになってしまった。


「何言ってんだよ……忘れられてたくせに……こんなに良いもの見せてもらったんだからもう充分だろ!?」

 紘がドスを利かせて颯太を睨み付けた。

 今日一日の不満がここへ来て爆発したような、そんな感じだった。


「お、俺は別にリフティングなんか見たくてここまで来たわけじゃ……」

「おい……聞き分けろよ、島崎君はお前に付き合うほど暇じゃないんだよ!!」

「うぅ……」

 あのつぶらでクリクリとしたチワワのような目は今やすっかりと荒んでしまい、その強烈な眼力は颯太を押し黙らせるほどだった。


「大場さん、ごめん……彼、一体誰なの?」

 海が隙を見てこっそり夏海に助けを求めた。


「この!!この!!人に迷惑ばっかり掛けやがって!!謝れ!!島崎君にその無礼を謝れ!!」

「うぅ……ごめんなさい……」

 紘は半べそになっている颯太の頭を押さえ付け、海に向かって無理矢理何度も下げさせた。


「……の……で負けて……」


「!!!!」


「そうか、ハハハ、何だ……あの小川君・・・か、やっと思い出せたよ……いやー……ゴメンね」

 ようやく頭にかかったモヤが取れると、スッキリとした爽やかな笑顔を見せて海が言った。


「!!……そ、それなら俺と……ぐえええっ!!」

「まだ言うか!!お前は!!このっ!!」

 それ以上は言わせまいと、紘が颯太の首を締め上げた。


「ハハ、そんなにしたら彼死んじゃうよ!?……うん、そうだね……良いよ……やろうよ、せっかくここまで来てくれたんだ……小川君、もう一度僕と勝負しよう!!!!」


「!!!!」


「ありがたい……やっとだ……ずっとこの時を待ってたんだ……今度は俺がお前をぶっちぎってやる!!!!」


「へぇ……楽しみだな……」


 メラメラと燃え上がる闘志を向き出しにする颯太を前に、海は1年前のあの日のようにそう言ってただ笑うだけだった。

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