ロシアンルーレット

ヤクモ

ロシアンルーレット

「行ってきます」

 ガチャリと重い施錠音が響く。開けようと思えば簡単に開くのだが、見えない鎖は依然俺の首に絡みついていた。。

「うっせぇ奴」

 ため息とともに毒を吐く。本人に直接言ったところで、どうせ笑っていなされるだけだ。あの笑顔は生理的に拒否したくなる。

「沙羅」

 声に出すと、愛しさが募る。

 会いたい。あの色素の薄い髪を指で梳きたい。うっすらと赤らめる頬を両手で包み込みたい。華奢な身体を抱きしめたい。せめて、声だけでも聞きたかった。しかし、それをあいつの前で言おうものなら、すぐさま彼女もこの檻に入れられてしまうだろう。

 俺の何を気に入ったのか、あいつは「出る」以外の望みは全て叶える。×××が食べたいと言えばその日のうちに食卓に並ぶし、映画が見たいと言えば俺好みをレンタルしてくる。一度困らせようとAVが見たいと言ったのだが、ネットで購入した。それもやはり俺好みだ。

 一方で、服装など俺の外見はすべてあいつの指示したものだ。服は何処に隠しているのか、用意されたもの以外は見当たらない。しかも寝ている間に素っ裸にされているものだから、出されたものを着ないと、一日裸で過ごさなくてはいけない。以前ランジェリー一着のみが用意されていたことがあったのだが、流石に着る気になれなくて裸でいたら、両手両足を手錠で固定されて局部を丸出しで一日を過ごす羽目になった。

 あいつはありとあらゆる薬で俺を従わせる。夕食に睡眠薬を混ざるのは日常茶飯事だ。それが入っていないときは大抵媚薬が混ざっているため、興奮状態になり眠れなくなる。はじめは慣れない薬に体調を崩していたが、今では微かな薬の味で、何の薬剤かわかるようになった。

 俺がこうしているのは、薬物中毒になったからというよりは沙羅のことがあるからだ。

 沙羅は俺の彼女、いや、元彼女だ。今頃別の男といるだろう。彼女は人一倍孤独を恐れる人間だ。一人にならないためなら、平気で浮気をするし風俗で働くことも躊躇わない。

 沙羅と出会ったのはバイト先だ。当時彼女は既婚の店長と不倫関係を結んでいた。けっして声を荒げずに、いつも穏やかに微笑んでいる沙羅にそんな面があるとは露ほども気づかなかった。だから、告白した。

 彼女の二股に気づいたのは交際を始めて半年が経った頃だった。行為をした後、珍しく体をすり寄せる沙羅は、いつもより小さな声で二股を告白したのだ。その当時彼女とは同棲までしており、バイトのシフトが違う日と大学に行っているとき以外は常に部屋にいた。いつ会っていたのか尋ねると、「バイト中」とあっさり口を割った。しかし、ここ一カ月近くは業務的な会話以外はしていないらしい。どうやら店長の妻に浮気がばれてしまったのだ。店を潰すわけにもいかず、かといって沙羅をクビにすると客足が減るのは目に見える。(美麗な容姿の彼女を目的とする客は少なくない)二人は不倫関係をやめるということで妥協したと言うのだ。

 今は俺一人だけだと言って、軽く唇が重なる。嘘か本当は分からなかった。空気を読めるのに、色恋には鈍いと俺を評したのは気の置けない友人だ。彼がそう言うのならそうなのだろう。

 ともかく、沙羅との交際は順調だった。

 穏やかな流れに岩石が投じられた時、沙羅と出会って二年が経とうとしていた。

「ただいま~」

 ぼんやりと形にならないことを考えていたため、耳にこびり付く施錠音に気が付かなかった。

「何食べたい?」

 両手にポリエステル製のエコバックを抱えて、いつものように尋ねられる。ソファーに寝そべったまま「シチュー」と呟く。こいつの料理の腕は、沙羅よりも上だ。

「手伝って」

 流しで手を丹念に洗いながら、にっこりと笑いかける。今日の格好からいって、エプロンか。

 こいつも沙羅のように飢えていた。

 沙羅の場合人肌に触れることで満たされているようだったが、こいつの場合はシチュエーションにこだわっている。はじめはただの変態だと思っていたが、どうやらメルヘン思想のオタクのようだ。

「うん。やはりメイド服にはフリルのエプロンだね」

 満足そうにうなずくさまを見ると、一時的にこいつへの嫌悪感を忘れてしまう。

「下ごしらえをお願いしようかな」

 促されて包丁を握ると、早速尻を触られる。

「危ない」

「大丈夫。指を切ってしまったら、舐めてあげる」

 ギュッと背後から腕を回され、身動きがとりづらくなる。それでも何とか食材を切り終えると鍋の中に投入した。

「ありがとう。後は任せて」

 エプロンを脱ぎ捨てて再びソファーに身を沈める。火がつき、油が跳ねる音が耳朶に響く。

「さっき君の恋人を見たよ」

「何したっ」

 がばっと体を起こして睨みつける。

「若い男と歩いていたよ」

 視線を鍋に落としたまま淡々と事実を告げる。

「笑ってたか」

「あぁ。相変わらず聖母のようだったよ」

「そうか」

 笑っているのか。

 沙羅が笑っているのならば、俺はこの状態でいても構わない。

「三十分もすれば出来上がるよ」

 当たり前のように俺の膝に座り、テレビをつける。

「出たいかい」

 今年再活動したバンドに混ざって聞こえる呟き。大音量に紛れて聞き取れなかったはずなのに、やけに大きく聞こえた。

「出られるなら」

「出さないけどね」

 ぷつりとテレビが消え、黒い画面に地味な容姿が映る。

「先に風呂に入ろうか」

 上に乗っかったまま器用に向き合う形になると、丁寧にブラウスのボタンを外していく。半ばほど外してから、これがワンピースだったことに気づいたらしい。

「ここじゃ脱ぎにくいね」

 軽々と降りると、腕を引っ張られる。手を握ったまま脱衣所に行くと、身ぐるみを剥された。

「お湯は入れてあるから」

 中に入ると、確かに湯船の七割は白乳の湯で埋まっている。手を差し込んで温度を確かめると、ちょうどいい。いつの間にためていたんだ。

「出かける前に出しておいたんだ」

 背に人肌を感じる。微かな温もりと、特有の弾力。本来であれば興奮するような状態だが、こいつにやられると、幼児に色仕掛けをされているような気分になる。

「寒いから。さっさと入って」

 俺を湯船へ追いやると、自分はシャワーを出して全身を隈なく洗う。こいつ曰く俺は外に出ないから体を洗うのは週二で十分らしい。

 一通り洗い終わると、これまたいつものように俺の脚の間に収まり寄りかかる。

「外は汚いねぇ」

 蒸気とともに呟きは消えた。




 何気なく視線を前へやると、一組のカップルが目についた。

 理想的な身長差で、二人ともまだ若い。男はカーディガンとジーパンというシンプルな格好だが、自然に腕を組んでいる女は淡いピンクのワンピースに若葉のカーディガンというフェミニンな格好だ。

 視力の弱い私には二人の容姿までははっきりと見えない。すれ違いざま視線を向けると、見覚えのある女だった。

(沙羅)

 あの人の元恋人で、私の妹だ。一年振りに見たその表情は相変わらず不気味だ。聖母の如き慈愛に満ちた微笑みは、見る者の心を穏やかにする。しかし、彼女の過去を知る私にとって、あの顔は恐怖でしかなかった。

 両親は愛し合っていた。少なくとも表向きにはそう見えた。だからこそ母は父の浮気を裏切りとし、彼を責め立てた。それでも離婚をしなかったのは、真に愛していたからだろう。

 日に日に暴力が増していく母を父は恐れた。恐れて、家に帰らなくなった。彼がどこにいるのかわからない。母はその不安を私にぶつけた。「愛している」と微笑みながら、父に似た顔の私を殴り、キスをした。妹は、黙って見ていた。

 私が家を出たのは高校生の時だった。全寮制の学校に入学し、強制的に家を出たのだ。以来、家族と会っていない。三者面談などはすべてスルーした。一年生の時に事情を聞かれ、渋々担任に言った。運が良かった。この教師は情に厚く、お人好しだった。彼女は私が親と顔を合わせないように動いてくれた。彼女には感謝している。

 人の温もりに飢えたのは、卒業してすぐだった。寮生活では誰かしらと顔を合わせるため、孤独を感じずに済んでいたのだが、一人暮らしとなるとそうもいかなかった。あまり人と接するのが苦手な私は、ネットを使って稼ぐことにした。今の時代、パソコンのみで行える仕事は多くある。家に籠もる私が外界と接するのは、仕事でのやり取りと、テレビと、たまの買い物だった。

 彼を初めて見たのは喫茶店だった。慣れた動作で店内を行き来する彼に、自然と目がいった。ぼんやりと彼を目で追っていると、彼の背後で若い女性客がグラスを落とした。店内に高い音が響く。シーンと静まる中、素早く彼は片づけをはじめた。オロオロとする女性を手で制し、「大丈夫ですよ」と微笑む。優男の笑顔は、店内を華やかにした。女性の頬が赤く染まる。

 彼から、同類の匂いがした。

 次にその店に行った時、沙羅がいた。彼と親し気に話す姿を見て嫉妬した。盗られてしまうと感じた。体液が蒸発する。コーヒーを頼んだはずなのに、血の味がした。

 三か月ぶりに外に出た。まとめて食料を調達する。レトルトを大量に貯蔵しているため、案外引きこもれるのだ。

 近所のスーパーへ歩いて向かう。今日のような涼やかな風が吹く晴れが一番好きだ。

 スキップや鼻歌をしてしまいそうになるのを押さえながら、珍しく正面を見て歩く。通り過ぎる人々の視線も怖くない。

 油断していた。

 彼と沙羅が手を繋いでこちらに向かってくる。彼が何かを言っている。沙羅が彼に微笑んでいる。二人の手は、固く繋がっている。

 頭を横殴りにされた。

 脳に血が上らず、思わずその場にしゃがみ込んでしまう。

「大丈夫ですか」

 低く優しい声がした。

 恐る恐る顔をあげると、彼がこちらを見ていた。

「どこかに座りますか?」

 そう言いながら私の肩に手を回し軽々と立ち上がらせると、近くの店の軒先に連れていく。

「これ、水です」

 沙羅がペットボトルを手に目の前にしゃがみ込んだ。目がしっかり合ったにも拘らず、沙羅は微笑みを崩さない。沙羅にとって大事なのは、自分を見てくれる人間だけだ。沙羅は母親同様愛する人間以外目に入らない。たとえ共に生活していた血の繋がった姉であっても、沙羅にとっては恋人が助けた通りすがりの人にすぎない。

「吐き気などは、」

「大丈夫です。よく貧血になるので」

 嘘ではない。睡眠不足だったり、栄養が足りなかったりでよく貧血にはなる。未だ視界はぐるぐると回っているが、歩けないわけではない。一刻も早くこの場を離れたかった。

「無理はしない方が」

 なおも心配そうにする彼に無理やり笑顔を作り、一礼する。

「ありがとうございました」

 果たしてうまく笑えていたのか。

 そんな不安を抱きながらの買い物は、余計なものばかり買ってしまった。

 まさか、おもちゃ売り場にあった手錠が役に立つとは思ってもみなかった。



「ただいま~」

 シュークリームの材料を忘れてしまったため、とりあえず小麦粉、砂糖、卵、牛乳、生クリームを買ってきた。まぁ、お菓子はこれがあれば大抵作ることができる。

 リビングに行くと、ソファーに寝そべった彼と目が合う。その瞳ははじめて会った時と比べると濁っている。

 黒と白のシンプルなメイド服は、男にしては華奢な彼の体にぴったりと合っている。

「何食べたい?」

 外の汚れを念入りに落としながら、彼に尋ねる。

「シチュー」

 ここに来てすぐの頃は私が用意するものすべてを拒絶していた。あんなに優しい瞳は、私を見てはくれない。それでも、沙羅の元にいられるよりはましだった。

「僕のこと好き?」

 寝巻に着替えて彼に寄り添う。私に背を見せる体勢の彼は、顔をこちらに向けずに淡々と、

「嫌いだ」

 吐き捨てる。

 彼が私を愛することは無い。今、こうして彼の体温を感じていられるのなら、嫌われたままでもいいと思う。





「沙羅ぁ、何してんだ」

 隣からスマホを覗き込まれる。

「何でもないよ」

 電源を消しながら、男に乗りかかる。

「わたしのこと、愛してる?」




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ロシアンルーレット ヤクモ @yakumo0512

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