QCビット

第1話  邂逅

それなりに話題に成った僕の小説で、出版社のお情け的なイベントが催されていた。そのおかげで、僕は都内の大きな書店でのサイン会に駆り出された。ひょんな事からこの仕事を始めて十年近く経つが、あまり人前には出ない生活習慣に馴染んでしまっていた為か、対面する人達への態度がぎこちなかったのは、自分でも意識できていた。数人の文芸記者とのインタビューの後、一寸長い行列を作ってくれた人達へのサインをしている最中、ふと何処かで見覚えが有るような女性から、ハードカバーの裏にサインを求められ、

「藤田 恵(めぐみ)さんへて書いて頂けます!」と声を掛けられた。僕は少しその名前を記憶の中から呼び戻す作業をし始めた途端に思わず

「え・・・」と、その女性の顔をまじまじと見詰めてしまっていた。

彼女は、さっとメモを置き、後ろの人と入れ替わっていた。イベントが一段落した後、関係者への挨拶もそこそこに、メモに記された店へ早足で向かった。すでに花が終わってしまっていた花水木の並木だが、新緑の葉が鮮やかに揺らぎ、久しぶりに感じる嬉しい期待感に満たされていた。

 彼女は、窓際のテラスの席にいた。

「やあー、お久しぶりです!」

「ええ、ほんと十年ぶり位?薫君変わらないわね。私だけ年取ったみたい。」

「いやー、藤田さんこそ大人の女て感じで・・・うん、これはあまり適切な表現では無いのか?」僕はこんな時どんな言葉を掛ければ良いのか躊躇しながら

「魅惑的な女性に成りましたよ。」と言うと

「いいわよ、気を使かわなくっても、それにしても、あなた達は何時までそう言う言い回しをするのかな?まるで私が年上みたいじゃないの。同級生だし、確か薫君よりも少し若い筈だけどな!」

「え、そうでしたっけ?」僕はその時、中学時代の出来事を思い出していた。親しかった友達とクラブ活動を終えての下校途中、藤田恵の家は、国道沿いの少し奥まった場所の一軒家だった。父親を亡くして貧しかったためか、その家も本当にこぢんまりとしていて、屋根と壁しか無いような家で、唯一その壁に作られていた小さな窓から白熱球の赤っぽい灯りが漏れていた。

「おお、藤田、もう勉強してるよ。」

「ああ、すげーよな。あんだけガリ勉だと尊敬するぜ。」

「何だか、勉強机と電気スタンドは自分で作ったて言ってたぜ。」

「ふーん、じゃ今度うちに一台蛍光灯スタンドが余ってるから持ってくるよ。」友人の神田順一が言った言葉に、僕が反応して

「敵に塩を送る、てか。」

「ほう、成る程、そう言う解釈にも取れるか?でも藤田なら許せるかな。」そんな幾つかの出来事を重ねた後、何時しか僕ら二人にとって藤田恵は一目置く存在と成っていた。その後三人はその地域としては、当時まだ珍しかった共学の高校へ進んだのだが、恵の入学に当たっては、かなりの障害が有った。成績には何の問題も無かったが、母と二人暮らしの恵にとっての経済的問題は深刻で、その問題に影ながら助力したのは親友の順一だった。彼は教師の親を伝に、所謂あしなが基金を見つけ出し、恵に紹介した事で事態が好転し何とか入学までこぎ着ける事が出来た。

 ふと気が付くと、ウエイターが注文を取りに来ていて恵はカフェオレのお代わりを頼んでいた。

「じゃあー同じやつを。ああそれとクロワッサンのサンド下さい。


ええーと、何から話出しゃ良いかな?」僕が一寸照れながら言うと

「そりゃーまずはこの本からでしょ。薫君て理工系だったよね?」

「ああ、工学部卒業だけど・・・」恵は僕の小説の裏表紙を捲りながら、著者の略歴を見ていた。

「へー、地元の大学に行ったの知ってたけど、修士さんなんだ。」

「うん一応、途中病気して暫く休学してたけどね。」

「病気?」

「肺結核で、所謂療養所て言う感じの病院で暫く闘病生活をしていたんだ。」

「ほう、確か小説の中に出てきていたわね。と言う事は、ヒロインの栞さんて言う人は実在のモデル?」

「ああ・・・」

「ふーん何だか他にも色々ドラマが有りそうね。」

「藤田さんの方こそどう何ですか?」

「今はバツイチ、コブ無し独身中、第二の青春を満喫してるて言えば一寸はかっこ良いかな。そう言えば、薫君は・・・一人?」

「うん、一人、まだ暫く一人かな・・・」

「まさか、小説の中の様な事に成っているわけ?」

「ははは、その小説を読んでてくれたなら話が早いな。」

「えー、本当にその人の事を引き摺ってるの?」

「小説の中ほどじゃないけどね、一様あれはフィクションだから。」

恵と僕の身の上話は暫く続いていた。恵は高校卒業後、都内の銀行に勤めた後、経理事務所に移り持ち前の頑張りで公認会計士を取った。知り合いの男性と事務所を開きそれなり充実した仕事をしていたが、その男性と結婚した後、主婦業に専念していたのだが、子供が出来ない体と分かってから、夫婦中が冷え始めてしまい離婚、現在に至る、とまるで履歴書の記事でも読むかのように僕に説明した。

「所で、身に覚えの有るような無いような事が小説の中に出てくるけど、あれてやっぱり私の事なの?」

「ええ、分かる?」

「そりゃー確かにミカン箱で勉強机を作ったり、拾ってきたガラクタに裸電球つけて電気スタンドにしたりしたけどさ。それも本当の事言うとあんた達に負けたく無かっただけなのよ。だってあんた達、何時もどっちかが一番じゃないの。結局高校時代もあんた達には勝てなかったわ。」

「それは仕方ないだろう、藤田さんはあの頃バイトやってたし、僕らはその分恵まれてもいたし・・・」

「だけど、結構二人で馬鹿やりながら、生徒会だの体育祭だの文化祭だのをこなしてたじゃないの。それに何だかんだと私に便宜を図ってくれてたわよね。」

「はは・・バレてたか!特に神田は密かに藤田さんに思いを寄せてたんだけどな。」

「ええ!知らないわよ、そんな事。」

「それなのに、卒業したらあっさり姿消して、消息不明でクラス会にも出て来ないし、彼奴結構落ち込んでたんだよ。」恵は一寸赤くなって、ぽかんとしていたが

「そう言えば、順一君は?」予想はしていたが恵のその一言は結構ずしりと来ていた。その為も有ってか多分暗い顔に成った僕の表情を恵は見逃さなかった。

「何かあったの?」

「僕が病気で死線を彷徨てた頃、まあ一寸それは大げさかな、彼奴も同じ様な状況だったんだ。彼奴、医学部へ進学したんだけど、ラグビーの部活中にタックルされて打ち所が悪かったのか、意識不明のまま三ヶ月後に死んだんだ。僕が病院でその話を聞いたのが、丁度、栞を亡くした頃だったから、かなり落ち込んでしまって暫く精神科の厄介になる羽目に成ったんだけど。」

恵は、暫く外の景色に目をやりながら


「生きてるて事は色々有るわね。運命の一寸した行き違いか、何か悪戯なのかも知れないけど、あの頃あんた達のどっちかがちゃんと私に告白してくれていたら、私もこんなズタボロな人生には成らなかったのに。」恵は心の軛くびきがとれたか様に話し始めた。

「別れた亭主はさ、私が子供を生めない体だと分かると、さっさと愛人作って、子供まで生ませた挙げ句に、その子を私に育てろて言い出したのよ。流石にそれには頭に来てさ、出来る限りの財産をふんだくって離婚してやったわよ。」恵が少し淋しそうな目で此方を見詰めた時、僕は栞の面影を見ていた。

「それで薫君は小説家に成ろうと思ったわけ?」

「別に成ろうと思った訳じゃ無いいんだ。病院で落ち込んでた時、担当医にかなり説教されてね、このままずるずる投薬療法を続けていたら社会から葬りさられるだけだて、ここから出る事を考えろて、その一つとして手術が有ったんだ。病巣ごと肺の一部を摘出してしまう手術だけど、でもその頃の僕はもうこのままあの病院で朽ち果ててしまっても良いなとさえ思っていたから、最初はあまり乗り気じゃ無かったけど、結局手術をしてみると、少し人生が変わった様な気がして、復学した後、ひょんな事から投稿した小説が入選したのがきっかけで今の仕事を続けている訳なんだ。」恵は溜め息をついてから

「ここで巡り逢ったのも何かの縁だろうから、暫くお付き合いしてみない。今何所に住んでるの?」

「ああ、外苑の近くのマンションだけど。」

「そう、それならそんなに遠くないわね、私は駒沢公園の近くよ。」

僕らの話は、とっくにお茶の時間を超過し、夕食時に成っていた。店を変えて食事を済ませてから、次回の予定を決めて別れた。僕が別れ際に

「あ、そうだ次回は一寸した店紹介するから、楽しみにしてて!」と言うと

「ああ、これが十年前ならね。」そう言って、恵は僕をぎゅっと抱きしめてくれた。予想外の出来事に、少し動揺しながらも僕は恵の髪を優しく撫でていた、それは嘗て栞にしていた様に。

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