第79話 おおかみ町大根やぐら (6)
浮かれ気分を吹き飛ばすように、連休を間近に控えたその週はひどく忙しかった。連絡会の参加人数が多かったため早々と花江と二人で下ごしらえに取りかかったものの、当日や調理直前でなければ出来ないことも多い。目の回るような忙しさのなか、ドアに『貸切』のプレートを提げてから時間を確認すると朝からカウンターの中にこもりきりの花江を呼ぶ。
「花ちゃん、この盛り付けで終わりだよね?
大分準備が出来たし少し休んだら。
残りは私がやっておくから」
「歩、今何時?」
「五時五十分」
「……そうね。
じゃあ、十分だけ休憩してくるわ」
「おにぎりとお味噌汁がテーブルに置いてあるよ。
さっき置いたからまだ温かいと思う」
「さすが歩。
お腹が空きすぎて倒れそうだったの」
「お客さんが来たら呼びに行くから、ゆっくりしてて」
どうやら体力の限界だったらしい花江を見送ると、途中まで盛り付けてあるサラダの仕上げに取りかかる。料理を置くための臨時のテーブルのせいでいつもより随分狭いカウンターの中で配膳ミスがないか確認していると、ドアベルがカランと鳴った。
「いらっしゃいませ!」
「こんばんは、歩。
今日は宜しくね。うわぁ~すっごく良い匂い」
珍しくスーツ姿で書類の束を抱えた春海がカウンターをのぞき込んでくる。
「あぁ~美味しそう~!
目の前にこんなにご馳走があるのに……マジで拷問だわ」
「余り物で良ければ少し摘まみます?」
「うぅ……食べたいのはやまやまなんだけど、これが終わらないと味わえない気がするから止めとく」
泣き真似をしながらカウンターを離れた春海がホチキスで綴ったプリントをテーブルに一部ずつ並べていく。
「春海さん、手伝います」
「あっちは?」
「終わったので大丈夫です」
「さんきゅー」
半分受け取って反対側に回ると対面になるよう並べていく。全て配り終えたところで再びベルが音をたて、重そうなビニール袋を提げた勇太が顔を出した。
「こんちはー」
「いらっしゃいませ! 勇太さん」
「お、歩。
うっす」
「あ、お酒ですか? 持ちます」
「オレは良いから後ろの美奈さんのを頼む」
「はい」
駐車場でビニール袋を持ちながらよろよろと歩く美奈に駆け寄ると持ち手の片方を受け取って先にドアを開ける。
「歩さん、ありがとう」
「いえ、他に運ぶものはありませんか?」
「ううん、これで終わり」
急に慌ただしくなった店内でプリントをチェックしている春海にお茶のペットボトルを持った勇太が声を掛けていた。
「春海さーん、お茶だけは連絡会の時から出しとく?」
「う~ん、どうしよう……アルコールが入ったら皆どうせ飲まないのよね~。
歩、グラス借りて良い? テーブルの中央に置いといて各自取ってもらうから」
「分かりました」
「こんばんは、いらっしゃい」
「花江さん、お邪魔してまーす」
「こんばんは」
「お疲れ様です」
準備を進めていると休憩を終えた花江がカウンターに戻って来たらしく、目配せに気づいた歩がカウンターに戻る。
「まだゆっくりしてても良かったのに」
「ありがと。
歩も休憩行ってきて良いわよ」
「さっき休んだから大丈夫だよ。
ちゃんと栄養補給もしたし」
疲れていないと言えば嘘になるが、自分以上に大変な花江の前では泣き言など言えない。疲れから妙に明るいテンションで返事をする歩を訝しげに見た花江が迷ったように黙った後、「分かったわ」と引き下がった。
「今日は人数が多いからばたばたするけど、辛いときはちゃんと休むのよ」
「はーい」
駐車場に入るヘッドライトの光で来客に気づくと、程なくしてドアベルが音を鳴らす。
「「いらっしゃいませ」」
「「お疲れ様です」」
歩の声と春海たちの声が次々と新たな客を出迎えていき、『HANA』のディナー営業が幕を開けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます