ゆくぞ部員たち、もののあはれを知りたまえ
『押さないでくださーい!ゆっくり前に進んで!そこ立ち止まらない!!!』
『はいそこの列で止まって!一旦切ります!あああ前に出るな!!!テープより前に出るなあ!!!!』
すっかり明るくなった頃、ミナミと俺は七百四十万五千九百二十六の地獄の悪鬼と共に行列を進んでいた。
「『る』!?またるですか!貴方性格悪いってよく言われません?」
「悪いなミナ太、俺はしりとりでも手を抜けない男なんだ」
「誰がミナ太ですか誰が、これだから私がお風呂の間変な本を居間に放置して反応伺おうとする人は」
バレテーラ。
「何言ってんだんな事するわけないだろ、おっ列また移動するみたいだぞ」
「またですか?」
それからまた少し経った。
「あの…もう三時間以上経ってますよ、疲れてきましたしちょっとここ怖いんですけど……皆さん目が据わってます」
「離れるなよ、彼らは最後の大隊であるカンプグルッペ。今から半年貯めた体力を爆発させようとしてるんだ。正に戦争の前に振り下ろされんとする握り拳。対するは運営という名のヴァチカンイスカリオテ、戦闘に巻き込まれたら命はないぞ」
「来なければ良かったです……」
それは俺もちょっと思い始めている、面白そうって浅はかな考えで参加を実行に移すべきではなかった。足がそろそろ悲鳴をあげてきた、ここは大英帝国ロンドンそのものに違いない。誰だよ始発で行こうって言ったやつはよ。
「暑いですね」
「暑いな」
何度呟いたかわからないセリフをこぼす、夏とはいえ朝からこんな暑さは参ってしまう。会場に入った一体どうなってしまうんだか。
「あっまた列移動するらしいですよ」
「もーう!これで何度目だよ、ちっとも前に進まないし」
手を上げながらだらだら前に着いていく、建物は見えているのに一向に前に進まない。なんで俺たちは好き好んでこんな無間地獄にいるのだろう。
「気になったんですけど私達殆ど始発で直接来ましたよね、なんでこんなに前にまだまだ人がいるんですか?」
「徹夜かホテルから歩いてるかだな、後者はまあグレーだけど前者は気が触れてるに違いない」
「なるほど、だとしてもただの本の即売会ですよね。皆さんそんなに必死になるものがあるんですか?」
「あるんだよ」
男には譲れないもんがな。
それからまたしばらく待っていると前の方が騒がしくなってきた、スマホで時間を確認すると十時、この世で最も俗な祭が始まったようである。
「始まったみたいだぞ、ほら列も進んでるし」
「やっとですか、入る前からこんなに疲れて大丈夫なんでしょうか」
「わからん、とにかく進むしかもう道はないのだ。あと疲れたならおんぶでもしてやろうか?」
「もういいですよ……」
ツッコミに切れがないところを見るとだいぶ参っているようだ、体力的にだろうが多分精神的なのもでかいんだろうなあ。許せねえよこんな所に連れてきた奴をよ。
ぞろぞろと階段を登ったりエスカレーターを下りたりする、もはや自分でどこに向かっているのすらわからない。なんでさっき汗臭い通路を登ったのに下りなくちゃいけないんだ。
「私たちは何処へ向かえばいいんですか?」
「一応メモを貰ったから入ったらそこを目指そう、はぐれないように今のうちに手でも繋いでおくか?」
「そうですね、はい」
冗談のつもりで言ったのだが間髪入れずに手を握られてしまった、柔らかくしっとりと汗ばんだミナミの手。触れるのは一度や二度ではないがこうしてしっかりと手を繋いで歩くというのは初めてだ、照れるぞ。
「おっ、おう。積極的だな」
「あんないやらしい本ばっかり読んでてよくそんなこと言えますね」
「それとこれとは違うだろ」
「そうなんですか?」
「そうだよ、その理論で言ったら今近くに蔓延っているバタリアン共は百戦錬磨の絶倫ランスって事になるぞ」
「確かにそれはちょっとなさそうですね、現実の耐性と非現実の耐性はイコールではないと」
「当たり前だ」
アホな会話をしていると道が開けた、いや今でもすし詰めなのだが。大きな道が枝分かれしておりそこらに出店や自販機、大きなのぼりまでがある。ここが正面通路か?
「なんだか一気にお祭り会場っぽくなりましたね、壁紙は半裸の女の人だし自販機には見た事ない卑猥な飲み物が売ってますけど」
「ほんとだ、しかもたっけえなあオイ水の癖によお。富士山じゃねえんだぞ」
「早く行きましょう後ろがどんどん迫ってます、漫研のサークルはどっちの道ですか?」
「や、わからん」
「わからんってそんな!」
「いやいやひらがなと数字が書いてあるだけでわかるか!別れ道も階段もエスカレーターも沢山あってどこ行けばいいかわかんねえよ!」
ドラクエⅥのお楽しみダンジョンじゃねえんだぞ!
「分かれ道の上に館名とひらがな書いてありますよ!ほらよく見てください!」
「ほんとだ、あったあった。じゃあ多分あっちだな」
ミナミの手を引きながら人をかき分け進む、ああもう汗臭い!
「やあお疲れ様、仲良く手なんて繋いじゃってさぞ楽しかったんだろうねえ」
涼しい顔のトキが待っていた、何故か第五ドールのような赤いドレスを着ている。長机にはこれまたこの暑さに不相応なゴスロリドレスを身にまとった双子が。
「楽しいわけあるかタコ、来るだけでこんなに疲れるとは思わなかった」
「私達も大変だったよ、こんな数のダンボールを運んでさ」
「大変でしたのよ、初めて顔を合わせる筈なのに執拗に隣から本の交換を迫られますし」
うわあ。
「想像もしたくないな、それでなんでトキはそんなアホみたいな格好してるんだ?お前に紅茶とローザミスティカは似合わないぞ」
ペちんと髪の毛で叩かれる、何すんだこのジャンク!
「お黙りなさいジュン、クロが当日コスプレしろって言うから昔買ったドレスをわざわざ引っ張り出してきたんだ。わざわざ髪もセットしてね、ふふん似合うだろう?可愛いだろう?」
「ミナミ、飲み物買ってくるから椅子借りて休んでろ。お茶でいいか?」
「ええはい、ありがとうございます」
「最近冷たいぞ!ちょっとは構ってくれ!」
「ああもう暑いんだから近寄るなバカ!」
すごい目で周りから見られてるし、もうやだ。
お茶を買ってきてひと段落。
「で?売れ行きはどうなんだよ」
「さっぱり。少しは来たんだけどね」
「まったく。フォロワーですと言ってきてくれた人はいましたけど」
「やっぱりもっと宣伝しとけばよかったか、まあほぼ無名の元クソ漫画家なんてこんなもんか」
「本人を前にしてよく言えるね」
「全くです、このままでは後ろの在庫が丸々残ってしまいます。何とかしてください」
「なんとかってなんだよ、やっぱりアホだろ。一冊五百円って同人にしては超お手頃価格はいいとして二千部とか捌ききれるわけないんだよなぁ」
「可愛い『私と』双子が座ってれば売れるって言ったのはクロじゃないか」
「は?ミナミも可愛いだろ殺すぞ」
「いきなり何言ってるんですか」
「クロ、君少し疲れてないかい?」
おお危ない危ない、会場の熱気のせいで正気を失っていた。
「うーんそうだなあ、トキ。お前ちょっとそこで自爆でもしてみてくれよ」
「出来るわけないだろう、私は星一の弓兵じゃあないんだ」
そうすればきっと人も寄ってくると思ったのに。
「アイデア探しついでに散策してくる、ミナミは来るか?」
「……行きたくないですけど行きます」
どっちやねん。
「無理しなくてもいいけど」
「いいえ、さあ行きましょう」
勘違いかもしれんが最近ミナミがやたら引っ付いてくる気がする、アニメも一緒に見たがるし。気のせいか。
「じゃあ店番よろしく、トキもなんか面白そうな事考えとけよ」
「クロはよく考えず喋ってそのくせ覚えてないってのをよく知ったよ、いや思い出したよ」
なーに言ってるかわかんないっすね、ふんわりとミナミの手を握りぶらりと出る。
「外でも行くか、こんなサウナよりはマシだろ」
「上の方に汗で雲が出来てるような空間から逃げられるならなんでもいいです」
「言うな言うな余計気分が落ちる」
らきすたでも言ってたなそんな事、流石に誇張だと思ってたが実際にあるとは。
ウォウウォウウォウと人を押しのけ蹴落とし外へ、やっと出られた。
「トイレ平気?」
「デリカシーの欠片もないですね、平気ですよ。それよりお腹空きました」
「と言ってもどこかにありますかねお店」
「あっちに多分ファミマがある、そこ行こ」
「了解です」
ファミマにたどり着く、携帯をチェックするとトキから
『昆布のおにぎり二つ、納豆巻き二つ、麦茶二つ、ドクペとカツカレー一つ』
と返信が来ていた、誰が何を食うかわかり易すぎる。てか納豆巻きて、あとやっぱりあいつにはこち亀の世界にご退場願おう。
「買えるといいけどな……」
「ここに入るんですか……?」
そもそも入る前からすごい行列だ、並ぶ他あるまい。
「なんか今日は列に並ぶか歩くかしかしてねえな」
「今の所お祭り要素がほぼないですよね」
「同感」
三十分程待ってやっと入れたが中も酷い、朝のサラリーマンもびっくりな混雑具合だ。リュックを前に抱えたオタク共が狂ったようにカロリーメイトとウイダーなゼリーを買っている。
「こんなんで普通のメシあるのかよ…ってあった!しかもなんだこの量ウォールマリアかよ」
おにぎりコーナーではおにぎりがダムのような積まれ方をしていた、昆布も明太子もごっちゃだがこれが店員の知恵と苦労の結晶であろう。合掌。
「極めて食材に対する侮辱に見えますがこんな状況だと致し方ないんでしょうね、ああこっちではカロリーメイトの山が崩れそうです」
「ほんとだ、あんな量積まれてるの初めて見たぞ。こいつらどんだけカロリーに飢えてんだよ」
「もう早く買って早く出ましょう、欲しいもの手に取り忘れたら二度と道を戻れませんねこれ」
「こっちはとりあえず確保したぞ、ミナミも何か好きなもん取れ」
「もう取りました」
手にはたい焼きデニッシュ白玉入りとオムライスおにぎりが、……ミナミも中々変わり者なのを忘れていた。
「じゃあ出るか、ほら財布よこせ先に出てていいぞ」
「あっありがとうございます」
お小遣い以外はミナミが全ての財布勘定をしているのが家だ。
「シャーセッッッ!!フクロッハ!リマスカッアッ!???」
なんて?
「お願いします」
「ゥはィっッ!sんキュヒャクッ…ジュエンッスッッッ!!!!」
は?とにかく二千円出しておこう……
「ありあとアシターッ!!!ツギノカタァーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
酷い。いや店員を責めるのは違うだろうが色々酷い、何がとは言うまい。それよりもオタクなんて会計もトロいのかと鷹を括っていたが商品と同時に金をピッタリ出している。むしろ俺が遅かった、もうなんなんだお前ら普通に働けよ。
「ただいま」
「おかえりなさい、……老けました?」
酷い。
「おかえりクロ、老けた?」
「老けとらんわ、お前マジでふざけんなよカツカレーなんてかさばるもん頼みやがって」
「やあやあありがとうありがとう、これであと三時間は戦えるよ」
「双子もホレ」
「「ありがとう」」
皆で早めの昼を食べた後。
「よっし、じゃあ店番変わるか?しばらく座ってたいしお前らも見て回りたいだろ」
「いいんですか?じゃあお言葉に甘えて」
「プリコネの同人があったら買っておいてあげるね」
「私はどうしよう」
「それなんだけどお前コスプレコーナーに行ってキモオタ共に撮られてこいよ、見た目はいいんだから。ついでに店の宣伝もしてこい」
「酷すぎる」
「可憐で美しいお前にしか頼めないんだ、頼むよトキ。俺ら親友だろ?」
「えぇ?いやいや照れるじゃないか、よしたまえよむっふっふ。よーし私に任せたまえ!」
ちょろい。世界の真実にたどり着いた十八歳のロリ先輩みたいな事を言ってすっ飛んで行ってしまった。もののあはれを知れ。
「では私達も行ってきます」
「千部くらいは捌いておいてね」
「できるか」
さっさと行ってしまう双子、座るだけなのも飽きたのだろうか。
「じゃあ張り切って売るぞお、それとも何か見に行きたかった?」
「いえ、もうこりごりです」
まだ何も本見てないんだけど、まあいいや。さあさあよってらっしゃい見てらっしゃい、おにーさんにおねーさん、忙しい方もそうでない方も少しばかり時間をちょうだい。世にも奇妙な漫研サークルの、愉快な漫画はこちらにござーい。
「飽きたな」
「三分もたってないですよ」
「だって人が全然こないんだもん」
「なんででしょうね、普通に出来はいいと思うんですけど」
「いいものならばいつかは流行るなんてのはまやかしだってラーメンハゲも言ってたしなあ、やっぱり宣伝だよ宣伝」
それにメイド漫画はエマっていう金字塔があるしなあ。
「時希さんがうまくやってくれるといいですけど……あっ」
「ん?」
一人のモブオタクがこちらに来た。
「……一冊ください」
おお?客か、客なのか!
「五百円です」
ちゃりんと渡されこちらも本を手渡す。
「ありがとーございマース」
「ございます」
すたこら行ってしまった、なんなんだ一体。
「やったな一冊売れたぞ」
「ええ」
正の字が書かれた紙に棒を足す。
「よーしどんどん売るぞ、これからこれから」
「ふわーあ」
それっきり本が売れることはなかった。
「これ全部宅配で送り返すのか……」
限りなく積まれた例のアレ、およそ千九百部。
「全く散々だったね姉」
「全く誰かしらねコミケに出ようなんて言ったのは」
じっとこちらを見る双子、お前らじゃい!
「どこに送るんだよこの量」
「とりあえず学校の部室に、倉庫があるのでそこにぶち込んでおきます」
「一応メロブとあなのオンラインショップに通販しとくよ」
「ダメそう」
「やあやあただいま、あれ?これ全部売れ残りかい?」
今更ノコノコ帰ってきたトキ。
「やあやあじゃねえよお前今までどこで何してたんだ」
「クロがコスプレコーナーで宣伝しろって言ったからそうしてたんだよ、いやー粘着質な視線を感じながら汗を撒き散らし視線くださいと言われ続けるのがこんなに苦痛だなんて。ザ・ハウスオブザデッドって感じだったよ、まあ使命は果たしたつもりだ」
「地獄だな」
3いいよな。リロードが疲れるけど、昔クソほどやったわ。
「もう今日は疲れました…」
「じゃあもう解散にしましょうか、私達は金を握らせて黙らせた使用人の車で帰るので」
「豪勢な事で。じゃあそうすっかあ」
おつかれーと現地解散、半分寝てるミナミを引っ張り帰る。
「結局私はオタクに撮られて宣伝する為に来たのか」
「雰囲気は楽しめたろ、楽しめたよな?」
「少なくとも余程のことがないと二度は来ないね」
「全くだ」
「眠いです……」
「ほら見てくれクロ!これこれ!」
数日後、何故か人気になるという目標を達成したにも関わらず部室でミナミとだらだらしているとトキが興奮して動画を見せてきた。
「なんだこいつ……ってお前じゃん」
お人形さんみたいな美人が、というかトキが眩しい笑顔でオタクに囲まれていた。
『こっち!次こっちに目線お願いします!』
『はーい☆』
『うおおおおおお!!!』
うわあ。新しい英雄!じゃない、これがオタサーの姫か。
「これが今ツイッターでめちゃくちゃ伸びてるんだ」
世も末だな。
『サークルめろん亭の『チャーリー』もよろしくね☆』
『うおおおおおお!!!』
雑だ。
「ほらほらちゃんと宣伝もしておいたんだ、きっとこれなら通販の分が沢山売れてるはずさ」
「双子〜どうなの?」
「ええ?」
「今確かめますね…あらほんと、すごい勢いで売れてます」
そんなことある?
「わあほんとだ、あなの方でも売り切れてるよ」
「はっはっは!人気者は辛いなあ!」
「レビューに名ブロガーお墨付きなだけはありますって書いてあるよ」
「ツイッターにもそう書いてあるわ、美人レイヤーが狂ったように宣伝し続けているとも」
「そんなアフィカスっぽいやつ来たっけ……」
「一人だけ来たじゃないですか、買ってすぐどっか行っちゃった人が」
思い……出した!いたなそんな奴。
「良かったじゃん売れて、これでもう思い残すことは無いな」
「「はっはっは」」
ドヤるなドヤるな、いいのかお前らそんなんで。
「スマブラでプロ活動してた頃のフォロワーをあっという間に抜かしたよ!いやーオタクってチョロいね!」
全て丸く収まったな、第三部完!
後日。
「規約違反でコミケ出禁喰らいました」
「レイヤーで売名行為はどうなんだよって炎上してる!」
「ぎゃあああ!!私のエロアイコラが作られてる!!!???」
そう……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます