第147話 嵐の襲来(2)
「…………嘘でしょう」
目の前に広がる光景を信じられない思いで見つめる。イベント当日の朝、早々と現地に駆けつけた春海の目に映ったのは倒壊したやぐらの姿だった。
「……どうして……昨日までは、そんなに傾いてなかったはずだったのに」
荒天がようやくおさまり、真っ先に確認した昨日の時点では幾分か斜めに傾いてはいたものの、確かにやぐらはその姿を保っていた。大人数で乗らなければ大丈夫だという事を確認してイベントの修正は余儀なくされたものの、どうにか開催出来るとほっとしていた矢先の事態だけに呆然としたままその場に立ち尽くす。
「春海さん、春海さんって!」
肩をがくがくと揺さぶられ視線を向ければ、勇太が厳しい表情で見ている。
「……え?」
「どうするんですか?
中止なら早く連絡しないと」
「あ……うん」
生返事を繰り返す春海に焦れたのか、目を細めた勇太が春海の正面に回る。
「おい! ショックなのは分かるけど、あんた責任者だろうが!
しっかりしろよ!」
「…………責任、者」
勇太の言葉を何度か繰り返しようやく気持ちを切り替えると、後ろで指示を待つ人たちへと顔を向ける。春海を見た途端皆が一様に心配そうな表情を浮かべるものの、誰もが口を閉じたままでいる。
「取り乱してすいません。
この現状では今回のイベントの開催は無理だと判断します。申し訳ありませんが各関係機関への連絡と片付けの割り振りをしたいと思います。
皆さん、よろしくお願いします」
深々と頭を下げた後、誰にも見られないように顔を背けた春海の両手はきつく握りしめられていた。
◇
『臨時放送をいたします。
本日開催予定のやぐらイベントは先日の雨の影響で急遽中止となりました。繰り返します、本日開催──』
町内に設置されたスピーカーから聞こえてくる放送に耳を疑い、朝食を摂っていた花江と思わず顔を見合せた。
「中止って何かあったのかしらね」
「うん……」
歩の脳裏に先日春海が電話で話していた幾つかの不穏な言葉が思い浮かぶ。
「あら、電話だわ」
先に箸を置いた歩が「取るから良いよ」と立ち上がり、電話に向かう。
「はい、『HANA』です」
『もしもし?』
「! 春海さんですか?」
思いがけない相手に声が大きくなった事に気づくと、慌てて受話器を持ち直す。
『今日のイベント、中止になったの』
「はい、町の放送で聞きました。
何かあったんですか?」
『あ~、え~と、やぐらが崩れちゃったの。
それで、イベントは中止になったけど連絡会は一応開催するからって花江さんに伝えててくれる?』
「は、はい。
分かりました」
『お願い』
「春海だったの? 用件は何だった?」
花江の声に気がついて通話の終わった受話器を戻す。
「イベントは中止だけど連絡会はするって」
「……そう」
複雑そうな顔を浮かべた花江が直ぐに表情を戻す。
「……花ちゃん」
「何?」
「少しだけ春海さんのところに行ってきても良い?」
明らかに無理をした春海の声に不安を覚え花江に許可を求めると、花江が頷く。
「連絡会は夜からだし、慌てなくて良いわよ」
「ううん。なるべく早く戻ってくるね」
茶碗をキッチンに置いた歩が自分の部屋に向かい、程なくして玄関のドアを開ける音が聞こえた。
◇
「うわ……」
やぐらの元へ駆けつけた歩が目にしたのは無惨に倒れたやぐらと地面に広がるたくさんの大根、そしてそれを片付ける人たちの姿だった。
「よう、歩。
久しぶりだな」
「勇太さん」
入り口付近で片付けていた勇太が歩いてくる姿に気づいたらしく「もう体調は良いのか?」と続ける。
「はい、大丈夫です。
あの、これってこの間からの風で倒れたんですか?」
「まあな。
一応対策はしたんだけど……甘かった」
悔しそうな表情で勇太が両手に持っていた泥だらけの大根を軽トラに投げ込んだ。荷台に積まれた大根はどれもが潰れたり泥にまみれており、全て廃棄となるらしい。
「少しだけなら汚れてない大根もあるから、持って帰って良いぞ」
「ありがとうございます。
あの、春海さんは?」
「春海さんなら、あそこだ」
勇太の指差す方を見ると、やぐらの一番奥で春海が一人作業をしている。
「私、手伝ってきます」
「おう」
姿を確認するなり走るように駆け出した歩を勇太が見送った。
「春海さん!」
「……歩?」
自分を呼ぶ声に顔を上げると、息を切らせながら歩が近づいて来る。先ほど電話をしてからそれほど時間は経っていないはずで、直ぐさま駆けつけてきたらしい。
「私も手伝います」
「いいわよ」
雨の残った地面に落ちた大根は水分を吸って重く、泥にまみれている。春海が断るより早く歩が素手で作業を始めた。
「歩。
汚れるし、病み上がりだから」
「大丈夫です」
「大丈夫じゃないから言ってるの!」
語気強めた春海に怯むことなく歩が真っ直ぐに見返す。
「無理はしません。
私も手伝わせて下さい」
歩の態度に黙ったまま春海が顔を背けて作業に戻り、歩も再び地面の大根に手を伸ばした。
「……これ」
2台目の荷台を半分程埋めた頃、ぽつりと聞こえてきた声に手を動かしたまま顔を上げる。
「来てくれた人たちに渡して、大根を使ったレシピを募集して、町報に載せるつもりだったの。
町内の飲食店にはこれを使ってお店のメニューに組み込んでもらって。
おおかみ小学校は高齢者の方たちを招いて一緒に漬け物作りをするって山下先生が話してたのに」
「……」
「全部……駄目になった」
「……春海さん」
「全部、あたしの責任。
あたしがもっとちゃんと考えていたら、こんな事にはならなかったのに」
「春海さん!」
握りしめていた右手を歩の両手がそっと包む。その泥だらけの手から視線を避けるように俯いた顔を上げると、今にも泣きそうな顔をした歩が自分を見つめていた。
「あの……! そのっ……!」
必死に言葉を続けようとするものの、何を言って良いか分からないのだろう。下手な慰めの言葉を選ばない歩の気持ちに少しだけ救われた気がして、強ばった表情が少しだけ緩む。
「どうして歩が泣きそうな顔してるのよ?
泣きたいのはあたしの方なのに」
「そ、そうですよね……ごめんなさい」
必死に瞬きを繰り返して涙を抑える歩の姿を見つめていた春海が小さく吹き出した。
「もう!
歩、涙腺弱すぎ!」
「だって……」
「ほら、早く片付け済ませましょう」
「は、はい」
少しだけ明るい声に戻った春海の背中に頷くと、勢いよく大根を掴む。
「歩」
「はい?」
「さっきはごめん」
「いいえ、気にしないで下さい」
「それと……ありがとね」
顔を上げないまま口元に笑み作った春海がそれだけ言うと、そっと袖で目尻を押さえた。
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