第2話  なんじゃもんじゃの木

翌週の週末、僕は少し早めにマンションを出て、外苑を散歩していた。ツンと空に向かって伸びている公孫樹(いちょう)の木々は、枝の先に新緑の葉っぱを付けていた。土曜日の朝の為かまだ人通りもまばらで近くの競技場で試合でも有るのか、ジャージ姿の一団が通り過ぎてしまうと再び遠くから聞こえる都会の雑踏の音だけに成った。僕のマンションはもともと叔父の物で、暫く司書をしていた従兄弟が住んでいたが、数年前に嫁いでその部屋が空いたのがきっかけで、郊外に借りていたアパートを引き払い此方に越して来た。付近には、何処かのお嬢様学校の女子寮にでも使われていそうな洒落たマンションもあり環境および周辺の立地条件としてはハイランクな方なのだろう。僕は格安の家賃でそんな居住空間を手に入れる事が出来ていた。そんな僕の所を訪れてくれる人は、出版社の担当か、時折思い出した様にやって来る従兄弟位なもので、来訪者も少なく作家活動に励むには恵まれていると言って良いのだが、ただ、僕に取っては余りにも静かで整い過ぎている事で、ふと気が付いたら、貴腐老人化して誰にも知られないままあの世に行っていたなんて事に成るのが心配だった。一頻り定例の散策コースを回った後、馴染みの喫茶店に入りモーニングを注文した。この店は、半分ネットカフェを兼ねていて、自前のモバイルPCを持ち込む客も居たが、その他にも幾つかのPCが備え付けられていた。僕はその中の一台で、仕事の残りを片づけた後に、京都のホームページに入り、幾つかの宿を検索した。来月は、栞の命日だった。


「彼奴の墓参りは何時も雨だな。彼奴らしいと言えば、彼奴らしいけど。」僕は頭の中で幾つかの独り言を繰り返しながら、画面を覗き込んでいた。そんな僕の後ろから、頭越しに画面を覗き込む気配がしたので振り返ると恵が居た。

「え、随分早いし、どうして此所が分かったの?」前回の約束では地下鉄の駅前で10時の予定だった。

「うん、昨夜この近くでコンパが有ったの、だから面倒だったんで近くのホテルに泊まっちゃった。一寸早く目が覚めたからこの辺散歩してたら、朝食を取るのに適当な店が有ったんで入った訳。そしたら薫君が居るじゃない。それで何してるのかなと覗いた訳よ。京都へでも行くの?取材?」恵はバイキング形式に成っている陳列棚からサラダとオムレツをトレーに載せて僕のテーブルに着いた。

「近くに居たなら連絡くれれば良かったのに、朝食位、ご馳走したんだけど。」

「薫君、料理得意なの?」

「ああ、今住んでる所、元々叔父のマンションなんだけど、暫く前まで叔父の娘、僕の従兄弟が住んでいたんだ。最近嫁いで部屋が空いたんで、破格の家賃で僕が借りてるんだけど、その従兄弟が時折ふらっと寄ってくれるんだけどさ、その目的が僕の料理なんだ。まあ、それは良いとして、さっきコンパとか言ってたよね?」

「うん、コンパよ。」

「コンパて学生がやる飲み会だよね?」

「そう、実は私M女子大の3年なのよ。」

「はあー・・・」

「離婚してから、亭主の面倒も見なくて済むように成ったんで、もう一度勉強し直そうかと思って、あの頃はそんな余裕無かったし。それに暫くしたらまた会計事務所開こうと思ってたから、もう一度基礎から勉強し直そうと考えて大学を選んだけど、流石に国立は予備校にでも通ってみっちり勉強しないと無理だと分かってね、今の実力で入れそうな所にしたのよ。それに女子大だから、ウザイ男は居ないし。」

「だって、コンパて男子学生も来るんだろう?」

「来るコンパも有るけど、今回のは正確に言うと茶話会と言うの。」

「茶話会?」

「ミッション系の学校だから、他の女子大との交流が目的、一様お嬢様学校だから。」僕は恵の言い回しに思わず笑ってしまっていた。

「ああ、ご免、藤田さんてそう言うのが憧れだったんだ。僕らのイメージからすると、女、坂本龍馬的な感じだったけど。」

「ええ、何それ?」

「まあこれは神田がよく言ってた表現だけどね。まずはあの頃の髪型、中途半端なポニーテールだったでしょ、それに肩で風切って歩ってたし、極めつけは、良く屋上で腕組んで仁王立ちしてた。あれって生徒会室から良く見えるんだよ。それを見つけると、神田の奴がさ、当てレコし始めて、(日本の未来は私が開くじゃけん)、とかさ・・・」僕の話を聞きながら、恵はクスクスと笑い出していた。

「お店の外だったら、大笑いしたいな。お腹が捩れて痛く成っちゃうよ。ホントあなた達とあの頃、一緒の時間が過ごせていたらどんなに楽しかったか。」暫く笑いを堪えた後

「薫君と居ると楽しいな。ウザイ男じゃないからかな。」

「今の男子学生て、ウザイの?」

「まあ、歳の差も有るんだけど、さんざ男の嫌な所ばかり見せつけられて来たから、ある種の拒否反応かもしれない。本当の事言うと、前回、薫君に声掛けようかどうか迷ったのよ。でも声掛けて良かった。あのままだったら、もう一生逢わなかったかもしれない。」恵はそれから、暫くの間、通っている大学の事や、若作りをして他の学生達と併せている学生生活の状況を説明してくれていた。

「でも、一番しんどかったのは体育の授業ね。大学でまだ体育が必修科目とは知らなくてさ、なるべく楽な競技を選んでゴルフとかにしたんだけど、基礎能力競技見たいのが有るのよ。それは、短距離走とかタイムランニング、それにボール投げ見たいのがあって、体はボロボロ、仕方なく短パンとか穿いたけど、十代の若い娘とは歴然とした肌の違いでがっかりするわで大変だったのよ。」僕は恵の話に笑いを堪えながら

「ははは、今度は僕の方がお腹が痛くなりそうだ。」

「所で、京都へ行くの?」

「ああ、墓参り。栞のね。6月の23日、彼奴の実家は御所の近くなんだ。僕より二歳年上だったけど、どう見ても僕の妹にしか見えなかったな。勤め先の社員旅行で、僕が入院した病院の近くの温泉に来てた時に喀血してね、そのまま入院さ。僕と会った頃は四年ほど経っていた。京都て古い町だから身内から結核患者が出たなんてこと公に出来ないらしくて、それに漬け物問屋て立前もあったらしいけど。」

「ふーん、毎年行かれるの?」

「ああ、何時も雨だけどね。」

「えー、それて私が同行したらまずい?」

「いや別に、本当に墓参りだけだから、他に彼奴の実家寄るとかしなくて、他には何にも無いから構わないよ。彼奴も僕の知り合いなら喜ぶじゃないかな。生きている時から影の薄い娘だったから、あだ名が、白雪姫て言われてた。細くて本当に肌が白い子で絵に描いた様な結核患者だったよ。」恵は少し真面目な表情になってから

「まだ引き摺ってる。ああ、これて前に訊いたか?」

「うーん、墓参りだけは僕が生きてる間は続けてやろうかと思ってる、きっと淋しい人生だったろうから。けど、別に彼奴にこだわってる訳じゃ無いよ。僕には僕の人生が有るからね。」

「ふーん、それを訊いて少し安心した、薫君、何だかこのまま世捨て人で過ごしてしまいそうだったから、あの小説みたいに。」

「だから、あれはフィクションだって・・・」

僕らは互いが知らない部分を少しずつ話ながら心の距離を縮める作業をしていた。

「どうしよう、少し早いけど、散策がてら目当てのお店に行ってみる?」

「うん、良いけど、どんな店?」

「基本的にはイタリアンなんだ。多分藤田さんも好きな味だと思うな。」

「ふーん、あのさ、その藤田さんて言うの、なんとか成らない?私は薫君て言ってるのに!それに一寸前までは藤田じゃ無かったし。」

「え、急に言われても、長年藤田さんだったから、じゃぁ恵さん?」

「まあいいは、それで。」そんな掛け合い漫才みたいな事を話ながら僕らは散策に出かけた。なんじゃもんじゃの木を過ぎて国道沿いに暫く歩くとお昼近かった。目的の店は、こんもりとした木立の中にあり、一見和風庭園を思わせる作りで、この先に茶室でも有りそうな踏み石がほどよい曲線を描いていた。

「イタリアンのお店なんでしょ?」恵は少し首を傾げながら訊いてきた。

「僕も初めての時は、京都の何処かの店かと思いましたけどね。種明かしをすれば、従兄弟の同級生の店なんです。小学校から高校まで一緒で、フランスやスペインを回って最後はイタリヤで料理の修業をしたとかで。」踏み石を歩き終わると、赤煉瓦で作られた建屋に、白い漆喰が塗られた何時もの洋風の店が現れた。店はお昼には少し早かったので、比較的すいていて、あらかじめ予約を入れて置いたため、少し奥まった所の落ち着いたテーブルが確保されていた。

「エスカルゴとか大丈夫ですか?少しニンニクが強いですけど。」

「ええ、好き嫌いは無いから、薫君にお任せするわ。」僕は店のおすすめメニューとスパークリングワインをグラスで頼んでから、ウエイトレスに、チェリーアイスが有るかと尋ねた。ウエイトレスは、一度厨房に戻ってから、

「東堂様ですね。ご用意しております。」そう言ってから再び厨房に戻った。

「実はチェリーアイスはメニューに無くて、頼むのは従兄弟か、最近では僕位なんだ。干しぶどうならぬ干しサクランボを濃厚に使ったアイスで北関東にある果実園で作って貰ってるんだって。」

少し長めの昼食を済ませてから、近くの音楽ショップに寄ってそぞろに歩き出した。暫くすると雨が落ちてきていた。

「どうしよう、此所じゃタクシーも拾えないし、雨宿りしながら僕のマンションへ来ますか?」恵は意外な顔して

「ええ、お邪魔してもいいの?」

「別に藤田、いや恵さんなら問題無いですが、ああ、それとも男の部屋に入るのに抵抗が有りますか?」

「いえ、薫君なら全然・・・」

僕らは時折強く降り出す驟雨を木の下でやり過ごしながら何とかマンションのセキュリティードアを通過した。

「ああ結局びしょ濡れに成っちゃいましたね。直ぐに風呂湧かしますから!」僕は恵にタオルを渡しながら緩やかな曲線美を見つめていた。従兄弟の彩佳のパジャマを着た恵が、ダイニングテーブルの椅子にかしこまった様子で座っていた。

「パジャマ少し大きいですか?」

「うんうん、ちょうどいいわ。その従兄弟さんて私と同じくらいの体型?」

「うん、そう言われてみれば、同じ位かもしれませんね。」僕は、テーブルにキシュの入ったドリアと鴨肉の香味焼きにトマトベースのソースをかけ、最後にベーコンの入ったトマト入りポトフを出した。

「こんな雨で買い物にも行けないので、とりあえず有り合わせのものですが。」そう言いながら赤ワインを恵のグラスに注いだ。

「ほんと薫君がこんなに料理が上手だとは知らなかったわ。」そういってから、恵はワインを飲み始めた。

「実を言うとさっきまで、ドキドキしていて・・・」

「えー、何故?」

「パジャマの下、何も着けてないし、なんだか、両親の居ない彼氏の家に初めていって、これからの展開に期待と不安が入り混じったような気分て所かな。」

「ははーは、男はもうこりごりじゃなかったんですか?」

「まあーそれも相手によるわね。別に薫君なら拒まないけど・・・」

「あー、そうかもう結婚生活の経験者でしたね。僕の中では、まだ高校時代の藤田恵さんのイメージの方が強くて。」

暫くの沈黙が有った後に、

「このポトフ美味しい。こんな料理どこで覚えたの?」

「うん、従兄弟と結構外食するもんで、まあ、従兄弟が見つけてきたお店の味を再現しようとしているうちに自然に覚えたと言うか、まあ、普通のサラリーマンと違って時間は有りますから。」

会話と共に食事も進み、赤ワインのボトルが一本空いたころ、デザートのマンゴを食べながら恵が聞いてきた。

「薫君て、彼女居ない?と言うか作らないの?」

「ふーむ、作れない、と言うのが本当の所ですかね。ここは、破格の値段で借りられてますが、二人なり、ましてや家族を養うとなると、今の収入ではきついだろうし、そうなると、色々な仕事を増やさなくてはならない訳で、そんな量の仕事をこなせるのかと思うと一寸自信が無いし、いっそのことサラリーマンになればとも考えたりもするんですが・・・」僕は少し間を置いてから

「本当の事言うと、まあ、これは恵さんだから告白しますけど、トラウマがあります。お恥ずかしい話ですが、僕まだ女性を知らないんです。」

「え、だって栞さんとは?小説の中では・・」

「まあ、フィクションですから、出版社の編集からも僕の小説のラブシーンは淡白すぎるからもっと勉強しろ的なことよく言われますけどね。小説の内容は半分本当と言った所ですかね。確かに、示し合わせて病院を抜け出して、一寸気の利いたホテルを予約して、ダブルベットの部屋で夜を過ごしたのは本当ですけど、栞といざ裸になって抱き合い、そういう関係に成ろうとした時に、彼女が喀血したんです。恵さんは実際の喀血をご存じないと思いますが、肺の動脈の一部が切れて肺の中で出血する訳です。当然むせる訳で、咳と一緒に血が飛び散って、病院であれば白いシーツに点々と血飛沫が付いて、僕らはそう言うのを血の花が咲いたて表現してますけどね。それで結局、救急車呼んでまた病院に舞い戻ったわけです。その後、さんざ主治医に怒られて、挙句にそのことが直接的な原因じゃなかったんですが、栞は死んじゃいました。」

恵はふらふらと僕の方へ来ると、いきなり僕の顔を羽交い締めにした。本当はたぶん僕を優しく抱いてくれようとしたのだろうが、ワインが度を過ぎていたのか、力加減が尋常ではなかった。

「薫君て、不憫だわ。かわいそ過ぎる。あなたなら言い寄る女子なんて何人も居たでしょうに!それを今まで一人の女性のために・・・」

「一寸!苦しんだけど。」僕の嘆願にやっと答えるように恵は力を抜いて

「私で良ければ何時でも抱いてくれて良いからね。」あらぬ事を口走りながら、やっと腕を解いてくれた。

「そんな事、恐れ多くて恵さんには出来ませんよ。」その言葉に、ぷいとふくれ面になって

「なんであなたは何時も私を目上扱いにするのよ。それに何で恵さんなのよ。恵かメグで良いじゃない。ダチでしょう、もしかしたら恋人になってたかもしれないのに。ほんとあの頃あんたらに抱かれてたら、私の人生は素晴らしいものになっていたかもしれないわ。」僕は絡み上戸なんだと思いながら

「そんな事に成っていたら、今ではもっとズタボロの人生に成ってましたよ。なにせ売れない作家なんだから・・・所で、恵さん、いや恵の胸てこなに大きかったんでしたけ。」

「ほう、少しは感じてくれた。でもこれは前の亭主のせいよ。彼奴胸フェチだったから、さんざ揉まれたのよ。」

「ふーん、揉まれると大きく成るんですか?」

「うん、有る程度型も良くなるわよ。左右も同じように成るし。」

「ほー」と言いながら、僕は栞の白い胸を思い浮かべていた。透き通るような色白の胸に、僕の手の平でスッポリ隠れてしまう小さな乳房があった。そしてピンク色の乳首だけが、彼女の女を主張している様だった。

そんな思いでふと気を抜いていた時、恵はやおらパジャマのボタンを外し始めていた。僕がその行為を止めさせようとしていると、玄関ベルが鳴った。それが転機になり、僕は恵の側を離れ玄関に向かった。モニター越しに彩佳の顔があった。

「ええ、どうしたのこんな雨の中?」

「そこの椿荘で、友達の結婚式が有ったのよ。披露宴が終わった頃には凄い雨で、地下鉄は止まってるわ、道路は冠水してるわで、知り合いの車で近くまで送ってもらったんだけど・・」彩佳は、玄関の女物の靴を見て

「ふん、先客ありかな?」

「ああ、良いよ。高校時代の同級生で僕の読者さんさ。」僕はタオルを渡しながら言うと

「ええ、彼女?」

「本人曰く、バツイチ、コブ無し、資産在りの独身で、ただいま、M女子大の3年だって。」

「薫ちゃん逆玉狙ってたり・・・まあそれは無いか、何せ私の誘惑にも動じない男だからね。」

「彩姉あやねい、変なこと言わないでよ。僕ら従兄弟同士でしょうが。」

「え、でも従兄弟同士は法律上結婚できるんだよ。」

「何言ってるの既婚者が! 旦那に怒られるよ。」そんな馬鹿話をしながらリビングに戻ると、ソファーの上で恵が沈没していた。

「ワイン飲ませ過ぎたかな?結構弱かったんだ。」僕は、恵を和室に移して寝かせた後、彩佳に冷たい水を持って行った。

「あー、有難う。ほんと気が利くし、料理は上手だし、私のお嫁さんにしたいよ。」


「結構飲んで来たでしょ?」

「うん、今更帰れなんて言わないよね、こんな雨の中。」

「そんな事は言わないけど、部屋が無いから僕のベット使って、僕はソファーで寝るから。」

「ええ、別に薫ちゃんと一緒でも良いのに、子供の頃は良く一緒に寝たじゃない、プロレスごっこしたりさ。」

「何時の話だよ!今は人妻だろが、まったく。」結局、納戸からエキストラベットを引っ張り出してきた彩佳は、僕の隣で寝ることになったので、彼女が風呂に入ると言ってリビングを出て行ったのを見届けてから就寝した。


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