お料理編
素晴らしい一日
「このサバ味噌は出来損ないだ、食べられないよ」
言い放つ男。
「明日、ここに同じ時間来てください。本物のサバ味噌をご馳走しますよ」
男はそう残すと、箸を置き扉へ向かう。
「あの!せめて…せめて!どこがいけなかったのか…わたくしに教えてくださいませ!」
震える声で、女は叫ぶ。
男は扉に手をかけながら振り向かずに言った、それに申し訳なさそうな顔でついて行くもう一人の女。
「そうだな、しいて言うならーーー」
……ねえってば起きなよクロ、朝だよ。南眠ちゃんが朝ご飯作ってくれてるよ」
むん、なんだ。ゆらゆらする。
「早く起きないとファーストキス奪っちゃうぞ?いいのか?いいらしいよーし舌まで吸っちゃうぞ、歯もねぶって歯磨きの手間省いてあげちゃおっと」
聞き捨てならないセリフを吐いているアホのせいで覚醒してしまった、めっちゃ眠いのにまったく忌々しい。誰のせいだと思ってんだよ、どんな手を使ってでも仕返ししなくては。
薄目で確認するとんーっ、と唇を突き出しながら俺の顔に近付いている所だった。さーてどう仕返ししてやるかね。ギリギリまで来るトキ、そして。
「なーんちゃって!実はもう起きてるんだろう?目が微かに動いてるぞ?まったく可愛い女の子とキスできそうだからって狸寝入りなんてそうはいか
ガバッと起き上がり一気にトキを抱きしめぐるりと反転させる、「えっ」と言う声を漏らし今まで俺の寝ていた所に転がるトキ、放り出された手もがっちり俺の手でホールドだ。
「あっあの、寝ぼけてるのかい?」
「お前が悪いんだからな、俺の朝の息子の機嫌を損ねさせた罰を取らせてやる」
「え、いやごめんって。クロ、手離して痛いよ」
「実は再開した時からお前に惚れてたんだ」
「はっ?」
「さっきので我慢できなくなった、お前も満更じゃないんだろ?」
手を掴んだまま顔を近づける。
「やっ、その。違うんだ、出来心でついからかっただけなんだよ」
「トキ、」
できる限り真剣な顔で親友の名を呼ぶ。
「はっはい」
「目、瞑れ」
「ええ!?あっちょっ……」
トドメだな。
「好きだ」
「あっ……」
目を瞑り顎を上げふっと唇を閉じるトキ、いいメスの顔になっていらっしゃる。その顔を俺は……
ぱしゃり。
「えっ?」
枕元のスマホで撮ったった。
「おおいいキス待ちフェイスだ。待ち受けにしたろ」
「えっ、えっ?」
「オイいつまで変な顔で転がってんだ、メシなんだろ行くぞ。ミナミの朝メシを冷ますなんてこの世で最も愚かなことの一つだからな」
未だ呆けている色欲の魔物を放置し居間へ向かう。
「さーて今日もきっといい一日になるよね、トキ太郎!」
「ふっざけんな!!」
「へけえっ!!!!!!」
ああ、つまり今日も平和である。
「おはようございます、相変わらず酷い顔ですよ」
「うるさいよ、それにこれは横のバーサーカーにやられたんだ俺のせいじゃない」
「うるさいよ、私のソウルを弄んでさ。まったく朝から酷い目にあった、あとさっきの写真は墓地に送るように!」
「わかってるって」
絶対消さない、永遠に俺のターンだ。
「はい、どうぞ」
「おん、ありがとうな」
「時希さんもどうぞ」
「ああ、ありがとう」
仲良くお茶碗を受け取り朝ご飯におはようする。今日は白味噌に白菜と油揚げのおみそ汁、きゅうりのぬか漬けにだし巻き玉子と納豆がついている。涙が出そうなラインナップだ。ミナミは家のマリア様である、横のドSとは大違いだな。
「いただきます」
「あっ、いただきます」
「はいどうぞ、召し上がれ」
ズズズと味噌汁をひとすすり、うーん白味噌の柔らかな旨味が口にひろがる。油揚げを入れているからだろうか、微かな甘みを感じつつ白菜と一緒に食べるとふんわりしゃっきりと目の覚める食感で一日の始まりを優しく迎えてくれる。
きゅうりのぬか漬けがまた泣かせてくる。ポリポリとこちらもいい食感と程よい塩気。何やらミナミはぬか床を自分で作りぬか漬けを育てているのだ。おばあちゃんの家に遊びに行きそこで出てくる味のようでふるさとの味とはこういうものなのかとさえ思う。炊きたての白米がどんどん進み半分まで食べたところで禁断の納豆かけご飯だ、熱々のご飯に納豆はよく合う。適度な温度になってかきこむことができるようになるので味噌汁、納豆ご飯、と言うコンボで天国を味わうのが俺流さ。
少しそのコンボに飽きたらだし巻き玉子の登場、味噌汁もだが、わざわざかつぶしと昆布からだしをとっているので鼻に抜ける素晴らしい香りとうま味調味料のない混じりっけなしの本物を堪能できるのだった。
「ごちそうさま」
「はい、おそまつさま」
「わあ、クロ早いね。しかもなんか凄い箸の使い方綺麗だったしほんと変な所綺麗だよねクロは」
「変な所は余計だ」
「そうですよ、お米ひと粒残しませんしお鍋にした時は食品サンプルみたいにお椀に盛り付けてたんですから」
微妙に照れるのでその辺でやめといて欲しい。いいだろ女の子だってラーメン食べる時レンゲでミニラーメン作るじゃん、あれと一緒だろ。
「モテる男は内側からって言うからね、もうちょっと頑張ればいい男だと言うのにクロは」
「何が男は内側からだ、そんな言葉言うやつは信用ならん。どうせみんなまずは外側から入って九割その印象が抜けないもんだろ」
「残りの一割でほぼ全お嬢様に引かれた人は言うことが違いますね」
うるせーやい。
のろのろ食べ続けるトキ(ご飯に味噌汁かけて食べていた)とミナミを後目にごそごそ着替え始める、既に制服が綺麗に畳まれて置いてあるのだ。今更だが下着まで洗濯してもらって制服もこうして準備するなんて嫁力が高すぎる女だとつくづく思う。
「ぎゃあ、なんでここで着替え始めるんだ。男のサービスシーンに需要があると本気で思っているのか?そういうのは美男高校生で充分だ」
「俺は地球防衛部だった…?てか何言ってんだ、わざわざあんな六畳間に戻るわけないだろ、お前だけだぞ動じてんの」
ころな陸戦規定に違反してる訳でもなし。あんな事あってあのラノベは風評被害だよな可哀想に、ちなみにゆりかが好み。
「もう慣れました、そもそもこの人はお風呂上りにタオル一枚で出てくるので今更です」
「な、そ、そこまでなのかクロは。いや君たち想像以上に夫婦してるな」
「してないわい」
「してませんよ」
「ああ、もういい。こっちが惨めになってきた」
何一人で落ち込んでるんだろう、あっらいたてのシャツゥ~をさっと羽織りネクタイを、ネクタイを……
「なあミナミ、やってくれ」
「はあ、しょうがないですね」
「やめろ!私の前で見せつけるな!」
「見せつけてねえよ!あとお前ねこまんまに納豆とおかず乗せるなよどんだけ和食食うの下手くそなんだ」
「うるさい、私はこうして食べるのが好きなんだ」
あっそ。
「ハイどうぞ、出来ましたよ」
「ん、ありがとな」
「いーえ?代わりに夜私の爪切って下さいよ。貴方そういうのは何故か凄く綺麗ですからね」
「おういいぞ、プラモ作りで鍛えた腕前見せつけてやるぜ」
すべすべおててに触れるなんて願ったり叶ったりだ。そして何故かトキがものすごい勢いで納豆ねこまんまをかきこんでいる、あいつ次来た時はレトルトカレーでいいんじゃないかな。
やって来ましたヘイ女、女の子二人を侍らせて登校なんて中々俺も出世したもんだ。別クラスのトキと別れいつもの教室へ、入るがやっぱり昨日と目線の種類が違う。なんというか小学校の時風邪で二週間くらい休んでやっと登校してきたさほど人気じゃない男の子を見る目に似ている。
椅子に座りフウと落ち着く。さーてスマブラ部の件は何故かお咎めなしだし約束の活性化も一応出来たし一段落だろ、しばらくは「苦郎様あぁ!」平和に……(#^ω^)
「苦郎様!初めまして!わたくし鬼祇麗免泰子と申しますわ!」
うっわぁ濃いのが出てきた、金髪(またかよ)をドリルにし赤いリボンカチューシャをつけて露骨に校則違反なふわっふわのドレスを着た派手めの美人さんが立っていた、何故か包丁を持って。怖いよ……
「な、なんの用すか……」
「わたくし、貴方に結婚を申し込みに来ましたの!」
「は?」
「は?」
同じ反応をするミナミ。あとそのスマブラしてる時みたいなオーラしまえ。
「急に何言ってるんだお前、少しは常識ってものを知ってますか?」
「どの口が言ってるんですか」
「「「どの口で言ってらっしゃるのかしら…」」」
もう帰っていいかな?
「うるさいっ、お前ら最悪だ。なあキギリメさん?だっけか、なんで急に俺に結婚申し込んでんだよ」
「嫌ですわ、下の名前で呼んでくださいまし」
ううううう。
「もーう!やだね!いいからなんで結婚したいのさなんでなんで!?クロウちゃんわかんないわかんないわかんないよ!」
「あっちょっと、恥ずかしいので幼児退行しないでくださいよ。ほら私は味方でいてあげますから、よーしよーし」
そんな言い回しどこで覚えたんだ、あのアホか。
「わーん!ミナミママー!おっぱいー!」
強烈にほっぺたを抓られているとキギリメは口を開いた。
「わたくし、昔からお父様に言われ続けていました。『私は親の都合で結婚相手を決められてしまった、妻を愛してはいるが泰子は自分の運命の相手を自分で探して結婚しなさい』と」
はあ、
「どっこい、何故か放り込まれたのは女子校、出会いといえば家に届くボンクラおぼっちゃまばかり。あんな軟弱者共が運命なんてちゃんちゃらおかしいですわ」
こいつ本当にお嬢様か?
「ところが昨日!おともだちに面白いものが見れますわよ、と言われついていった下品な施設でついに見つけましたの!運命の御方を!」
ぶんぶん目の前で振られる包丁、怖い怖い。
「あの真剣勝負らしき中も下衆な心で勝利を勝ち取らんとする意志!隠そうともしない下心!そして極めつけは…!」
極めつけは?
「その顔ですわ!何故か割と整っているシンプルに好みな顔!一発で撃ち抜かれましたわ!」
「よかったですね、褒められてますよ」
「最後だけな、ちなみに俺ってかっこいいの?」
「まあ、確かに割と出来はいいです。変なこと考えず何もしていない時だけですけど」
ほーん、うれしいなー。
「それでその顔のいい俺だが残念ながらもう嫁がいる。じゃあなお疲れさん」
ぐいっとミナミを引き寄せ話合わせろと耳打ち。
「ご迷惑おかけしてすみませんねうちの主人が…あなた、今日は何が食べたい?」
「ロールキャベツかなあ」
ちょっとやりすぎな気もするが素晴らしい嫁力、マトモなザコお嬢様ならワンパンだろう。だがしかし目の前のヤツはマトモじゃなかった。
「勝負ですわー!」
またかよ……
「何が?」
「そちらの南眠様と料理で勝負です!そもそも二人ともまだ学生ではないですか!嘘に決まっていますわ」
するどい。てかじゃあお前もじゃね?
「一週間後、調理室で一品用意し苦郎様に味わっていただきます!それでもしわたくしが勝ったら南眠様には身を引いてもらいますわ!」
「やだよ」
「いいですよ」
「オイ待て、勝手に引き受け
「ではまた一週間後!手首洗って待ってろですわぁぁぁ〜!」
行ってしまった、なんなんだあれは。
「何勝手に引き受けてんだよ、面倒な事になっちゃったじゃんかよお」
「あのままここでダラダラ話されるよりは楽だと思ったんですよ、しかも私が料理で負けるとでも?」
「確かに」
「あと、ちょっと私が楽しそうって思ったのもあります」
ええ、まあ確かにミナミの料理は家庭的だが仕事が丁寧で安心させてくれる、素晴らしい味だ。あれに適う奴なんて、それこそあんな料理もした事なさそうなお嬢様にはーー
「それに、」
「ん?」
「貴方が、私の料理を選ばない訳がないでしょう」
つい、と顔を背けてしまった。
「お前…言っとくが俺は料理の味に対しては厳しいからな、えこひいきは絶対にしないぞ。あとそのセリフは……」
何も言わず行ってしまう。それっきり、学校を出るまでこちらが話しかけても返してくれる事はなかった。
その日の夕食はロールキャベツだった。
さあ当日だ、指定された調理室とやらにミナミと向かう。そこには何台もの新品同様の調理台に特大オーブン、奥には業務用ガスコンロや大釜もある。おお、スチームコンベクションまで。あれクッソ便利なんだよなぁ家にも欲しい。ちなみにあれの中の匂いでその調理場の衛生管理が大体解ったりする、いやあ酷い所はこの世の終わりみたいな匂いがするぞ。
それはさておき微妙な数の観客とキギリメが仁王立ちで待っていた、エプロンは分かるがなんでメイド服なんだ?全然似合ってない。
「来ましたわね」
「来ないとお前包丁持って押しかけて来るじゃん」
「なんのことでしょう」
「とぼけやがって、よっしゃミナミやったれやったれ!お前なら無敵だ!」
「うるさいです、今日はよろしくお願いしますね?鬼祇麗免さん」
「す、凄いオーラですわ」
あいつがこのオーラを出す時は決まってスマブラか風呂に虫が出て渋々俺を呼ぶ時だ、良かったなそれと同等に見られているぞ。
「では早速始めましょう!ルールは簡単!材料は用意いたしました、これを使って苦郎様がより美味しいと思う料理を作った方が勝ちですわ!」
うーん食戟だ。
「わかりました。料理の種類はなんでもいいんですね?」
どこからか取り出したいつもの割烹着を身につけ、髪を結いながら尋ねる。
「ええ!料理の数も問いませんわ!」
合図と共によういどん、時間制限はなく審査員は俺のみというふわっふわな勝負だがまあ両方楽しそうなのでヨシとする。料理してる女の子っていいよね。
さあまずミナミは食材の積んである台からお米を持ってきた、ボウルを用意しお米を研ぐ、ご飯ものか?まさか普通に定食を出すのではあるまいな。研ぎ終わり浸漬させて次は冷蔵庫へ、ここまで一分。手慣れている。豚肉、玉ねぎ、卵を取り出した。三つ葉まで持っている、そんなものまで。
一方キギリメはまな板と出刃包丁を用意し冷蔵庫からサバと生姜、長ネギを取り出した。続いて味噌、砂糖、塩、みりんに醤油、最後に酒とくればまあ流石に分かりやすいな。にしてもあいつ俺の好物をどこで、決して誰にも話していない国家機密レベルのトップシークレットだというのに。
鯖をさばき始める(激ウマギャグ)キギリメ。刃で全体のぬめりをとり、えらから一気に袈裟落とし。頭を取った後腹を開いていき内臓を引っ張り出す、そして一度シンクで血合いを取り始めた、うーん仕事が丁寧だ。終わったら背中から包丁を入れ二枚おろし、ひっくり返して骨に沿うようにもう一度切って三枚おろしの完成だ、こちらも一分程で終わらせてしまった。ううむ中々に手慣れている。
トトト、という音に視線を移せばミナミが玉ねぎを薄切りにしていた。いつの間にか水が張られ昆布が入った鍋が火にかけられている。途切れることのない包丁のリズムはなんて心地いいのだろうか。三つ葉の根元も落とし野菜を別の皿へ移すと豚肉を取り出す、切っ先で脂身部分と筋を等間隔で切っていた。こうすることで火が入った時肉が曲がらないのだ、こちらも仕事が丁寧である。
下味を素早く付けるとくるりと振り向き丁度沸いた鍋へ、昆布を取り出し持ってきたかつお節をドサッと入れる。二十秒ほどでこちらも取り出す、これで見事な黄金色をした調理場を満たす、いい香りの出汁が完成である。あのまま飲んでみたい。
フライパンへ油を注いだ後別の鍋に米と水を入れる、浸漬時間が足りないのが悔しいのか、微妙な顔で少し多めに水を入れ蓋をし火にかけた。また違うフライパンに調味料を合わせ始めた。
さあキギリメもフライパンを出したれを作り始める、こちらも別に沸かしていたお湯をサバの切身にかけ始めた。おおちゃんと霜降りしている、臭みがとれ美味しくなるが加減を間違えると旨みが落ちてしまうので注意だ。加減よく切り上げ冷水へ、水気を取ったあと切身をショウガ、長ネギを酒と砂糖と水で煮た所に入れる。半分漬からせ落し蓋をし弱火で火を通し始め、その隙に今度は生姜を細切りにする。
しゅわあと景気のいい音、ミナミが豚肉を揚げていた。横には既に親子鍋に玉ねぎが入った美味しそうな出汁が、ああ。あれにかつが乗り、卵まで絡まった時は、それはどんなにかーー
火の通った鯖を少しよけ、たれを二杯程すくいあげる。ボウルに入れ味噌とといて戻し入れる、何度か繰り返すとお馴染みの美味しそうな匂いが漂ってきた。そろそろお腹が空いてきたぞ。だがまだまだ煮込むらしい、アルミで落し蓋をして放置だ。
さあ佳境である。カラッと揚がったかつを素速く切り親子鍋へ、ぐつぐつと煮込み始めた。その隙に炊きたてのご飯を丼へ、カツ煮に戻り卵をとき入れる。ふつふつと半熟になったらご飯へ滑り入れ、三つ葉を添えて~完成。見事なかつ丼だ。
キギリメも仕上げだ、優しく皿に盛り細切りの生姜を添える。形崩れせずそれでいて盛る時に見た震えるような肉質に期待は高まるばかりだ。
「できましたわ!今までで一番の会心の出来ですわ!」
「こちらもできました、どうぞ熱いうちに」
ビストロかな?オーダー!って始まる前に叫べばよかった、あれ意外と好きだったんだけどなあ。
「わーいうまそ、じゃあかつ丼から」
「ふふん、どーぞ召し上がれ?」
「いただきまーす」
「くっ。まあ本命は後からなのは基本ですわね」
さあまずはかつを取る、とろとろの卵が上にかかり飴色の玉ねぎが優しく寄り添っている。口に入れるとまずさくっとした食感、煮込まれていない部分が心地いい音を口で奏でさせてくれる、と。すぐに醤油と砂糖の濃いめの味が舌を支配する。
それも一瞬、ああ。肉汁がそれを旨みと共に中和しに来たのだ。噛むたびに肉の旨みが襲い掛かる、ここで卵が柔らかに包み込み、しゃっきりとした甘い玉ねぎが援護射撃を放ってきた。旨みの相乗効果でああ早くご飯を!と本能が叫んでいる。すかさず飯をかきこむ、つやつやで少し汁を吸った白米。ああここが美食界。生きとし生ける者の楽園だと言うのか、ここで死ぬならそれもまた一興かーーーー
「はっ!?」
現実に戻される。今まで食べていたかつ丼は!?米一粒残っていない。妙にお腹が膨れているがこれは?
「すごい食べっぷりでしたね、相変わらず作りがいがあります」
ツヤツヤした顔のミナミが立っていた、そして得意げである。食べきってしまったのか、覚えていないなんてもったいない。だがこの胸にのこる幸福はきっと本物だろう、ありがとう。
「めっちゃ旨かった、ごちそうさま」
「はい、おそまつさま」
さーてお腹いっぱいになったし帰るかあ!さっと立ち上がり扉へ
「ちょっと!まだわたくしのが残っていましてよ!」
あっ。そうだった、素で忘れていた。
「ああごめんごめん、はーいいただきまーす」
「軽いですわ…」
箸で一口大に取ってあーん。お?めっちゃ旨いぞ、噛めば噛むほどサバの旨みが出てきてそこにしっかりとした味噌と醬油の味が支えてくれている。こちらも短時間ながら丁寧な下処理の甲斐あってかきちんと味がしみ込んでいる。ふんわりぷりっとした身と癖になる味噌の味が複雑に絡み、どんどん箸が進むではないか。うまい、うまいぞ。
「勝者はミナミ!」
「早いですわ!」
「わあ、嬉しいです」
不正はなかった。
「このサバ味噌は出来損ないだ、食べられないよ」
「食べきったじゃないですか」
「言いたかっただけ」
小声で伝える。
「明日、ここに同じ時間に来てください。本物のサバ味噌をご馳走しますよ」
「誰が作るんですか」
「お前しかいないだろ」
さっ、帰ろ帰ろ。
箸を置いて帰ろうとしたらお嬢様が前に出てきた。
「あの!せめて…せめて!どこがいけなかったのか…わたくしに教えてくださいませ!」
えー考えてないよ。まあちょっと白米が欲しかった、確かに旨いけどサバ味噌単品はなあ。あとお腹いっぱいだし、でも確かに折角作ってくれたのにこれでは可哀想すぎるし失礼だろう。
「そうだな、しいて言うならーーー」
見た、見てしまった。そも、魚をさばく時には袖付きのメイド服は不便だ。袖に血がつくし丁寧な作業中邪魔である、なので腕まくりをしていたーーー
二の腕まで。そう、見えるのだ。キギリメの細く、意外と筋肉質なしなやかかつ弾力性を兼ね備えた二の腕が。
いやあ。これはいけないですよお嬢様、調理室が暑いからなのか?しっとりと汗を纏っている。さながら雪化粧のようだ。ああそうだ。正にこれはマナスル、八千メートル級の迫力を持ち、かつ天候が変わり安いのだ。そうそう真の姿を見せてくれない、が。運よく間近でそれを観測出来た時の感動ときたらこの上ない。それになんだそのまくり上げた根元の食い込みは!犯罪じゃないのか!?谷間ならぬ腕間じゃないか、そんなところまで山を再現しなくていいんだぞ。こんな性的な二の腕してよく清々しい顔で歩けるな、恥を知れ。『あの、なに黙ってるんですか?』破壊的なイノベーションを心に焼き付けているとゆすられ、正気に戻される。ああよかった、あのままだったら二の腕に圧死させられるところだった。さて何の話だったっけああ勝負ね、勝負勝負。
「キギリメの勝ち!!!」
「やりましたわーーーー!!!!」
「納得いきませーん!!!」
素晴らしい一日だったな!
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