第2話 運命の出会い その2

大場夏海は物心がついた頃からずっと颯太と一緒だった。

家が近所で同い年だったからという理由もあるが、とにかく二人はよく気が合って何をするにもいつも一緒だった。

だから颯太のことは何から何までよく知っていた。


昔からずっと坊主のこと、体が大きいくせにすぐ泣くこと、ひどく見栄っ張りなこと、最後まで人の話を聞かないこと、お米が大好きなこと、絶叫系に乗れないこと、思い付きで行動すること、ここ一番の大事な場面に弱いこと、そして何より、負けず嫌いで、誰よりも速さにこだわること。


幼い頃、近所のみんなでよく駆けっこをした。

決まって颯太か夏海が一番になった。

颯太は一番になれないといつも悔し泣きした。

そうなると、自分が勝つまで何度も勝負をしなければ気が済まなかった。

付き合わされる他の子達はうんざりしていたが、夏海だけは違っていた。

颯太が納得いくまで何度でも付き合った。


  二人とも走ることが大好きだった。


  小学校へ入学すると、二人はさらに速くなった。

圧倒的な二人のその速さは周囲の大人達の話題にもなり、今二人が所属している地元の陸上クラブから勧誘がくるほどだった。


「きっとこれは神様が俺達二人にくれた才能だ」

いつだか颯太が格好つけて夏海に言った。


「……気持ち悪っ」

「!!!!」


  本当は内心夏海も颯太と自分は特別だと思っていた。


  神様がどうとかは置いておいて。


  5年生になった昨年、二人は地区予選を見事に勝ち抜き初めての全国大会へ行くことになった。


静岡最速を証明した二人は自分の力を信じて疑わなかった。

たとえ相手が誰であろうと少しも負ける気がしなかった。


そして互いに優勝を誓い合って臨んだ大会、二人はそこで自分達の住んでいる世界があまりにも狭く浅いものだったと思い知らされることになる。

 

終わってみれば結果は散々たるものだった。


夏海は最下位での予選敗退、颯太に至っては緊張のあまりフライングにより予選失格、全国で走ることすら許されなかった。

 

いつもなら人目もはばからず大泣きする颯太も不思議と涙を見せなかった。

突き付けられた現実から目を反らすように、ただ呆然とその場に立ち尽くすだけだった。


夏海もまた同様であった。

二人は特別でも何でもなかった。

井の中の蛙、まさしくそれだった。


その日二人は誰とも言葉を交わすことはなく、そのまま全国大会の幕は閉じていった。

 

こうして二人の挑戦は終わった。

 

大会以降夏海はフォームを崩し、思うような走りができなくなり、颯太の方はと言うと、あの日を境にばったり練習に姿を見せなくなっていた。

 

夏海と違い戦うことすら出来なかった颯太のショックは誰にも計り知れないものだった。

 

コーチや仲間達は一向に姿を見せない颯太を心配し、夏海に颯太を連れてくるように何度か言った。

 

夏海なら何とかしてくれるかもしれない。


しかし、返事は決まっていつも同じだった。


「私自分の事でいっぱいいっぱいなんだよね、放っときゃいいのよ、あんな負け犬……あ、走ってもないか」

そう言って夏海は会話を終わらせると、すぐに練習に戻った。


その言葉に嘘はなかった。


夏海はあの日以来それまで以上に走っていた。

 胸に深く刻み付けられた敗北の2文字を掻き消すように、ただがむしゃらに走った。

 オーバーワークを注意されることもあったが、夏海は走ることを止めなかった。

 

それでも調子は一向に上がらない。

焦りや苛立ちばかりが募っていった。


何で?心と体が上手く噛み合わない……

私の足……こんなに重かったかな?

こんなもんじゃない……

私はもっと強く、速くなれる!!

負けたままなんて許せない……

絶対このままじゃ終わらない!!


……アンタだってそうでしよ……颯太!!

 いつまでも何やってんのよ!!


颯太が姿を見せなくなってから数週間が過ぎたある日のこと。

 

相変わらずストイックに練習する夏海をよそに、仲間たちが数人集まり何やらコソコソ話し込んでいた。


「……なぁ、やっぱあれ颯太だよな、あそこの植え込みの……」


……ん?颯太?


たまたま会話が聞こえた夏海は、そこから少しばかり離れた植え込みに目をやった。


  ……あ、颯太だ。


グラウンドの隅にある植え込みの陰から、綺麗な坊主頭がちらりとはみ出ている。


間違いなく颯太だった。


その姿に思わず溜め息が出た。


ほんと何してんの……


みんなの視線に気付いたのか、坊主頭が素早く引っ込んだ。


「おい、引っ込んだぞ……どう対応したら……」

「だから言ったでしょ、放っておけばいいって。さあ!練習、練習」

その場で困惑する仲間達を散らすように夏海が言った。

 

もう一度植え込みの方にチラッと目をやるとやはり坊主頭の一部が少しだけはみ出ていた。


「……アホ」

夏海は颯太に聞こえるようにそう言うと、柔らかい笑顔になって少し吹き出し、すぐに走ってみんなの方へ行ってしまった。


颯太は夏海が離れて行ったのを確認すると、膝を抱えて深いため息をついた。

「……アホか……わかってるけど……夏海はよく頑張れるな、それに比べて……

俺は……なんてカッコ悪いんだ、やっぱ来なきゃ良かったかも……」

自分とは違い、逃げ出さなかった夏海の姿にやりきれない気持ちになったのか、颯太は自分の頭をポカポカ叩いた。


ようやく少しばかり落ち着くと、またそこから頭だけ出してみんなの様子を伺った。


夏海や仲間達は他には一切目もくれず、ただ黙々とトレーニングメニューをこなしている。

もはや颯太がそこにいる事など忘れたかのようだった。


しばらくして20人程のメンバーが一人ずつ順番に並ぶと、約20mのダッシュを延々と繰り返すメニューが始まった。


ダッシュの間にある僅かなインターバルで呼吸を整えるが、誰もがその苦しさに心が負けそうになる。


その辛さは颯太もよく知っていた。


無限ダッシュか……

あれキツいんだよな……

キツいんだよ……なのに……


夏海が全力で駆け抜けていく。

ゴールした夏海は自分の走りに納得がいかないのか、悔しさを滲ませるように下唇を噛み締めていた。

 

夏海は、それならもう一度、とでも言わんばかりにすぐさまスタートラインへと戻っていく。

 

……夏海


夏海のその姿に、颯太は思わず目を反らしそうになった。


俺……何やってたんだ……

みんながこんなに頑張ってる間……

走りもせずに……ゲームばっかり……

カッコ悪すぎだろ……


無限ダッシュと呼ばれるそれは、コーチの判断で終了する終わりが見えないトレーニングだった。

無呼吸運動の連続に誰もが苦悶の表情を浮かべるが、それでも仲間たちは愚痴一つこぼさず走り続ける。


限界を超えてもなお彼らを突き動かすもの、それは実に単純なものだった。


……誰よりも速く……


その思いだけだった。

その思いが無限の原動力となり、彼らを何度も蘇らせては再び走らせた。


仲間たちが大地を駆けていくその音が幾重にも重なって、颯太の胸の奥深くにまで重く響いていく。

やがてそれは、颯太の失いかけていたものを少しずつ呼び起こしていった。


そうだ……

俺は見せられなかった……全国に……

俺の走りを……

俺は戦ってすらいない……

俺は……俺はまだ誰にも負けてない!!

それに……俺はまだまだ速くなる!!

もう一度行くんだ!!全国に!!


走りたい……また走りたい!!

今すぐにでも……


あの日からずっと燻っていた心は、いつの間にか音を立てて激しく燃え上がるようになっていた。

気が付くと、颯太は無我夢中で仲間の元へ走り出していた。


「夏海……こっちに向かってくるの颯太じゃない?」

「え!?」


ダッシュの順番を待っていた夏海が振り向くと、颯太が猛烈な勢いで向かってきていた。

夏海はその鬼気迫る迫力に、一瞬表情を強ばらせた。


「なつみいいいい!!勝負だああああ!!!!」

「えっ!!ホントに!?うそでしょ!?」


颯太はその勢いのまま、夏海のダッシュのスタートに合わせてきた。


「おおっ!!いいぞ!!勝負だ、勝負!!」

「なつみー!!颯太に負けるなー!!」

それまで寡黙で無表情だったコーチや仲間たちも、その急な展開に一気に盛り上がった。

颯太にはどこか人を引き付ける不思議な魅力があった。


颯太がスタートラインに差し掛かったのと同時に夏海もそこから一気に加速した。

 

いきなり勝負なんてズルい!!勝てるわけないじゃん!!


……あれ?足が軽い……

腕も良い感じで振れてる……

 あんなに走ってもダメだったのに……なんで? 


……まぁいっか……


約20mの勝負は一瞬で終わった。


「……俺の勝ちだ!!」

「ハァ……ハァ……当たり前でしょ!!ハァ……ハァ……最初からトップスピードだったんだから……ハァハァ……それに……ハァ……ハァ……何本目だと思ってるのよ!!」

夏海は肩で息をしながら不満げに言った。

颯太はそんな夏海をよそに、そそくさとコーチや仲間達の元に駆け寄って行った。


「心配掛けてごめんなさい!!」

颯太は大きな声でそう言うと、みんなに向かって頭を下げた。

コーチは口を真一文字に結んで厳しそうな表情を見せると、すぐにニッコリして「よし、頑張れ」と言いながら、颯太の坊主頭を少しばかり乱暴に撫でた。

そのやり取りに仲間たちも思わずワッと湧いた。


「まったくもう……」

夏海は小声でブツブツ言いながら、颯太を中心に盛り上がる皆の元へ駆け寄った。


言葉とは裏腹に、夏海の表情は明るかった。

 

こうして、颯太は再び走り出し、夏海は少しずつ調子を取り戻していった。


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