9 傾いた天秤

 結局その日は一日中ベッドの上で過ごす事となった。

 メリーが薬局で買ってきてくれた風邪薬と水。それとポカリだけを口にして、ただずっと寝て起きての繰り返し。

 それを繰り返してやがて体調がほんの少しだけ回復してきたのはその日の夜の事。


「……流石にちょっと腹減ってきたな」


 朝から固形物を何も口にしていない。

 口にできるような状態ではなかった。

 だからほんの少しでも回復すれば、空腹感が自然と前に出てくる。

 だけどこのタイミングで出てこられるとかえって困る訳で。

 何しろ食べる気力は多少あったとしても、それを用意する気力はまるで無いのだ。

 多分冷蔵庫の中を探せば何かすぐに食べられそうな物はあるだろうし、戸棚には先日買ったスナック菓子が入っている訳だけれど、そんなものが喉を通りそうかといえば無理そうで。

 そこまでは回復していなくて。


 ……そんな時、少しだけ期待したのはメリーだった。

 メリーには悪いけど、何か買ってきてもらおうかと、そう考えた。

 例えばゼリーなんかなら食べられるだろう。

 そういう物を買ってきてもらおうかと。

 そう、考えていた時だった。


「……将吾、起きてる?」


 静かなメリーの声と共に、部屋の扉が開かれた。

 ……丁度良かった。


「ああ、起きてるよ」


「体調、どう? 少し楽になった?」


「……まあ、少しな。ほんの少し」


「そっか……良かった」


 メリーは安堵するようにそう言ってくれる。

 そんな彼女に対し、買い物を頼もうとした……その時だった。


「えーっと将吾……食欲とか、どうかな?」


 メリーが丁度良い事を聞いてきた。

 ……これで少し頼みやすくなったな。


「まあ、少しなら食べられそうかな」


 だから、と頼もうとした時、メリーは少し表情を明るくさせて言う。


「良かった……じゃあ、お粥とか……食べないかな? ちょっと作ってみたんだ。料理なんてした事なかったから……うまくできてるか、わからないけど」


 そう言って彼女は廊下の床に置いていたであろう何かを持ち上げる。

 ……お椀と水が入ったコップの乗った御盆。

 多分、そのお椀に入っているのはお粥だろう。

 ……それを見て、素直にありがとうという感謝の気持ちを抱いた。

 だけど……だけどだ。

 抱いた感情はそれだけじゃない。

 寧ろそれだけではない別の感情が、彼女のしてくれた事の違和感を理解しだす程に強くなっていく。


「それ……作ったって、お前……」


 彼女がお粥を作ったという事はだ。


「お前……火、使ったのか?」


 つまりはそういう事になる。

 ガスコンロの火を見ただけで怯えるメリーが。

 これまでの三か月間で、ワイドショーで火事の映像が流れるだけで震えが止まらなくなったりしていたメリーがだ。


「あ……ごめん、危ないよね、普段から使ってないのに、よりにもよって私が使ったら。何処かで間違ってたら火事に――」


「違う……そうじゃねえよ」


 そんな事より……そんな事よりだ。


「怖いんだろ火が……なのにお前……大丈夫なのかよ……なんで……ッ」


 きっと……間違いなく彼女が抱えている火に対する、炎に対する恐怖心やトラウマは、常人のそれとは訳が違うんだ。

 何せ焼き殺されたから此処にいるのだから。

 だけど……だけど。メリーは言う。


「将吾が何なら食べられそうかなって思って調べて、それから………………頑張った」


 怖いことを思い出したようにお盆を持った手を震わせながら、それでも下手糞な作り笑いを浮かべて、メリーはそう言ってくれた。

 怖いのを全部全部押し殺して。

 それでも作ってきてくれたんだ。


「美味しくなかったら残してもらってもいいから……食べてみてよ」


 そう言って彼女は俺にお盆を手渡してくる。


「……ありがとう、頂くよ」


 それを受け取って、作ってもらったお粥に視線を落とす。

 予想はできた。

 見るからに失敗作だ。

 焦げている。

 当然だ。

 初めての料理で、それも火に異常な程の恐怖心を抱くメリーから、まともな物が提供される事なんてないのは、何も見なくたって理解できる。

 だけど……そんなのは関係ない。


「いただきます」


 そんなに辛い思いをしながらも。

 多分フラッシュバックも重ねながらも。

 それでも俺の為にこれを作ってくれた事に意味がある。

 一口、お粥を口に運んだ。


「……ッ」


 そこで、もう限界だった。

 ……涙があふれ出てきた。


「ご、ごめん! やっぱり不味かったよね! 何か……何か買ってくるから」


「いや……美味しいよ」


「……え?」


「大丈夫……ありがとう」


 言いながら。口にお粥を運びながら……涙を拭いながら、感情が湧き上がる。

 ……俺はこういう女の子を焼き殺してしまったんだなと。

 そんな罪悪感と……一つの決意。


 天秤は傾いた。

 彼女を焼き殺したどうしようもない人でなしが、生きていていい筈が無い。

 メリーの復讐は……必ず、完遂させなければならない。


 それでいい……それがいい。

 そう考えながら、俺は彼女の作ってくれたお粥を口に運んだ。

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