第12話 上州学園へ行こう その3

上州学園外部 中等部専用 サッカーグラウンド


 深い山々に囲まれた、上州学園が誇る緑鮮やかな人工芝グラウンド。


 学校から少しばかり距離を置いた山の一部を切り開いて作られていたため、グラウンドの回りには樹海のようにビッシリと背の高い木々が覆い繁っている。

 100名を優に越える部員達が、この最新の設備の整った最高の環境の中、所狭しと様々なメニューをこなし汗を流していた。


「オイ、1年、海の奴はどこで何してんだよ!?もう、前半のメニュー終わっちまったじゃねえか!!今日は総監督が来るんだぞ!!」

 コートの一角では、斎藤春樹が1年生を呼びつけ怒鳴っていた。


「この時間にいないって事は……もう帰っちゃったんじゃないッスかね」

「えっ!?……帰っちゃったってオマエ……そうなの!?マジで!?」

 斎藤は信じられないといった表情で聞き返した。


「居残りさせられてるとかないの?宿題忘れたとかで……まぁ……アイツに限って」

「無いッス!!斎藤先輩と違ってアイツ超真面目なんでそれは無いッス!!」

「!!!!」

 切れ味の鋭い台詞に斎藤は白目をむいた。


「コホン……お前ハッキリ言うね……100%か?」

「俺、同じクラスだし、100%無いッス」

「同じクラス……そう、分かったよ」

 斎藤は口ではそう言ったが、どこか納得がいかなかった。


 いくら総監督(親父さん)が嫌だからってサボるような奴じゃねーはずなんだけどな……


「あ、そう言えば……」

「そう言えば、何?」

「昼休みに3年の権田先輩に呼ばれてたみたいだけど……それからちょっと元気がなかったような」

「ふーん、権田先輩にね……ありがとな、練習に戻っていーよ」

 斎藤は1年生を解放すると、グラウンドの方に目をやった。


 暫く全体をグルリと見回すと、やがて一人の部員に目が留まった。

 その部員は斎藤程の上背はないものの、遠目でも分かる程骨太の筋肉質で、中でもその分厚い胸板が特に目を引いていた。

 どちらかというと、サッカー選手よりもラグビー選手だと言った方がしっくりくるような体型だった。


 いた、権田……


「おい、権田……春樹が」

「ん!?」

 数人で輪になってボールを回していた内の一人が、近付いてくる斎藤に気付きそっと権田に耳打ちした。


「どうした?斎藤……恐い顔して」

 権田は足下でボールを止めると、自分の方へ向かってくる斎藤に言った。


「……権田先輩、海が練習に来てないッス、サボるはずねーし……何か知らないスか?」

「……いや、知らねえ……」

「ふーん……すっとぼける気ですか!?」

「あ!?どういう意味だ?」

 権田は斎藤を鋭く睨み付けたが、当の本人はまったく怯む素振りを見せなかった。


 それどころかそこにいた上級生数人に対して全員を見下したような薄ら笑いさえ浮かべる始末だった。


「おい春樹!!さっきから先輩に取る態度じゃねーぞ!!」

 他の3年生が斎藤に向かって声を荒げた。


「先輩……話聞いてるだけじゃないッスか、ね?すぐ済むんだからさ、ちょっと黙っててよ……」

「!!!!」

 斎藤はその3年生の肩に強引に手を回すと、耳元でそう囁いて彼を黙らせた。


「いやね、1年の奴が言ってたんスよ、昼休みに海が先輩に呼び出されてたって、まさかとは思うけどね……何か言ったんスか?」

「!!……斎藤、ここじゃちょっと……あっちに行かねーか?」

 笑顔のまま突き刺すような視線を向けてくる斉藤に、権田は一瞬気まずそうな顔を見せると、グラウンドの隅の方を指差した。


「やっぱ何か言ったんだ……何言ったんスか?」

「……」

 誘導するように先を歩いていた権田は斎藤の問い掛けには一切答えず無言のままだった。


「無視ですか……まぁ、いーけど……」

「!?」

「……どーしたんスか!?」

 前を行く権田が急に足を止め、バックネットの向こう側をジッと見ている。


「オイ、斎藤……あれ他校の奴らじゃねーか?ほら、あそこあの木の陰の……」

 権田が指差した方に目を向けると、バックネットを挟んでコートの外側を覆っている森の中には確かに木々の隙間でチラチラと動く人影があった。


「え?何?人?……あ、ほんとだ……」


 デカい坊主に、チビに、女……


 近付くにつれ、徐々にぼんやりと捉えていたシルエットの輪郭がハッキリとしてきた。

 颯太に紘に夏海の三人だった。


 夏海が上州学園に通う友人と事前に連絡を取り、学校から少し離れたこの場所まで図々しくも案内してもらっていたのだった。


 上州学園の夏服は男女ともネイビーのポロシャツである。

 外部とはいえあくまでも学校施設、白いシャツにブラウスを着た三人組は、勝手に侵入した余所者以外の何者でもなかった。


 あの女子……胸の赤いリボンに紺のチェックスカート

 静和じゃねーか!!!!


「ゲ!!!!ばれた!!!!あのデカいパーマ頭……

 10番の人だ!!やっぱこんなの非常識だったんだよ!!!!早く逃げよう!!!!」

 紘が近付いてくる権田と斎藤に気付くと、見苦しい程までに慌てふためいた。


「何言ってんだよ!!!!非常識だなんて最初から分かりきってるじゃん!!だって勝手に乗り込んでるんだぜ!!」

「嘘でしょ!?今さら!?」

 颯太は声を荒げ、夏海が驚いたように紘を見ている。


 うっ、正論……

 まさか俺が非難されるなんて……


 そうなのだ。

 彼等の行いは誰の目から見ても非常識極まりなかった。


『グラウンドに行けばシマザキカイに会えるじゃん』

 今思えば颯太の酷く雑な思い付きだった。


 本来の紘ならば即座に否定し「練習が終わるまではどこか別の場所で待とう」とか、そういった常識的な提案が幾つか出来ていたはずだった。


 ところが、ここへ来るまでのそこそこ長い道中、紘は颯太の熱にすっかり当てられ、その上、憧れである強豪校の練習風景をこの目で見られるとあれば、到底冷静でいられる筈もなかった。


「と・に・か・く!!!!近付いてきてるし早く逃げようよ!!!!」

 紘はヒステリック気味にそう言うと、その辺の木にベッタリと張り付いて森の一部のようになっている二人の手を思いっきり自分の方へと引っ張った。


 夏海はいとも簡単に引き寄せられたが、颯太の方はまったくと言っていい程ビクともしない。


 それどころか何を思ったのか、それまで身を潜めていた森の中を抜け出し、彼らの元へ向かおうとしだしていた。


「おい……何しようとしてんだ……この……くそ馬鹿力め……言うこと聞けって……ぐぬぬぬぬぬ」

 紘は何としてもあちらへは行かすまいと颯太の腰に手を回しもう一度颯太を森の奥へと引き込もうとする。

 だがやはりその規格外のパワーの前にはまるで歯が立たず、ただズルズルと引きずられるだけだった。


「どどど、どーすんだよっ!!丸見えじゃんか!!」

 遂に颯太は紘を引きずったまま、森の中から完全に抜け出してしまっていた。


「いや、だってせっかく向こうから来てくれてるのに……」

「このアホ!!!!指差すなって!!!!」

「あーもう……なら稲葉君は夏海の後ろに隠れてればいいじゃん、

 オーイ!!やっほー!!」

「ちょっと!!!!バリケード扱いする気!!!?」

 そう言って颯太は向かってくる二人に大きく手を振りだした。


「……終わった、完全に……うぅ……何だって俺がこんな目に……」

 紘は泣きっ面になりながら、殺気立って颯太を睨み付ける夏海の背後に隠れた。


「!?何だアイツ……舐めてやがんのか!?」

 挑発するような態度の颯太を目にした権田は、何かのスイッチが入ったかのように突然猛ダッシュし始めた。


「春樹!!権田先輩どーしたの!?あれ誰!?」

「別に何でもないから!!練習続けてて!!」

 異変に気付いて駆け寄ろうとする他の部員達にそう言うと斎藤は直ぐ様権田の後を追った。


 今他校と問題起こすとマズいぜ先輩……


「オイ!!!!お前ら何してやがる!!とっとと失せろ!!」

 権田が走ってきた勢いのままバックネットをくぐり抜けると、そのまま一直線に颯太に詰め寄りつばを巻き散らしながら激しく怒鳴った。


「まあまあ先輩、女子もいることだしここは穏便にね……君達一体何の用なの?誰か友達でもいるの?ここは一応ウチの施設だからね……勝手に入っちゃダメだよ!?」

 後から来た斎藤がいきり立つ権田をなだめるように言った。


 紘はすっかり怯えて、夏海の後ろでガタガタ震えながら縮こまっている。


「練習中迷惑掛けてごめんなさい!!俺は静和中1年小川颯太!!シマザキカイに会いに来ました!!」

 颯太はまず割れんばかりの大声で謝罪すると、清々しい程までに堂々と自分の名前と用件を述べ、それから勢い良く二人に向かって深々と頭を下げた。


「……」


 唐突だった。

 唐突すぎて、破裂寸前にまで膨れ上がっていた風船の空気が一気に抜けてしまう程だった。

 颯太が二人に見せたお辞儀が、あまりにも美しく、まさにお手本のようだったからだ。


 何故かこういうのはビビらないでできるのよね……

 夏海がそっと思った。


「……えぇっと……あぁ海にね!?……あいにくだな、アイツなら今日は休みだよ」

「なっ!!!!」

 斎藤が我に返って言うと、颯太はその言葉にショックを隠しきれず坊主頭を抱えた。


「ハハ……わざわざ海に会いに来たのか、そりゃ残念だったな…………ん?」

 そう言うと斎藤はしばし考え込んだ。


 コイツ相当変な奴だな……にしても

 この坊主……どこかで……


 ……うーん

 ……どこだっけ?


「!?……もしかして権田君!?」

「あん!?……あ!!お前、紘か!?……何で!?」

 紘が夏海の背後から顔だけ出して言った。

 権田も紘に覚えがあったようで思わず目を丸くしていた。


「やっぱ権田君だ!!上州に入ってたんだね、すげえ!!」

「おぉ、ハハ……久しぶりだな……いや、別に俺は凄くなんて……」

「凄いよ!!上州でサッカーやってるなんて凄いじゃん!!」

「いや……だから、そんな事ねえって……それよりお前ら勝手に入り込んで……」

「あの上州だよ!?絶対凄いって!!自信持ってよ!!いやー、こんな所で会えるなんて思ってもなかったな」

「……」

 キラキラ目を輝かせている紘とは対象的に、一瞬は笑顔を見せたものの権田の表情は徐々に曇っていった。


「……知り合いなの!?」

「うん、小学校のサッカーチームのキャプテンだったんだ...俺が途中で転校しちゃったんだけどね……ほんとサッカー上手いんだよ」

 夏海が驚いて聞くと紘が嬉しそうに答えた。


「……紘、お前静和なんだよな……まだサッカーやってんのか?」

「うん……昨日の試合、俺も会場にいたんだよ」

「そうか、じゃあ知ってるだろ?俺がベンチにも入れてなかったのを」

「え!?……それは、その……」

 権田のその問いに紘は言葉を詰まらせた。


「ベンチ入りもしてない俺が本当に凄いなんて思ってるのか!?あ!?」

「……いや、その……」

「人の面見てニヤニヤしやがって……ほんとはバカにしてんだろ?補欠にもなれないってよ」

「え!?馬鹿にするなんて……そんな事ないって!!」

「うるせえんだよ!!ドイツもコイツもふざけやがって!!全員ムカつくんだよ!!島崎に会いに来たのならアイツはいねえ、それ以外に用が無いならとっとと帰れ!!」

 紘が何を言っても一切聞き入れない、今にも手が出そうな剣幕だった。


「う……あ、あの権田君……ゴメンなさい、俺……そんなつもりじゃ……」

 権田のその尋常ではない様子に紘はただ謝るしかなかった。


「ちょっと!!!!先輩だからってそんなキツい言い方ないじゃないですか!!」

「ああ!?何だお前!?」

 突然権田と紘の間に夏海が割って入って果敢に言った。


「大場さん、やめてよ……俺が悪いんだから……」

「違うでしょ!!」

「あ!?何が違うんだよ!?言ってみろ!!」

「じゃあ言わせてもらうけど……良いですか!?勝手に乗り込んだのはもちろんあたし達が悪いし、これが非常識な事だって分かってます、それで怒られるならあたしは何も言わない……でも!!ベンチがどうとか言う話はアナタが勝手に持ち出したんじゃない!!ただ稲葉君に当たり散らしてるだけよ!!それで稲葉君に酷い言い方するのは絶対違う!!」

「!!!!……それは……コイツが人の顔見てニヤニヤしてるから……」

 夏海のいかにも筋が通ったような指摘に権田の歯切れが悪くなった。


 夏海も自分達に非があるのは充分分かっていた。

 普通ならこんな事言える立場じゃない……

 が、とにかく紘を助けようと必死になった結果だった。


「ニヤニヤしてたからって馬鹿にしてるなんて思わないで下さい!!懐かしくてつい笑顔になっただけじゃない!!それなのに……」

「それは……そうかもしれねえけど」

「とにかく!!!!あたしは目の前で友達が酷い言われ方されたら絶対に黙ってない!!怒るならちゃんとした理由で怒って下さい!!!!」

「くっ……」

 一歩も引かない夏海の態度に押され、権田は何もできずにジリジリと後ずさっていた。

 夏海の機転で完全に立場が逆転していた。


『アッ!!!!』

『!!!!』


 斎藤が突然大きな声で叫んで颯太の顔を指差した。

 そのあまりのボリュームに、張り詰めたままだった夏海達も彼に注目せざるを得なかった。


「思い出した!!!!お前アレだろ!?去年のあの陸上大会にいた坊主だろ!?海と走った奴だろ!?」

「えっ!!!?俺の事知ってんスか!?」

「知ってるよー!!(大泣きして目立ってたし)お前スゲエ速かったもんな……いやー惜しかったよな、スタートさえ決まってれば海にも勝ってたんじゃねーのか?」

「ハイ!!!!そーなんスよ、俺スタート下手くそ過ぎて……」


「もしかしてさ、お前……海に会いにって……その……リベンジに来たとか?」

「そうッス!!!!リベンジッス、もう一度シマザキカイと走りたいッス!!!!」

「うおおおおおっ!!マジか!!良いっ!!お前滅茶苦茶良いじゃん!!最高だよ!!やっぱお前スゲエ面白いよ!!」

「ウッス!!アリガトウッス!!」

 斎藤が嬉々として颯太の肩をバンバンと叩いた。

 颯太の方も、斎藤のその対応はまんざらでもないようだった。


 権田、夏海、紘の三人は、二人の唐突な意気投合にしばし唖然とするだけだった。


「……えーっと、いや……まぁ何だ、その……久々なのにキツい言い方して悪かったな、確かににその彼女の言う通りだ……ちょっと俺も今色々あってな、お前につい当たっちまった……スマン」

 妙な空気を仕切り直して権田が言った。

 先程までとはうってかわって随分と気を使ったような話し方だった。


「あ、謝らないでよ、俺も久しぶりすぎて興奮しちゃって……」

「でも紘、何にしてもお前らがここに居ることは決して良い事じゃない……とにかく今は練習中だ、分かってくれるよな」

「うん、ごめん」

「それと……やっぱり俺は少しも凄くなんかねえ、昨日の試合だって最後の大会なのにベンチにも入ってねえ……ここには俺より凄い奴なんてゴロゴロいる……ここはそういう所だ」

「そんな事……」

 紘はそれ以上何も言えなくなってうつ向いた。


 そう言えば大場さんもそんな事言ってたな……

 二人は俺なんかと違って間違いなく凄い人なのに……

 そんな事言うなんて……


 ……きっと俺みたいな中途半端な奴には一生掛かっても分からない感覚なんだろうな……

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