第11話への応援コメント
ツイッターから来ました。
希死念慮や愛といった目に見えないけど確実に存在する事柄について、おもしろい考えが書かれていて、似たようなテーマの小説を書いている身としてとても興味深いなと思いました。
『子どもに生を押し付ける』。世には「産まなければよかった」「産んで欲しいなんて頼んでない」というテンプレートのようなやりとりが存在するほどですから、少なくとも生を押し付けられたと思う人間がいるのは確かでしょう。
生を受けてしまったら、生を押し付けられてしまったら、あとは世のルールに従って生きていかなくてはならない。この作品を読んでいてそれが確かに窮屈であったこと再認識しました。
この表現が適切かはわかりませんが、おもしろかったです。言い回しの広さに圧倒されました。大変勉強になりました。ありがとうございます。
作者からの返信
読んでくださりありがとうございます。とても嬉しいです!
第11話への応援コメント
読み終わった感想をここに書きます。
魂に代謝があるのなら、いったい何万キロカロリーを消費すればこれだけのエネルギーを持った作品を書けるのだろうかと圧倒されながら読んでいました。私は、この作品に狐火さんの叫びと生への怒りと祈り、そして死への憧れと恐怖、あらゆる感情の発露を見た気がしました。正直に言うなら、読んでいて気圧されるほどでした。自分にこの作品の感想を書けるのだろうか、と普段あまりすることのない逡巡まで浮かんだほどです。
これ……書いているとき、とても辛かったんじゃないですか?
そんなことをいうと、失礼かもしれませんが……でもそう思わずにはいられない叫びのようなものを感じたのです。
マリア様。随所に出てくる主人公にとっての愛と生の象徴のような存在。そのマリア様にすがり、そしてときに否定し、最後には見捨てられてしまう。
彼氏の存在。その彼氏を裏切りながら蔑む主人公。まるで地獄にいるかのような不信感と怒りと悲しみ。
主人公は、彼らに見放され空っぽになり、果てに死を選んだのだろうか。そんなことを思いました。
一見すると突発的で感情的にも見える主人公のある種の一貫性のなさと、螺旋のごとく捻れた認知から滲み出る苦悩の繊細さに、僕は涙を流してしまいそうになるくらい胸を打たれました。
ここにはただひたすらに思いの発露がある。これは生きる足掻きであり、これこそ散文ですよね。僕は久しぶりに、本当の意味で身を削るような文章に出会った気がしました。あなたの作品はとても素晴らしいです。
他にも書きたいことは山程ありますが、この辺にしておきます。あまり纏まっていないかもしれませんが、ご容赦を。
読ませていただいて、ありがとうございます。