第9話 『善は急げ』
「――――んぅ」
目が覚める。
最初は慣れなかったが、もう慣れ親しんだ朝だ。
そう、俺はどういうわけか異世界に転移させられ、この国で生活している。
未だに実感が湧かないが、確かにここは異世界。
俺にとってのいつもの朝になりかけているそれは、俺に活動を始めろと促す。
いつもより目覚めがいいので、大人しくそれに従おうとすると――心が温まるような感触が腕の中に存在しているのに気付いた。
「……ん?」
違和感。
その正体を確かめるべく、己の腕の中を見る。
すると――、
「………………は?」
間抜けな声が漏れる。
それも仕方ないだろうと言い訳したい。何故なら俺の腕の中に人間、それも恐らく女の子であろう者がいたからだ。
え、ヤバい。これは確実にヤバい。
突然の事態に錯乱する。頭の中に様々な自問自答が浮かび出す。
いや落ち着け、俺。
焦るな焦るな。
思い出せッ!
――昨日、何があった?
……。
…………。
………………。
「……………………あ」
思い出した。
そうだ。こいつは、何故か俺の奴隷になったフィーネリアという生意気なエルフだ。何をそんなに慌てる必要がある。
その事実を知れたことで、嘘みたいに思考がクリアになる。
そんな当の本人は未だぐっすり眠っているように見えた。俺の動揺がバレていなそうなのでセーフだ。
……しかし相変わらず、嘘みたいな美貌だ。
彼女の髪で一部が隠れているが、神が作ったと聞いても納得出来るような目鼻立ちをしているのが嫌というほどに分かる。
朝日に照らされた彼女は、まるでに御伽噺に出てくるような妖精のように見える。いや、本当に妖精なのかもしれない。エルフだし。
異世界に来なかったら絶対にお目にかかれなかっただろう。そう言わしめるだけの美貌が目の前にある。
きっと、内面を知らなかったら惚れていたと思う。危ない危ない。
「……髪、綺麗だな」
本来薄い金色であるはずのそれは、朝日に照らされてまるで白色に見間違えるほどに輝いている。
その幻想的な輝きは、俺の冒険心を擽るのに十分だった。
彼女を起こさないようにちょっとだけ触ってみることにする。バレなければ大丈夫だ、と意気込み、人差し指と中指の間にその髪を通す。
……想像以上にさらさらしている。
ちゃんと手入れが施されている証だろう。摩擦が全くと言って良いほど感じられない。
こうなると俺は、もっと触りたいという欲求に逆らえない。
幸い、彼女が起きる気配は無い。今がチャンスだ。
今度は掌で触ってみることにする。
――――素晴らしい。手触りが素晴らしい。質感が素晴らしい。
きめ細かい彼女の繊維が、俺の右手の触覚に極上の感覚を与えてくる。
これなら幾らでも触っていられる自信がある。次は両手で触ってみようか。
俺の冒険はどんどんエスカレートしていく――。
「……なにしてるのよ」
「あ」
夢中になって彼女の髪を触っていると、不意に声をかけられて現実に引き戻された。言わずもがな、その声の主は彼女からだ。
――見つかってしまった。その事態を認識する。
「え? いや? 髪を触ってただけですけど?」
咄嗟に言い訳をする。変な口調になってしまった。
でも、俺はただ髪を触っていただけだ。ちょっと夢中になってただけで、何もやましいことはしていない。大丈夫だ。
そんな答えを聞いた彼女は、さっきまで閉じていた青い瞳に疑惑の感情を宿して、俺を射ぬく。
「……他には?」
少し予想とはズレた反応が返ってくる。てっきり、責められると思っていたのだが。
「……マジで髪しか触ってないから」
「…………あっそ」
彼女は俺の言葉を吟味した後、ぶっきらぼうにそう吐き捨てて体を起こす。
……もっと触っていたかった。名残惜しい。
まあ、また触れる機会があると思うので今は我慢しておこう。
△▼△▼△▼△
着替えを終えたので、食堂に行くために階段を降りる。
今は丁度朝食が用意されている時間だ。
「おはようございます」
「――おう! ぐっすり眠れたか?」
朝っぱらからデカい声だ。未だに少し残っていた眠気が完全に覚める。
その声の主は少しニヤニヤしながらこちらを見てくる。絶対勘違いされているが、まあいいか。
「……アロイスさん、パン、貰っていきます」
「お、おう」
ニヤニヤし続けたまま一向に動く気配が無かったので、自分から取らせてもらう。勿論、二人分だ。
「いただきます」
俺の定位置になりかけている席に座り、食事を摂る。
フィーネリアも俺の目の前に座ってパンを齧り出した。
この国のパンは、なんといっても固い。噛みちぎるのに少し苦労する。
「――ああ、そうだ、フィーネリア。今日は依頼を受けに行くから」
パンを一つ食べ終わったので彼女にそう伝える。今日は昨日とは違い、冒険者として依頼を受けに行く日だ。
彼女のおかげで実質俺には大金があるが、このルーティーンは続けて行きたい。この歳で堕落するのは御免だ。それに、早くFランクから抜け出したいしな。
こいつがSランクだというのに、俺がFランクなのはなんか癪だ。
そう考えていると、彼女もパンを飲み込んで口を開く。
「……なんの依頼かしら?」
「薬草採集」
「――。そういえばあなた、Fランクだったわね」
俺の答えに一瞬キョトンとしたが、納得したようにそう答える。
薬草採集。地味な響きだが、これが思ったより稼げるのだ。
薬草とは、ポーションの材料となるもの。なんでもポーションとは、傷を即座に治すという優れものらしい。回復魔法程では無いみたいだが。
この国には回復魔法を者を使えるのは少ない。しかも、その大抵が神官となり、住民の怪我等を治療する仕事をする。
なので実際に現場で戦闘をする冒険者間、それに加えて国家の軍隊の中でもポーションというのはとても貴重な物だ。
それに、今は魔王軍の活動が活発になってきた影響で、薬草の需要が高まっている。薬草の取引価格が平時よりかなり高いらしい。
この王都は魔王軍との戦線からは遠いが、例に漏れずその影響は伝播してきている。
なので俺もその戦争特需の恩恵を受けて、普通のFランク冒険者に比べたらかなりいい稼ぎをしていたのだ。それが無かったら、恐らくこの宿には泊まれてないと思う。
「……お前、薬草のこと舐めてるだろ? ポーションは凄いんだぞ?」
そうは言うものの、俺はポーションを使ったこともないし、使っているのを見たこともない。ただ、薬草を毟ってギルドに届けることしかしていない。
でも、薬草のおかげで今までの生活があったのだ。それを馬鹿にされるのは腹が立つ。
「ふん、私は回復魔法を使えるから、ポーションなんて使った事無いわよっ」
衝撃の事実。こいつは回復魔法を使えるらしい。
凄いと思うと同時に、薬草が負けたみたいでなんだかとても悔しい気持ちになる。
「……でも、Fランクで受けれるまともな依頼って薬草採集くらいしかないんだよなぁ」
「だからと言ってSランクの私に薬草採集をやれと? 随分と無駄遣いね」
「むむ……」
認めたくは無いが一理ある、とも思う。
極論を言えば、薬草採集というのは誰でも出来るのだ。森に入る勇気があれば、という条件付きだが。
彼女にとって薬草採集とは取るに足らないものなんだろう。もっと派手な依頼を受けたい。そんな願望が見て取れた。
「……私とパーティーを登録をすれば、あなたがFランクだとしても魔物の討伐依頼は受けれるはずよ」
「マジで?」
俺がそのことについて悩んでいると、彼女はふとそんな事を漏らす。
そういえばあったな。パーティー制度みたいなやつ。最初の説明の時に、俺には関係ないと思って聞き流していたやつだ。
「そうと決まれば、早速行こうか」
善は急げ、とはこの事を指す。
残りのパンを食べ終えて、食器を返却する。
魔物討伐。心が躍る響きだ。いつかはやってみたいと思っていたが、もう出来るらしい。
期待に胸を弾ませて俺はギルドに向けて歩いていった。
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