第51話 おおかみ小学校学習発表会 (2)

春海を送り出し、プレートを『CLOZE』に変えた歩が、洗い物をしている花江の隣に並ぶ。


「花ちゃん。どうしてあんな事言ったの?」

「あんな事って?」

「っ、だから……その、夕食ご馳走するって」


 シンクから目を離さない歩の物言いたげな表情をちらりと横目で確認した花江が笑うのを我慢していることに歩は気づかない。


「だってうちの用事に付き合ってもらうんですもの。

 お礼するくらい良いじゃない」

「……そうなんだけど」


 その困り果てた口調に我慢できずに声をあげて笑うと、歩が言い出し辛かったらしい懸念を口にする。


「ご飯なら、歩の作るいつも通りのご飯で良いわよ」

「いつも通りって言われても……春海さんも食べるのに?」


 自信なさげに項垂れる歩が、それでも洗い流した皿を受け取っては手際よく綺麗に拭いていく。


「そんなに気負う必要なんてないわよ。

 春海だってそんな事はきっと望んでいないだろうし」

「……うん」


 曇った表情が未だ晴れない歩に向き合って花江が尋ねる。


「歩が無理なら私が作っても良いのよ?」


「………………それは嫌」


 会えるなら毎日でも会いたい。

 普段からそう思っているからこそ、時間を気にせずしかも一緒に食事が出来ることは素直に嬉しかったし、第一あれほど楽しみにしていた春海をがっかりさせたくない。

 嬉しさの反面プレッシャーに押し潰されそうな表情の歩を横目にくすくすと笑いながら花江が蛇口の水を止める。


「大丈夫。

 歩のご飯、ちゃんと美味しいわよ。

 師匠の私が太鼓判を押すくらいにはね」


「…………作ったら、味見してくれる?」


「ええ、勿論」


 最初の頃は花江が料理の手解きをしたものの、歩が一通り料理を作れるようになってからは本やネットからレシピを探してきて自己流の料理にもチャレンジしている。家庭料理においては太鼓判を押す腕前なのに、どこまでも自己肯定感の低い姪の不安げに揺れる瞳を見つめながら安心させるように頷けば、歩が漸くほっとしたように微笑んだ。


 ◇


『歩ちゃんてさぁ、普段何となく辛そうに笑ってない?』


 春海が呟いた言葉が頭を過る。



 人見知りしがちな子ではあったが、本多歩という少女は元々笑顔の似合う人懐っこい女の子で、少なくとも中学生の頃までの歩は花江が会うたびにあの笑顔を向けてきてくれていた。

 そんな歩に変化があったのは高校生活を送り始めてしばらく経った頃だった。


 突然自室に引きこもり、会話はおろか食事も録に摂らなくなった娘を心配した歩の母である姉から相談を受け、歩の自宅に行った時を思い出す。



 ドア越しに幾日も幾日も語りかけ、漸く泣きながら打ち明けてくれた引きこもりの原因に内心驚いたものの、それ以上に痩せこけた歩の身体と絶望に染まった表情に衝撃を受けた。

 生きることすら危うかった歩と憔悴しきった姉夫婦を何とか説得して、この町に連れてきた日のことを思えば、これまでの時間は短くもあり長かった様な気もする。


 少しずつではあるが、漸くぎこちない笑顔を浮かべられる様になった今でも、自分の性的嗜好を受け入れられない姪の苦悩を異性愛者である自分が全て理解しているわけではない。

 だからこそ、歩の本当の表情を見つけてくれた春海を巻き込んだのだ。勿論友人として面倒事を頼んだお礼をしたかったのも本心だが、昔から他人を思いやる事に敏かった春海なら歩を理解してくれるのではないかという淡い期待と、身内以外の人の言葉に歩が少しでも自信を取り戻してくれるのではないかと思ったからだ。



 隠してはいるものの、歩が春海に好意を抱いているのは一目瞭然だ。歩の好意が友情なのか、恋慕なのか分からないものの、分別も常識もある歩ならその想いが叶うはずなどないと分かっているだろう。

 それでも、他人と壁を作り同年代の友人はおろか知り合いすら求めなかった歩が春海と出会った事で漸く心を開こうとしている。



 自分のお節介がこの先どう転がるか分からないものの、歩が動き出そうとしているなら何としてでも手助けしてあげたい。


 まだメニューを考えるには随分早いものの、カウンターの片隅で早くも頭を悩ませる歩を微笑ましく思いながら、ここ最近表情が豊かになった姪の変化を見守っていた。

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