薄情者の涙
澤田慎梧
1.遺品
「御主人の遺品をお持ちしました」
夫の部下だったというその人は、そんな意味の分からない言葉を吐きながら、片方しかない腕でそっと何かを差し出した。
眼鏡だ。すっかり歪んでいて所々にひびが入っているが、私にとっては良く見慣れた夫の眼鏡に違いなかった。
「御主人は……少尉殿は、部隊の皆を逃がす為に単身突撃し、そのまま……。ご立派な最期でした」
言いながら、彼は声を忍ばせながら泣き出した。男泣きというやつだ。
――泣きたいのはこっちの方だというのに。
夫が新米の職業軍人として南方へと向かったのは、おおよそ一年前の事だ。
「夫」と言っても、私達の夫婦生活はとても短いものだった。彼の南方行きが決まって、急遽でっち上げられた即席夫婦が私達だ。
それまでは、ただの腐れ縁の幼馴染同士。家が近所で、会う度に口喧嘩ばかりしていたのを「喧嘩するほど仲が良い」と親達に勘違いされ、あれよあれよという間に夫婦に仕立て上げられてしまった。
戦時下という事もあって、結納やら婚儀やら色々とすっ飛ばして初夜を迎えねばならなかった、私達のやるせない気持ちが分かるだろうか?
夫となった彼も、「なんか、すまんな……」と、申し訳なさそうな顔で繰り返すばかりだった。
――その割には、やる事はしっかり以上にやっていたけれど。まあ、後継ぎを遺しておかなければならないという義務感がそうさせたのだろう。多分。
夫の人は、その数日に南方へと旅立ち、私は銃後の妻となった。
それから一年の間、ろくに手紙も寄越さずに、気付いてみれば戦死していたというのだから、もう笑えないを通り越して泣けてくる。
おまけに子供も授からなかったのだから、踏んだり蹴ったりだ。これではただのヤラレ損だ。
「よく届けてくださいました。亡くなった主人も、我が家へ帰る事が出来て喜んでいると思います」
けれども、私の外面は分厚い。
内心をおくびにも出さずに、「貞淑な未亡人」を演じ、夫の部下だったという人を労ってみせる。
我ながら泣けてくるほどの面の皮の厚さだ。
夫の部下だったという片腕の青年は、私の言葉に感激したのか、また声を殺して泣き始めた。
もう、早く帰ってほしいんだけどな……。
――日本が連合国側に降伏し、戦争が終わったのはその数日後の事だった。
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