第195話 一歩、前へ (7)

 一晩明けると、窓の外は、まさに嵐だった。滝のような雨と、横殴りの暴風で、とても外に出れる状況ではない。朝一番に木ノ下から休みの連絡が入ったが、こんなことなら、早々と春海の誘いにのっておけばよかったと思う。

 手持ち無沙汰のまま、うたた寝から目が覚める。春海から、状況を気づかうメッセージが入っていた。返信すると、すぐに電話がかかってくる。


『おおかみ町が、大変らしいのよ』


 耳に届く春海の声は、硬い。町を流れる川が、台風の大雨で水かさを増し、町全体に避難指示が発令されているらしい。花江と勇太には連絡を取り、無事を確認したらしいが、台風の速度が遅いため、予断を許さない状況のようだ。


『せっかく、歩も休みだったのに。迎えに行けなくて、ごめんね』

「外を出歩くのは危険ですし、私は大丈夫です。春海さんも気をつけてくださいね」

『ありがと』


 わずかの距離でも、行き来できないもどかしさを感じているのだろう。名残惜しそうに通話が切れる。

 ごおっ、と風がうなり、家鳴りがした。スマホを開くと、見たことのない数の台風情報が並んでいる。避難指示の通知の多さに目を見張った。既に暴風圏内にいる地域では、いくつか被害が出ているらしい。毎年、台風は来るけれども、これほど警報が並んでいるのは初めてだ。

 春海の言葉を思い出し、ひさしぶりに通話を押す。少し長めに待ってから、花江と繋がった。


『どうしたの、珍しいわね』

「そっち、大変みたいだけど大丈夫?」

『ええ、なんとかね』


 普段と変わらない、落ち着いた声に安堵する。すぐに、周りから聞こえる音に、違和感を覚えた。


『実は、小学校に避難してるのよ』

「え、そんなに危ないの!?」


 聞けば、『HANA』のある一帯も浸水の可能性があるらしく、住民の大半が避難しているらしい。町のあちこちで土砂崩れや停電も発生しており、報道以上の大変な状況に不安が押し寄せる。


『何かあったら、連絡するから。歩も十分気をつけるのよ』

「うん、本当に気をつけてね」


 最後まで自分を心配してくれる花江に、頷くことしかできない。部屋の中から、ふっと、音が消えた。冷蔵庫のモーター音が聞こえないから、きっと、停電だろう。覚悟していたので慌てはしないが、ますますやることがなくなる。

 

 高之山市が暴風域を抜けるのは、明日の昼以降となっている。明日のバイトは、どうやって行こう。停電が解消されるまでは、スマホのバッテリーを節約しないといけない。いくつもの不安を抱えて、一刻も早く台風が過ぎ去るのを願った。


 ◇


 台風の過ぎ去った月曜日、歩は仕事場へと向かった。結局、バイト先のスーパーは、土日とも臨時休業となったため、行かずに済んだが、停電は復旧されないままで、寝てばかりだった体は重い。


「遅くなりました」


 ヘルメットを置くと、コンテナ箱に座る木ノ下たちの元へ駆けよる。気にするな、というように木ノ下が手を上げた。


「別に、来んでもよかったんやぞ。

 家は大丈夫やったか」

「停電がありましたけど、大丈夫です」


 木ノ下なりの気づかいに笑って、首を振る。差し出されたペットボトルにお礼を言って、コンテナ箱に座った。


「回り道が、分からんかったろう」

「右折するところを過ぎちゃって。しばらくしてから気づきました」

「あそこは、林の陰になっとるでなぁ」


 アパートの周りの惨状に、到着が遅れるかもしれないと連絡しておいたが、行く先は通行止めばかりで、まさか倍近い時間がかかるとは思わなかった。


「しかし、あの道が通行止めなのは、不便やわぁ。まだ、通行止めの看板も立っとらんし」

「生活道路が優先やろで」


 松山と東の会話を聞きながら、周囲を見回す。ここにあったビニールハウスが、見当たらない。念入りに防風ネットを張ったはずの畑は、落ち葉と枝が敷きつめられたかのようだ、。二つ離れた畑の中央には、ハウスの支柱らしきパイプが突き刺さっていた。おおかみ町も酷かったらしいが、改めて、今回の台風の威力を知る。


「そいで、集まってもらったのは、報告というか、言わんといけんことがあってな」


 木ノ下が、迷いを切るように、大きく息をはいた。

 

「正直言うて、この先無理や」


 続いて「だから、すまん」と頭を下げる。沈黙を破って、松山が静かに口を開いた。


「建て直さんとや?」

「畑もハウスもこの惨状や、もう、どうにもならん。燃料も肥料も値上がりしとるし、諦めがついた」

「そうやなぁ、これからの時期、せめて、ハウスだけでも無事やったらなぁ」

「自然に文句言うたって、仕方ないけどねぇ」

「片付けは、俺が、ぼちぼちするから大丈夫や」

「ええ、分かった。世話になったわ」


 淡々としたやり取りが終わる。会話についていけずに黙っていた歩が、会話の内容が解雇宣告であることを知ったのは、もう少し後からだった。

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