第2話  『相反する懊悩』




「おはようございます」


 一階に降りる。今日も一日が始まった。窓からの日差しは白い。

 そういえば、フィーネと迎える朝はこれで二回目だな。感じる印象は全く違うけど。


「――あれぇ? あっ、とーるおにーちゃん!!」


「あべしっ!!」


 窓の方を見て黄昏ていると、いきなり死角からの攻撃がきた。

 方向は下。視界に入るのはイザベラさんと同じ紫色の髪。――そう、何故か俺に懐いているアロイスさん夫妻の長女、ティアナだ。体の大きさは小学生低学年ぐらいだろうか。


 そういえば、宿に着いた時刻が早朝だったり、夜中だったりして、うまいことお互いが起きているタイミングが噛み合わなかったな。

 まだ成長期だし、早寝遅起きしているのだろう。ただ、今日は俺が起きるのが遅かったための遭遇か。


「おおーティアナか。宿屋の手伝い偉いなー」


「へへ〜〜っ」


 とりあえず頭を撫でて欲しそうなので撫でておく。フィーネ程じゃ無いけど、この子もサラサラだ。

 ティアナは俺の手に身を預けて、頬をだらしなく緩ませてニンマリしている。可愛いな。

 

「んぅ? おねーちゃん、だあれぇ〜?」


「ふ、フィーネリアよ。……よろしくね、ティアナ?」


「ふぃーねりあ、ふぃーね……フィーねーちゃん!」


 お、なんかフィーネとお姉ちゃんが合体したような呼び方だぞ。……うん、中々アリだな。センスがある。

 それにしても、どうやらフィーネも小さい女の子は好きみたいだ。「ふふっ」と、頬を弛緩させて、俺がしたようにティアナの頭をおずおずと触って可愛がっている。良いお母さんになるんだろうな……きっと。


「――ちょっとティアナー! どこいったのかしらー!? ……あらトオルくん、おはよう。今日は遅いのね?」


「あーすみません、昨日色々あって……。それで寝坊してしまいました」


「ふふ。はぐらかさなくても大丈夫よ。トオルくん」


 あ、やばい。これは邪推された。なんたる失態。言ってから後悔する男。それが俺。


 軽率な発言をしたことに後悔していると、イザベラさんが温かい目で俺を――正確にはフィーネを含めた俺達を見てくる。

 だが、フィーネはティアナに付きっきりだったから、聞こえてないのが幸いか。危ない。


 しかし、一人娘のように見えるティアナだが――聞くところによるとティアナには俺と同じ位の歳の兄がいるらしい。が、もう家を出ているとのこと。


 この世界では労働力として認められるくらいに十分な体――大体十二歳くらい――に育つと、『小さな大人』として出稼ぎをするのが一般的らしい。

 学校に通うという文化が、平民層には広まっていないのが原因か。早熟とも言える。教育面では中世に忠実だ。


 もしかしたら、ティアナはお兄ちゃんの面影を俺に見出しているのかもしれない。だから懐かれているのかな……。確証は無い。


「こらっ、ティアナ。お客さんに失礼でしょ?」 


 とまあ、そうこうしているうちに、イザベラさんがティアナをフィーネから引き剥がした。

 当のティアナは「ちぇーっ……フィーねーちゃん、まだおてつだいがあるからばいばい! またね!」と去っていった。

 なんか嵐みたいだったな……可愛いからいいんだけども。

 それにしても、フィーネがちょっと名残惜しそうにティアナの後ろ姿を眺めているのが面白い。やっぱり君、聖母の才能あるよね。俺の目に狂いは無かったよ。


 朝の洗礼も終わったので俺達もアロイスさんの食堂から二人分の朝食を取り、席に座る。今日もあの固いパン。いつか歯が折れないかが心配だ……。

 パンを掴みながらそんな事を考えていると、


「綺麗に食べるよな……」


 ついつい、フィーネの食べる様子を観察してしまう。


 昨日は気付かなかったが、礼儀に厳しい国で育った俺の目からしても彼女の所作はとても丁寧だ。

 右手でパンをしっかり掴んで、パン屑が零れ落ちないように留意して食べている。上品で高潔、という感想が出てくる。

 もしかしなくても、相当育ちが良いんだろう。なんだかそんな気がする。


 ――と、俺がずーっと凝視していると、フィーネの食べる手が止まって、


「何じろじろ見てるのよ」


「――え? いや、綺麗な食べ方するなーって思ってた」


「あまり見ないで欲しいわ……。早くトオルも食べ切りなさい。そんなことをしてたら置いて行くわよっ」


 ――置いて行かないくせに。


 と言いたい所だが、なんだか怒られそうなので「へいへい」とだけ返事しておく。 



 ……しかし、本当にこんな朝が続いて良いのだろうか。

 

 昨日、彼女が側に居てくれると言ってくれた。

 それは勿論嬉しい。そして、俺も何とか努力してそれ相応の返しをしたいとも思っている。

 けれども、同時に少なくとも俺達の間に奴隷契約がある今は、適切な距離感は保つべきなのではないか、とそう思ってしまう。


 奴隷という主従関係が存在していなかったら、俺は間違いなくどんどんフィーネと距離を縮めていっていただろう。

 だが、その奴隷契約というものが逆に枷となっているのだから、やっぱりこの契約にはデメリットしか存在しない。

 だから、そんな俺を彼女の主としての立場に置いて良いのか、と不安に思う。


 かと言って、これから俺がフィーネ無しで生きていけるのかというと……それも自信がない。

 俺の唯一の優しい拠り所である彼女を失ったら、俺は孤独になる。そして、また逆戻りして、生きる意味を見出せなくなるだろう。

 それはとても厭だった。


 少なくとも、俺にとってのフィーネは――『これ以上ないくらいに醜態を曝け出して、みっともなく情けない姿を見せた、この世界で唯一心を許せる相手』といった所だろう。


 本人が俺のことをどう思っているのかは分からないが、俺はこの少女のことが大好きだ。好き過ぎると言っても過言ではないくらい。

 だから、大切にしたいとも思っているし、幸せにしたいと思う。絶対に手放したく無い。当たり前だ。


 

 ……自分で言っていて酷く矛盾している。


 意思がエゴとぶつかり合って、心の中で相反している。ちぐはぐだ。

 俺ってかなり面倒臭いやつなんだな、と自嘲せずにはいられない。


 でも、ぐずぐず引き摺っていても事態は好転しないこともよく知っていた。だからこそ、この胸の中に残っている懊悩は煩わしかった。


「……どうしたのよ。手が止まっているわよ? まさか、本当に置いて行って欲しいのかしら?」


 ――けじめを付けるか。


 契約について、くよくよ思い悩んでいても仕方が無い。彼女が今を受け入れてくれたのなら、それに見合うだけの努力を俺がすれば良いだけのこと。

 それに、俺がこのことで思い悩むことは彼女が望んでいる事ではないだろうし、何より俺が女々しいままだったらいつか必ず愛想を尽かされてしまうだろう。それは何としてでも避けたかった。


 そう自分を納得させて、「そんなわけ無いだろ」とだけ答え、胸の中のモヤモヤした懊悩も一緒くたにひっくるめて、パンにむしゃぶりついた。


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