右側の想い、流れ星と心
春嵐
01 ENDmarker.
ひさしぶりに、人を殺した。
命を終わらせたわけではない。
こころを、殺した。
人の心が、可視化できる。なんとなく、目の前の人間がどういう心でいるか、分かる体質だった。
だから、心の、急所みたいなものも。見える。それをなぞるように喋ると、相手の心が死ぬ。
心が死んだ人間は、機械と同じになってしまう。見た目は変わらないが、人と喋ることがなくなる。動きが最小限になる。肉と野菜の区別がつかなくなる。ただの、動いて眠るだけの、機械。
むかし、通っていたバーに、ひさしぶりに顔を出した。二年ぶりぐらいだろうか。
「いらっしゃいませ」
むかしと変わらない装飾。時が止まったような見た目の女店主。若い。
壁際。
いつも自分が座っていた席。
カレンダーやスノードームが置いてある。
店主。それを取り払う。
「どうぞ。あなたの席です」
自分の席。
座った。
景色は、いつもと同じ。壁があって。店主がいて。人を殺した、自分がいる。
人を殺しても、なんともないタイプだった。人の死に、心があまり動かない。感動する映画を見れば泣くし、芸能人とかが死んでも悲しい気持ちになる。
ただ、目の前で人が死んでいくことに、特に感慨を持たなかった。
ひとりで生きてきたから、かもしれない。
親も、親族もいない。
ただ、ひとり。それだけ。
誰かが欲しいとも、思わなかった。
仕事仲間からは、人を殺しているのだから償いのためにも幸せに生きるべきだと、よく言われる。仕事仲間は、みんな幸せに生きている。失われた命に敬意を表すために。
逆じゃないのかと、思う。
人を殺した人間は、不幸になるべきではないのか。どこかでのたれ死んでいくべきではないのか。
どうでもいい思いだけが、なんとなく、浮かんでは、去っていく。
生きてきた。ここまで。長いとも、短いとも思わなかった。ただ、生きてきた。
そろそろ十分ではないかと、思う。死んでもいい。そう、漠然と考える。
もともと、生きようとして生きてきたわけでもない。ただ、周りが求めるままに。生きてきた。自分の意思なんて、仕事終わりに、このバーに通うことぐらいしかない。
飲み物。
ジンジャーエール。目の前に置かれる。
飲んだ。
甘い。
自分のために、ジンジャーエールは甘くなっている。すべて、女店主の匙加減だった。抹茶が出てくるときもある。
酒だけは、出てこなかった。
店主。
心が、見える。
二年前と、変わらないまま。
目を逸らして、ジンジャーエールをちびちびと飲んだ。店主から目を離せば。もう、壁しか見るものがない。
他の客が、帰ったらしい。
店主が、店の外に出て行く気配。たぶん、閉店の看板を掛けている。
少しして。
自分の右隣が。
暖かくなる。
あの頃と同じ。
店主。自分の右側に、もたれかかってくる。
それだけ。
この女は。自分のことが好きだった。自分を好きになった女性は、ほとんど殺すほどではないが、だいたい半殺しぐらいにした。人殺しの自分といても、いいことはない。自分を好きでも嫌いでもなくなる程度に、心をほんのすこし削いできた。
彼女。
彼女だけは。
殺せなかった。
仕事終わりに来るこのバーが好きだったというのもある。どんなに人を殺しても、このバーの空気と、女の雰囲気は、暖かい。
夢を見ていたのかもしれない。彼女となら、幸せになれるかもしれない。そんな夢を。
だから、このバーには来なくなった。人を殺す仕事の後は、何もせずただ街を
何も、言葉は交わさない。
ただ、彼女は。自分を待っていた。それだけが分かる、右側の暖かさだった。
「わたし」
声。
彼女が小声で喋ったのだと気付くまで、ちょっと時間がかかった。
「結婚したんです」
それぐらいの、年月が経った。それだけを、なんとなく、思った。
もうここへ来るのは、やめよう。
彼女の暖かさだけが、感じられる。
自分の、冷えきった心の中で。彼女の存在だけが、暖かい。今更知っても、遅いことだった。
彼女。何も言わず。ただ、自分の右隣にいる。
時間だけが、止まったように、流れ続けていた。
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