夢心地から沼の底

 実の処、俺は以前の人生で何度か貴族の夜会パーティーに参加した事がある。

 その時の感想としては。


 ―――二度と行きたくねぇ。


 これに尽きるな。

 その時は、勇者となった俺を歓迎したいと言うある王家のパーティーだったんだが、とにかく居心地が悪いったらなかったんだ。

 歓迎……と言いながら、誰も心底俺たちを歓待してくれてはいなかった。

 主催の王族でさえ、俺たちの事は放置していたんだからなぁ。

 結局のところ貴族たちにとって俺たちは、その権威を見せつける道具であり、ただ騒ぐ為の理由でしかないんだ。


「ねぇねぇ、アレク! パーティー用のドレス、買った方が良いかな!?」


「……ウチ、パーティーなんか初めてやわぁ」


「うふふ……。私も、夜のパーティーは初めてなのだ。やはり、着飾った方が良いのだろうなぁ」


「……パーティー……か。……少し……気が重い」


「なぁに、バーバラ? そんなに緊張しなくても、みんな初めてなんだから大丈夫よぉ」


「……いえ。……そういう訳では無く」


 そんな俺の心情はさておいて、女性陣はクレーメンス伯の誘いに応じる気まんまんだ。

 ……まぁ、断れなかった訳だが。


「なぁなぁ、アレク! 俺たちも、正装した方が良いよな!?」


 そしてそれは、何もマリーシェたちだけと言う訳では無く。

 ここにも一人、夜会に浮かれている男がいたんだ。


「……はぁ。きっと、綺麗な女性がたくさん来るんだろうなぁ……。楽しみ過ぎるぜ……」


 もっとも、セリルの場合は下心から来る期待で胸が一杯なんだろうが。

 まぁ、夢を壊してやるのは可哀そうだからハッキリとは言わないが……馬鹿め。

 貴族のパーティーにやって来る貴婦人方が、俺たちみたいな冒険者をまともに相手にするもんか。


「ドレスの準備は、全て伯爵様の方でなさってくれるって話だ。こっちで買うものは何もないよ」


 屋敷を出る直前に、俺は老執事に今夜の事を確認しておいたんだ。

 執事の話だと、すべての準備は伯爵家の方で行うので、何の心配も不要だという事だった。

 大体、根無し草生活とも言える冒険者が、高価なドレスを買った処で無駄になるだろう。

 しかも、俺たちはまだ15歳前後だ。

 まだまだ成長する可能性があるし、当然ドレスや服だって体に合わなくなってくる。

 貸してくれるってんだから、素直に借りておけば良いんだ。……それよりも。


「お前たち、朝食はしっかり摂ったよな?」


 俺は浮かれ気味の女性陣に向けて、確認の為にそう問い掛けた。

 パーティーを随分と喜んでいるみたいだが……あれは、楽しむもんじゃあない。

 宴だとは銘打っているが、あれは間違いなく……我慢大会だ。


「あ……ああ。朝食は全員頂いたが……。それがどうかしたのか?」


 カミーラが、不思議そうに俺の方を見ている。

 まぁ……これが初めてのパーティーだって言うんなら、知らなくて当然なんだろうけどなぁ。

 もっともその「我慢大会」を実感するのは……間違いなく、女性陣だろう。


「じゃあお前たち、昼食は抜きな。一端宿に戻って準備が出来たら、すぐに伯爵邸へ戻るんだ」


 俺は、にこやかな笑顔を湛えたままで4人にそう告げたんだ。

 時間は昼前。そろそろ昼食をと考える時間帯だ。


「はぁ? 何で、お昼ご飯を食べちゃダメなのよ? それに、パーティーは夜からよ? 今から伯爵の所に行っても、早過ぎるでしょう?」


 俺の言葉に、マリーシェがもっともな反論を口にしたんだ。

 まぁ……普通に考えれば、そうだよなぁ。だから、我慢大会だって事でもあるんだが。


「お前ら……知らない様だから先に言っといてやる。まず、パーティードレスを着るには、お腹を膨らませてなんて出来ないぞ? ドレスが入らなくなるかも知れないし、何よりも着る時に……中の物が全部出ちまうって話だ」


 俺の説明を聞いて、4人は蒼い顔をして絶句しちまったんだ。

 そりゃあ、そうだろうなぁ。

 そんな身体を酷使する様な衣服を着るなんて、普通に生活していれば聞く事なんてまず無い。

 正しく、貴族社会の不思議といて良いだろう。


「……な……なんで、そこまでして……」


 さすがにサリシュも、信じられないと言う顔をしている。

 でも、本当に過酷なのは……この後だ!


「それから、とにかく準備に時間が掛かるみたいだからなぁ。慣れている貴族なんかはもう少し短い時間で出来るかも知れないけど、昼過ぎから着替えやら準備に取り掛かるらしいぞ?」


 そう……。とにかく、女性陣は準備に時間が掛かるんだ。

 普段から、何かと女性は支度する事が多い……なんてマリーシェ達は言ってるけど、正式なパーティーの準備ともなればその比じゃあない。


「い……今から? パ……パーティーは夜の7時から……よねぇ?」


 もはや、マリーシェに先ほどまでのはしゃぎっぷりは無い。

 声は震え、顔面は蒼白となり、どこか体まで震えだしている。


「ああ……。あ、それから聞いた話なんだけど、パーティー中は女性陣は殆ど食事を口に出来ないみたいだからな?」


「ええ―――っ!?」


 これに一番驚いていたのは、誰あろうサリシュだった。

 パーティーの醍醐味と言えば、やっぱり豪華な食事だよな。

 立食形式とは言え、今までに食べた事の無いような上品で豪華な食事が並ぶんだ。お菓子だって、それは色とりどりだろう。

 それが食えないってのは、それはもうこの上ないショックなんだろうなぁ。


「な……なんで!? 何でなん!? 何で、食べたらあかんの!?」


 サリシュが、この上ない絶望をその瞳に宿して俺にすがって来る。

 いや……食べてはいけないって訳じゃあないんだ。


「いや……ドレスの締め付けが、それはもう半端ないみたいでな。多分食べるのは勿論、飲むのも苦しくなるって話だ。それに、化粧も落ちちまうらしくてなぁ。食べれるなら……食べても良いみたいだけど」


 俺の説明を聞いて、フラフラ……っと俺から離れるサリシュは、どこか呆然としている。

 どんだけ食事に期待していたんだよ。


「な……なぁ。お……俺たちは、そんな事……ないよな?」


 顔を引きつらせて、セリルが俺に問い掛けて来た。

 まぁ女性陣の悲惨さを見れば、彼が恐々と質問するのも分からないではない。


「まぁ、俺たちはそれほど辛い事は無いけどな。当然の事ながら女性をエスコートする必要もあるし、のんびりする時間なんてないぞ?」


「……マジか」


 先ほどまでの明るい空気は鳴りを潜め、どこかどんよりとした雰囲気が立ち込めていた。

 まぁ、知らないより先に知っておいた方が良い……筈だ。


「……やめる」


「……は?」


「私……行くの止める!」


 目が虚ろなマリーシェが、とんでもない事を口にし出したんだが。


「いや、もう行くって言っちまったしな。伯爵家の招待なんだぜ? 今更辞退出来る訳ないだろう?」


 残念ながら、彼女の嘆願は聞き届けられないのだ。

 今回に至っては、彼女だけ不参加……と言う事も出来ない。

 とにかく参加が決まった時点で、伯爵の顔に泥を塗る様な真似はしてはいけないんだ。

 ……そう。

 これはパーティーと言う名の……クエストだ!


「まぁ、食事が残ったら詰めて持って帰れる様に頼んでおくから。パーティーの間は我慢するしかないなぁ」


「そ……そのパ……パーティーだが。いつまで行われるのだろうか?」


 カミーラも冷静を装っているが、動揺は隠し切れていない。

 バーバラに至っては、さっきから絶句状態を回復させる事も出来ていないんだ。


「……早く終わって……11時くらいじゃあないかな?」


 俺の台詞が、まるで最終宣告の様にみんなの耳に飛び込んだ……んだろう。

 まるで時間が止まった様に、誰一人微動だにしない刻が過ぎ行く……。


「い……」


 そして十分に沈黙が流れ、それを破ったのはマリーシェだった。

 ……もっとも。


「いやぁ―――っ!」


 絶叫で……と言う手段でだったんだがな。


 その後大騒ぎがあったものの、ゴネるマリーシェの背中を押す様にして、俺たちはクレーメンス伯爵邸を再度訪れる事になったんだ。

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