第11話 鳥居春海 (2)

スピーカーから正午を知らせるチャイムが鳴り、誰かが席を立ったことが切っ掛けで、事務所の雰囲気がふわりと緩んだ。休み明けの集中力もこのくらいが限界らしく、思わず欠伸をしたタイミングで、美奈と視線が合う。途中で止めた欠伸をばっちり見られていたらしく、笑った美奈に恥ずかしさを誤魔化すように立ち上がった。


「良いタイミングだし、お昼に行こうか」

「そうですね」


 パソコンを閉じた後、財布とスマホをポケットに入れて、美奈の支度を待っていると、後ろで立ち上がった勇太から声が掛かる。


「美奈ちゃんと春海さん、二人してどこに行くんすか?」

「『HANA』でご飯食べようと思って」

「あれ?

 今日、水曜日じゃないよね?」


 毎週水曜日に『HANA』を訪れる春海の言葉に、思わずカレンダーを確認した勇太を見て春海が苦笑する。


「別に水曜日にこだわって通ってる訳じゃないわよ」

「ふ~ん……

 美奈ちゃんが行くならオレも行こうかな。……良いですか?」


「良いも何も、私が答える前にちゃっかり財布持ったじゃない」


 春海の呆れた様な視線を物ともせず、ちらりと美奈に目を向けると、笑いながら頷き、それを了承と捉えたらしい勇太が意気揚々と真っ先にドアを開けた。


「それじゃ、レッツゴー!」


 二人でのんびりと食事をするつもりが、どうやら賑やかな食事になりそうだ。そんな事を頭の片隅に思いながらも、勇太に続いて部屋から出ると、熱気漂う校舎を出て三人で歩き出した。


 ◇


 九月も残り僅かで暦の上では既に秋なのに、南国に位置する御多鹿巳町は未だ暑さが健在だ。太陽の熱を倍以上の威力で反射するアスファルトに辟易しながら『HANA』を目指して歩き進める。


「あっついわね~」

「まあ、南国だから仕方ないでしょう」

「勇太はどうしてそんなに元気なのよ……」

「そりゃあ、オレ、暑いの好きだから!」

「勇太ならどの季節も同じ事を言いそうよね」


 勇太と漫才の様なやり取りをしながらたどり着いた先には見慣れた『HANA』の看板。店の前の駐車場には一台しか車が停まっておらず、待つこともなく座れそうだ。


「私、ランチでここに来るの初めてです」

「そう言えば、オレも」

「あれ? そうなの?」


 美奈と勇太の言葉に軽く驚くも、確かにこの二人は昼休憩を事務所で取っている姿が多い。


「いつもお客さんが多いし、個人のお店って一人じゃ中々入り辛くて」

「あ~、確かに。

 でも、今日はお客さんが少ないみたいだし、良かったわ」

「ここって確かメニューは無いんですよね?」

「一応あるのよ。ほら」


 駐車場の中央に置いてある黒いボードを指差せば、『本日のメニュー』の文字が見える。


「あ!あれを見れば良いんですね」

「そうそう。

 まぁ、私は花江さんの作ってくれるご飯なら何でも美味しいし、今日は何かなっていうわくわく感が好きであのボードは見てないけど」

「春海さんらしいや」


 わいわいと騒ぎながらも店に近づけば、窓越しにせかせかと歩き回る歩の姿が見える。そう言えば、歩に買ったお土産は家に置いたままだ。今度また来れば良いか、と思い直して、店のドアを開けた。




「いらっしゃいませ?」


 春海達を出迎えながら、思わず、というように疑問符をつけた歩の姿に、勇太が耳元で囁く。


「店員さんもオレと同じ考えだったんじゃないですか?」

「……アンタと歩ちゃんは別よ」

「そこは身内を選ぶのが普通でしょ!」

「勇太のどこが私の身内なのよ」


「はいはい、そこまで。

 勇太さんも春海さんも入りましょう」


 入り口に立ったまま言い合う二人の間に入った美奈に促され、ようやく言い合いの矛先を納めるといつもの様にカウンターに向かおうとして思いとどまる。カウンターもテーブル席もゆとりはあるものの、三人で座るならテーブルが良いだろうと、いつも座るカウンター席の後ろのテーブルに移動した。


「いらっしゃいませ」


 カウンターからの花江の挨拶がいつもと違う距離感であることがくすぐったくて、笑って誤魔化すとすぐにトレイを持って来た歩が一つずつグラスを置いていく。


「ランチは、五百円の日替わりのみとなっているのですが、宜しかったでしょうか?」


 歩の説明に隣の美奈と勇太が同意する。春海と視線が合うと、一瞬恥ずかしそうな表情を浮かべた。常連の春海に同じ事を訊ねるのは恥ずかしいのだろう、手に取るように分かりやすい表情に思わず顔の表情が緩む。そんな春海を見てますますぎこちなくなる歩が、ご飯の量の確認をしてからテーブルを離れた。


 程なくして聞こえてくるフライパンからの音と匂いに、朝食を抜いた身体が一気に空腹を訴える。カウンターで食事を終えた客が立ち上がると、ぱたぱたと歩がレジに向かった。


「めっちゃ腹減った……」


 匂いにつられたのか、ぽつりとこぼれた勇太の言葉に美奈も笑いながらスマホを弄っていた手を止めて、賑やかに音を立てるフライパンの方に視線を向けている。客を送り出した歩が直ぐに戻り、花江の動きを確認しながら皿の準備に取りかかり、ご飯をよそうのが見えた。言葉を交わす事がなくても、互いが互いの行動を予測して動いていく。

 普段、花江と話しているうちにいつの間にか料理が出てくる気がしていたが、こうしてじっくり見てみると調理をする二人の姿が新鮮で、つい見いってしまう。


 やがて調理仕事を終えたらしい花江が、こちらの視線に気がついたようで、にこりと微笑んだ。


「今出来ましたから、直ぐにお持ちしますね」


 三人とも見入っていたのか誤魔化すように平静を装ってグラスを手に取ったが、勇太だけは未だカウンターに視線を向けていた。


「お待たせしました」


 今日のメインは豚肉の生姜焼きだったらしい。玉ねぎと共に炒められた豚肉が千切りキャベツと共にこんもりと中央に置かれ、五穀米のご飯が隣に並ぶ。ミニトマト、キュウリ、パプリカなど色鮮やかな野菜の小鉢と、茄子、豆腐、南瓜と具沢山の味噌汁が添えられている。


「ごゆっくりどうぞ」


 歩の言葉を皮切りにそれぞれ「頂きます」と手を合わせると、早速食べ始める。

 味噌汁を一口飲んで南瓜の甘味にほっとすると、ご飯に生姜焼きをのせて一緒に食べる。小鉢の野菜はピクルスだったらしく、甘酢とミニトマトが絶妙でまたご飯に戻る。


「うまっ……」


 テーブル向かい側では大盛りご飯を片手にかき込む様に食べる姿の勇太がいて、隣では美奈がモグモグと口を動かしている。会話がなくとも二人の表情を見れば感想は聞かずとも分かった。


 ──あぁ、私、幸せかも


 美味しいご飯に満足しながら、再び生姜焼きを口に入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る