幕間 『とあるエルフの困惑』
夜も星々が最も輝き続ける頃。森の中に切り開かれた土地の中。
竜車の周りには、火に照らされた一頭の地竜と、六つの精霊。そして一人のエルフがそこにはいた。
地竜は大きく欠伸をかいて眠たげに。
精霊達は竜車の上に散らばって何かから守るように。
そしてエルフの少女は困り顔のようで、三者三様を示していた。
「みんな、どうしましょう。私としたことが全く寝付けないの」
少女がぽつりと、悩みを打ち明ける。
少女にとっては快眠は当たり前で、今の状況は緊急事態のようだ。
すると見かねた紫色をした精霊が、相談に乗ろうと少女にふわふわと近付いていく。
「――――」
「……ううん、違うのライ。寝るための解決策が欲しいわけじゃないの。分かりにくい相談でごめんなさいね」
少女の謝罪に、紫の精霊は光量を小さくしながら他の五つの精霊達の元へと戻っていく。
どうやら、少女の悩みを解くには力及ばずだったようだ。
「はぁ……」
少女は深くため息を零す。――そして、パチンと自らの頬を両手で叩いて立ち上がった。
「いつまで思い悩んでいるのよ、私。……トオルが私のことをどう思っているかなんて、今はどうでもいい話よ」
少女は自分を暗示するかのように呟いた後、竜車の中へと飛び乗った。
しかしその中で見た光景に、少女は怒りの感情を露にする。
「もう。あれだけ一緒の毛布でって言ったじゃない……」
少女は覆うものが見当たらない黒髪の少年の上に、元々は少女自身に掛けられていたはずの毛布を掛ける。
と、その時――、
「んぅ……ふぃー、ね……」
「――っ!」
突然口をもぞもぞと動かし始めた少年の行動に、少女は体を強張らせる。
ただ、そんな少女に言及などはせず、次の瞬間には少年は寝息を立て始めた。
「何よ、寝言なのね。びっくりしたじゃない」
少女は「ふぅー」と胸を撫で下ろした。
「って私、何ドキドキしているのよ。そんなことしなかったじゃない。――む?」
黒髪の少年とは違う方向。そこからガサゴソと物音が立った。
少女は訝しげに応じる。
「カイ、もしや起きているのかしら?」
「…………」
「隠さなくても良いわよ。怒らないから」
「……バレてしまいましたか」
体を起こしたのはこれまた紫の髪をした少年だ。年は、黒髪の少年よりも幼く見える。
「カイも、寝られないのかしら?」
「……は、はい。実はぼくも寝られないんです。……原因は目の前にいるんですがね」
「――? 何か言ったかしら?」
「い、いえ! 何でもございません!」
少年は声を張り上げる。少女は不思議な顔をしつつ、しかし深掘りはしないようだ。
すると紫髪の少年は意を決したように拳を握り、姿勢を正して、
「あの、実はフィーネリア様にお尋ねしたいことが結構ありまして。それで寝られなかったんです」
「――? 私が答えられる範囲なら何でも聞いて良いわよ」
「ならお言葉に甘えさせていただきます。えっと……『精霊姫』は孤高の存在だ、というのは王都の商人にとっては常識のようなものですけど、今は何故イチジョウさんと冒険者をやられているのでしょうか?」
「――――」
少女は一瞬言葉に詰まった後、「そこまで知られているのね。驚いたわ」と感心して、
「そうね。事情は幾つかあるのだけれど……そうせざるを得なくなった、と表現するのが適切かしら」
「――? 弱みを握られている、ということですか? ……イチジョウさんがそんなことをする人には思いませんでしたけど」
「――弱み。弱み、ね。そう、なのかもしれないわ。一生この罪の意識に付き纏われながら生きていくことを表すとしたら、確かに弱みといっても違いないわね……」
「……え、あ、聞いちゃダメなことでしたか。すみません」
少年は少女空気が変わったのを機敏に感じ、すぐさま謝る。だが、少女は「いいえ、気にしないでちょうだい」と言い、
「私は、決して許されないことをトオルにしてしまったの。なのにトオルはこんな私を許してくれて、それに贈り物なんかもくれて。トオルは根が優しくて、とっても良い子なのよ。ちょっとだけ、調子に乗って変なことをすることはあるのだけれど、それは私も同じことをしたのだし……。だから、トオルは凄く良い子なの」
「そ、そうですか……」
「でも、トオルは私の事が本当は嫌いな筈で、巻き込まれただけの被害者で……」
この少年は、心のどこかで自分を憎んでいて。あったとしてもただの便利な相手と、捉えられているに違いない。
「――その、はずだったのだけれど」
エルフの少女の脳裏に、あの言葉が蘇る。
ちょっとした悪戯だった。魔がさして、本音の言葉を聞きたいだけだった。
それが、あんな結果になるとは思いもしなかった。
少女を混乱させる一因。たったあれだけの言葉が、これ程の破壊力を持っているとは。
「――――」
思い返すと、確かにそう判断されるような反応を見せていた。
この少年の孤独を埋めるために、自ら触れる時に限って挙動が少し変だった。
――そう、孤独。孤高とは根本的に意味が違う、真の孤独。
思えば、この少年の孤独には初めての夜から気付いていた。
『一緒に寝て欲しい』などと要求するなんて、そんなのただの寂しい子供の願いなのではないか。
でも、もしその孤独を埋めてくれる存在が現れたら。
その存在が、一緒にいてあげるなんて言い出したりしたら――。
「そういう感情を持ってしまうのも、仕方のないことなのかもしれないわね……」
全てが繋がった。言葉だけで述べるなら納得できる。ただ、恋愛というものは理屈だけでは通らない。
少女の浅すぎる恋愛遍歴からも、それくらいは理解しているつもりだった。
「だ、だとしたら――わ、私、もしかしてとんでもなく変なことしてしまったんじゃないかしら……っ!」
自らの素行を顧みると、そう思わせるような行動をしたことは紛れもない事実。
少女は蹲って両端の髪留めを抱える。
だがこれも少年からの贈り物であるから、少女があの少年を忘れることは叶わない。
「これも……」
密かに気に入りつつある、黒いリボン。
でも贈り物なんて、人間にとっては心を許した相手にしか渡さないものであって――。
「私、また取り返しのつかないことをしてしまったわ……」
「――――」
「それに私がトオルを勝手に巻き込んで作った問題を、自分で罪滅ぼしをして帳消しにしようとしているだなんて。なんて独りよがりで身勝手なのかしら……私」
エルフの少女は自らの愚かさにぼやく。
――その少年こそが、最も自責の念に駆られていることを知らずに。
「ごめんなさいね。カイにとってはこれっぽっちも関係の無い話なのに、話し相手になってくれて」
「いえいえ、Sランク冒険者の話を聞けるなんて、庶民が普通に生きていたら絶対に出会わないような貴重な機会ですし……」
そこで少年は少女の反応を窺い、問題無いと判断した少年は「それに」と続けて、
「なんですかね。Sランク冒険者の方達なんて雲の上の存在だとずっと思っていました。皆が憧れるように完璧で、誇り高くて。実際フィーネリア様を見てその確信が強まっていたところなんですが――少し失礼かもしれませんが、フィーネリア様もぼく達と同じように、悩むようなことがあるんだって知れましたから」
「そんなの当たり前じゃない。人間、みんな共通して悩みを抱えているものよ。そこに差なんて生まれないの。……残念なことに、この国ではその差を作ろうとする輩が多いだけで、本来人とは公平な生き物なの。――でもカイが思っているより、立派なエルフじゃないわよ、私は」
「……えっと、えるふ、ですか?」
知らない単語の出現に、少年は首を傾げる。その様子を見た少女は「あら」と、にぎり拳同士をかち合わせて、
「そういえば言っていなかったわね。私、エルフなのよ。エルフ。北の半島に住む、閉ざされた……寂しい一族の一員よ」
「エルフ……? 親方からもそんな種族は聞いたことが無いですね」
「そうなるのも仕方ないわ。知っている方が変なのだもの」
「へぇ、そうなんですか。どんな種族なんでしょうか? 良ければ聞かせてください」
「……私が言うのもなんだけれど、あまりエルフとは関わらない方が良いわよ。きっと良い印象は持たないだろうから」
「そうですか? ぼくはフィーネリア様には良い印象しかありませんけれど。それに、そうだとしてもフィーネリア様がフィーネリア様であることには変わりないので」
あっけらかんと言い切る少年の姿に、少女は少し勢いを削がれる。
「そう言ってくれて嬉しいわ。でもそうね。エルフと言っても人間とそれ程変わらない生き物だから――や、少し違いはあるわね。例えば寿命とかかしら」
「寿命ですか?」
「ええ、そうよ。私は普通の人よりちょっとだけ長く生きられるらしいから……だから、その内の少しをトオルへの罪滅ぼしに使いたいと、そう思っているの」
少女の意思表示に「は、はあ……」と困ったように返答する少年を見て、少女は焦ったように、
「ごめんなさい、またトオルの話に繋げてしまったわ」
「いえいえ、お気になさらず。それだけイチジョウさんのことを気になされているということの裏返しでしょうから」
「…………」
「えっと、フィーネリア様?」
急に無言になった少女を気遣い、少年は真意を探る。すると少女は何かを悟ったような顔付きになって桃色の唇を開き――、
「――そうね、私はトオルのことが心配なのだわ」
孤独になった理由を知れて。
すると一層、この少年の心の隙間を埋めたい。埋めなければならない。
そう思う気持ちがどこかで芽生えて。
でもそれは、少年の心の隙間を埋めたら、償いをした証拠ができて自分が楽になる、罪が軽くなる、のようなどこか打算的なものから来ている筈で。
だけど、そうすることが罪滅ぼしになるかなんて判断するのは、自分自身であって。
なら、そんなもの――、
「――ただの、自己満足よね」
「――――」
「ずっと、私一人だけの世界で完結して。私が良ければ、他はどうでも良くて。……自分の事だけしか見れていなかった自分とさようならを告げたつもりだったのに。結局は変われていないじゃない、私」
少女は、火に照らされて赤色を帯びている白金色の髪を揺らして、
「でも、自己満足でも、そんなの関係無しに側に居てあげなくちゃって。きっと、トオルは一人だと潰れてしまうから……」
この哀れな少年は、絶対に一人にしてはいけない。
その本能のような警笛があった、と言い訳できる自信を少女は持っていた。
でも、第三者の目から見る自分は、ただの駄々を捏ねている女ではないか。そのような懸念も少女は持っていた。
「……カイは、どう思うのかしら」
「ぼくですか……? えっと……悩まれているみたいですが、フィーネリア様と喋るイチジョウさんはとても楽しそうですし……なんなら、フィーネリア様自身もとても楽しそうにぼくの目には写っています」
「楽し、そうかしら?」
「はい、そうですよ。もしかして自分では気付いておられないのですか? ……羨ましいと思えるくらいには笑顔が多いです」
紫髪の少年の指摘に、少女は回想をする。
自分の知らないこと。
秘密のこと。
そして、少年自身のこと。
「――確かに、そうね。トオルと出会ってから、新しい発見が一杯出来て、つまらなく見えていた世界が、なんだか色付いていったようで……これを楽しい、と言うのかしら」
「はい、そうです。楽しかったら何でも良いんです。人間、楽しんだ者勝ちってイチジョウさんが言っていました」
「――ふふっ、ふふふ」
少女の表情には、今までの悲壮的な顔付きの見る影もなく、緩んだ頬で溢れていた。
その輝く笑みを見て、少年は思わず見惚れてしまいそうになる。
「トオルなら、そんなことを言いそうね。ふふっ……なんだか、悩まされている相手に元気付けられるなんて、変な気分ね」
「はい。ぼくも、どちらかというと笑っているフィーネリア様が見たいです」
「ええ、カイもありがとうね。精一杯楽しんでみることにするわ」
そこで締め括ろうとした少女は、ハッと気付いた様子になってもう一度少年に振り向き、
「ねえ、カイに夢はあるのかしら」
「夢、ですか? ……そうですね。大商人になって、今まで苦労を掛けてきた両親に仕送りをするという目標があります」
「親……ね。とても良い夢だと思うわ。きっと叶う筈よ。このSランク冒険者の私が言うのだから、間違い無いわよ!」
いつもの調子に戻った少女は、自信満々に胸を張る。その立ち直りっぷりに置いていかれがちな少年は「随分と極端ですね……」と一人言を発したが、少女の尖った耳には届かない。
「ふふっ、おやすみなさい。この事はもう一度、後でゆっくり考える事にするわ。一晩で答えなんて見つかるはず無いのだもの」
そう言ってエルフの少女――フィーネリア・ヴァン・アールヴヘイム=シーディアは、花が咲いたように笑ったのだった。
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