高松築港駅

九紫かえで

たかまつちっこう K00 N00

 瀬戸は日暮れて――。


 * * *


 地方のローカル線の電車特有の大きな揺れは、程よいとは形容しがたかった。

 それでも島を渡ってきた旅の疲れからか、眠りに落ちていたようだ。ずいぶんと懐かしい夢を見ていた気がする。

 予定よりも到着が一時間遅れてしまったせいで、空はすっかり暗くなっていた。じっくりと初めて降り立つ駅を観察したいところではあるが、人を待たせていることもあって、早々に自動改札を通った。

「改札を出て右の待合い……あ」

 程なく待ち人の姿を見つけたが、彼女はこくりこくりと舟をこいでいた。僕の知っている頃のままの彼女であったら、きっと一時間も前からここでずっと待っていてくれていたのだろうか。

「  」

 ふいに漏れ出してしまった単語に自分でも驚いた。僕はこほんと一つ咳払いをしてから、ぽんぽんと彼女の肩をたたいた。

「七條」

「んん……」

 彼女は、まだ覚め切っていない瞳を僕に向けた。

「先輩……? どうして……」

 寝起きの表情はどこかあどけなく、そして、少しばかり嬉しそうに見えた。

 こんな顔を僕は見たことがある。今となっては遠い過去のこと。

「あぁ、そうでしたね」

 七條は目を覚ましたのか、きりっと表情を引き締めた。

「久しぶり」

「お久しぶりです、先輩」

 高校で一つ年下の後輩だった七條とこうして面と向かって会うのは八年ぶりだ。高校生だった彼女は二十代半ばになっているはずだが、記憶の中の姿とそう大きくは違わない。

「今、わたしはたいして変わっていないと思っていませんか?」

 むぅ、と七條は頬を膨らませた。

「これでもわたしは大人になったんですよ。社会人三年目なんです」

 そういうことでムキになるあたりが昔と変わってないんだよ……とは言わないでおく。

「県庁で働いているんだっけ。何の仕事をしてるの?」

「今は文化振興課にいます。最近は来月行われる予定のシンポジウムのために関係各所との折衝が中心業務ですね」

 香川県高松市出身の七條が、中学高校を関西の地で過ごしたのは親の転勤が理由だったのだという。地元の県庁に就職してUターンしたという、よくありがちな話だ。

「なんだ、てっきりうどん食べるのが仕事なのかと」

「あの、香川県民がうどんしか食べていないっていうの、偏見ですからね?」

「じゃ、今日の昼は何食べた?」

「…………」

 うどんか。

「そんなことよりも」

 劣勢を悟ったのか、七條はしれっと話題を変える。

「随分と物好きなルートで来られたんですね」

 一時間遅れてしまった原因の話だ。

 そもそも金曜日に岡山市内に出張が入って。どういうノスタルジーに駆られたのか、香川に戻った七條に連絡をとったら、それじゃあ久々に会おうかという流れになったのだ。

 そこまでは良かったのだが。

「いや、それは僕の趣味じゃない」

 予讃線の電線トラブルに巻き込まれ、岡山駅の駅員の言うままに、琴平からことでんに乗り換えるというトリッキーな旅路をたどった結果、すっかり日が暮れてしまったというわけだ。

「金比羅さんはどうでしたか?」

「全く見てないよ! 乗り換え時間ぎりぎりだったからね!」

「そうでしょうね」

 そういえば、昔も電車の人身事故か何かで待ち合わせに三十分くらい遅れたことがあった。

 あのときの七條は、先輩のせいじゃないですけど……と言いつつも、不機嫌だったのを思い出した。それと比べ、今回はもっと遅刻しているわけだが、彼女は平然としていた。

「ちなみに……何時からここに?」

「定時上がりでここに来ましたよ」

 遅れるということも、到着予定時刻もラインで伝えていた。

 何も定時ダッシュを決める必要なんてないのに。

「まぁなんだ」

 むずかゆさを抑えて、僕は言葉を紡ぐ。

「押しかけておいて、遅刻してしまってごめんな」

 七條が目を丸くしたのは一瞬のこと。

 くすっと笑ってから、七條は随分と温めたであろうベンチから立ち上がった。

「これくらい、慣れていますから」

 彼女も僕も、変わっていないようで、やっぱり変わったところもあって。あのときより少しは大人になっていた。

「ちょっとだけ考えが変わりました。先輩、先に車を置いてからお店に向かっていいですか?」

 今日は七條が見繕ってくれた魚の美味しい居酒屋で一杯やることになっている。

「七條……運転できたの?」

「失敬な。田舎をなめないでください」

 二人並んで駅舎の外へと足を進める。

「それで」

「いいよ。一緒に飲もう」

「……はい」

 喫茶店に入って一緒にコーヒーを飲むだけでどこか背伸びしているような気がしたあの頃。

 そんな七條とお酒を酌み交わし合うようになるとはなんとも感慨深い。


 ……本当は、何年も早くこの日を迎えられたのかもしれないけど。


 * * *


 賑やかな高松中央商店街にほど近い居酒屋で。地の魚と地の酒を味わうのは出張の醍醐味だ。

「はぁ、鯛うめぇなぁ」

 香川の地酒は白身魚と本当に合う。

 横に座っている七條もグラスに入った金陵をちびちびと嗜んでいた。

「ふぅ……」

 お酒を一口含んだあとの吐息が艶めかしくて、どきっとしてしまった。

「どうかしましたか?」

「いや、なんでも」

 見とれていたとは言えなくて、目の前にある鰆に手を伸ばした。

「別に見とれていたなら見とれていたって、言ってくれてもいいんですよ?」

「……七條って、そんなキャラだったっけ?」

 俺が知っている七條はこんなにぐいぐいとくるタイプではなかった。

 どちらかというと、むしろ……。


「見、見とれていたなんて……何恥ずかしいこと言っているんですか、先輩!」


「って、感じだったよなぁ」

「声に出して何気持ち悪いこと言っているんですか、先輩……」

 あ、少しだけ昔の七條がよみがえった。

「先輩は昔とあまり変わらないですね」

「そうか。これでも、僕も社会人四年目なんだけどな」

「そういうことじゃないです。なんていうか……」

 七條がんーっと唸っている。言いたいことはなんとなくはわからなくもないけど、言語化するのが難しいのだろう。

 言葉が紡ぎ出される前に、注文していたこの店の名物の餃子が目の前に置かれた。

「ほら、餃子来たよ。熱いうちに食べよう」

「わかっていますってば」

 七條はぽいっと餃子を口に放り込み、そして、あつっと声を上げた。

「うぅ……」

 何か言いたげな目でこちらを見つめてくるが、僕の知ったことではない。

「お酒入れようか」

「お、お願いします……」


 あぁ、そうか。

 全体的に昔と変わっていないからこそ、変わっているところが目立ってしまうのか。

 こうやってお酒を一緒に飲むというシチュエーションは昔にはなかったけれども。それでも、高校生だった頃に、一緒に隣同士で歩いていた頃と距離感はそう変わらない気がするのだ。

 あの頃と同じ、どこか目を離せない、それでいて、肩肘張らずに話すことができる……一つ年下の女の子のままなのだ、この子は。

 

「でも、ちょっと安心しました」

 口の中を冷ましきったのだろう七條はグラスをテーブルに置いて。

「先輩がわたしの知らない先輩になっていたら、どうしようかって思いましたから」

 そんなことあるはずないだろう、と僕は自分のことだから言える。

 でも、七條の視点から見れば――。


「東京の大学に行って、東京で就職して、わたしが知らないような世界をたくさん見て、わたしが知らない素敵な人と出会って――先輩はきっとどんどん先へ行っているんだろうなって」


 そう、思っていました、と彼女は告げた。

 まったく、もう。

「七條は東京へ行ったことあるの?」

「大学の頃に友達と一緒に、二回くらいですかね」

「そうか」

 そのときに一声かけてあげられなかったのは……今悔やんでも仕方がない。

「やっぱり都会だって思った?」

「そうですね。大阪に来た時も都会だって思いましたけど……東京はやっぱり大きいな、って」

「そりゃ有名なところしか行ってないからだろう」

 僕も大学に進学して東京駅に降り立ち、霞が関だとか新宿だとか銀座だとかテレビで出てくるようなところを歩いたときはそう思った。

 でも。

「僕が東京で住んでいるところなんて、普通の郊外の住宅街だよ。別に東京じゃなくてもどこでもあるようなね」

 厳密にいうと今住んでいるのは東京都ですらないんだけど、と言うのはややこしいからやめておこうか。

「それに、なんだっけ、さっきの商店街」

「えぇっと、いくつかありますけど」

「細かい名前まではわからないけど……すごくいいなって思った」

 そう。こうやって出張でその街へ行ってみて、実際に足を運んでみないとわからないこともある。

 四国というとなんとなく寂れたイメージだったけど、ここ高松市の中心街は思っていた以上に活気があった。高級ブランド店が並んでいる通りは銀座かって感じがしたし、若者向けの店や飲食店も多く、歩いている人々の年齢層も若い。アーケードがドームになっているところもあって、お洒落だった。

「確かにこういうお洒落な場所で生活してたら、七條も少しは大人になるなって思った」

「いったい先輩がわたしや高松にどんなイメージを抱いていたのか、気になるところではありますけど……」

 でも、と、彼女は微笑んで。

「ありがとうございます。地元を褒められるのって、悪い気はしませんね」

 気づけばテーブルの上の料理もお酒もなくなっていた。

「何か頼む?」

「先輩。ここでしめるのはもったいないですよ」

 七條はどうやら二件目のあてがあるようだ。

「しめはうどんでないと」

 やっぱり、香川県民はずっとうどん食べてるじゃん!

 という叫びは心の中にとどめておく。

「この近くにしめにぴったりのうどん屋さんがあるんです。そこに行かない手はないです」

「……はい」

 ここは地元の人が言うことに従っておく。

「それと……」

 七條はちらっと時計を見てから、こう言った。

「うどんを食べ終わったら、少し歩きませんか」


 * * *


 四国の玄関口である高松駅の一帯は再開発されていて、ゆったりとした広場からライトアップされた背の高いビルをおがむことができた。

 本来の予定なら、僕も高松駅に降り立つなりこのビル群をまず目にして、思ったよりも高松って大きいなという感想をまず抱いたのだろうか。

「今思うと……大したことなかったですよね」

 七條は高松駅の方をじっと見つめていた。ガラス張りの駅舎にはニコニコしている顔のデザインが施されていて、まるで高松駅に語り掛けているようだった。

「子供の頃は四国の外ってすごく遠いところってイメージだったんですけど……大阪まで二、三時間あれば行けるんですから」

「東京と大阪もそんなもんだよな」

 そう。今ならそう言える。それは社会人になって自由にできるお金と時間があるから。

 ただ、あの頃は……。

「東京は……新幹線代、やっぱり高いですよね」

 七條は駅に背を向けて反対側へと歩き出す。どこへ行くのかわからない僕は彼女の隣を歩く形になった。

「今でも高いなって思っちゃうのに……」

 そこで七條の言葉は途切れる。

 こうやって彼女と再会した以上、避けては通れない話題だった。そして、その話をしなければいけないのならば、僕の口から切り出さないといけないということも分かっていた。

 この先の旅路を望むのであれば。

「永遠の別れだって思っても仕方なかった……と思う」


 お互いに高校生だったあの頃……僕達はれっきとした恋人同士だった。本気で七條のことを好きだったし、きっと彼女もそう思ってくれていたと思う。

 漠然と一緒にこれからの人生を歩んでいくんだって、そう信じて疑わなかった。


「大学に行ってから、わたしの友達にも何人かいましたよ、遠距離恋愛している人」

「どうなったの?」

 赤信号にひっかかって立ち止まる。七條はううんと首を振った。

「みんなうまくいかなかったですね」

「そうか……」


 家族が東京に引っ越すことが決まったのは僕が高校三年生の夏のこと。

 もちろん、大学生にもなれば自分でお金を借りて一人暮らしをしたっていい。関西に残るという選択肢も当然あった。

 でも、それはできなかった。なぜなら……。


「わたし、あのときの選択は後悔していないです」

 目の前を車が通りすぎてゆく。まるで走馬灯のように。

「先輩に妹さんを見捨てさせることなんてできませんでしたから」

 彼女だった七條は何度か僕の家に遊びに来ることがあった。そこで、僕の家庭事情についても知ることになった。

 病弱で、友達が少なくて、兄にすがっていた妹がいたことを。

 家族が東京に引っ越したのも、妹の病気を見てやれる医者が東京にしかいなかったから。

 僕が最終的に東京に行くことを選んだのは、連帯保証人という形であっても親に金銭的な迷惑をかけたくなかったからだし、なんだったらバイト代は家に入れたかったからだし、そして妹の傍にいてやりたかったからだ。

 そしてなによりも。


「先輩が家族を見捨ててわたしを選んでも、絶対に幸せになんて、なれなかったですから……」


 全てを悟った彼女が、夏のうちに別れを切り出したからだ。

 自分のことなんて忘れて、東京に行ってこい、というばかりに。


 きっと、好きという感情だけではなかったはずだ。彼女は本気で僕と生涯を歩みたかったからこそ、家族のことまで考えて決断してくれたのだ。

 一つ年下の女の子にそんな重い決断をさせてしまったあの頃の無力な僕が憎い。そして憎むことしかできない今の僕自身にも。


「そんな顔しないでください、先輩。……青信号ですよ」

 信号を渡ると、僕達が再会を果たしたことでんの高松築港駅があった。

 先ほどまでの先進的な高松駅と目と鼻の先の場所に、いかにも地方都市のローカル駅という佇まいの小さな駅舎があるのが印象的だ。駅のすぐ裏には高松城の石垣が見えていて、すごく風情がある。

「わたし、予讃線がトラブルで、先輩がことでんで来るって聞いたとき……どこか運命を感じたんです」

 ふふ、と彼女は笑って。

「だって、先輩。昔から歴史とかお城とか街歩きとか……好きだったじゃないですか。こういうところ、先輩は好きかなって」

 好きか嫌いかと言われれば好きだ。電車から降りた瞬間、高松城の石垣が見えたし、七條を待たせていないのであれば、駅構内をじっくり見て回りたいくらいだった。

「高松駅よりもこっちのほうが……先輩との思い出深い再会になるかな、って」


 ガタンゴトンと電車が揺れる音がする。くらやみの中に淡い光を放つことでんを背にして、頭上からは月の光に照らされた彼女の姿はあまりに幻想的で……また夢に出てきそうなくらいの美しさだった。


 いや、違う。

 何度だって夢見たけれども……これは紛うことなく現実なのだ。


「もう一度七條に会えたら言おうと思ってたんだけど」

 だから、僕はもう迷わない。

「妹……麗華は元気になったから」

 その一言に七條は目を細めた。

「よかったですね」

「あぁ。おかげで今はバイクに乗って山を駆け巡ってるし、家に帰ったら僕をけ飛ばすような、そんなたくましい妹になったけどな」

「……妹さんに何が」

「元気になったらやりたかったんだとよ」

 まぁ、それはこの際いい。

「だから今度は僕の番だ」

 今夜が満月というのもどこか運命的だ。

「僕は家族を見捨てなかった。でも、それで見捨ててしまったものがあった」

「仕方がないですよ、それは……」

 あぁ、なんて僕は馬鹿だったのだろう。

「いや、仕方なくないよ。だって」

 答えは簡単だったはずだ。


「東京に行って、七條との恋人関係も続ける。そういう選択だってできたはずなんだ」


 あの時の七條は頑なだったから。僕が気兼ねなく東京に行くためには別れるしかないと強く信じていたから。

 でも、そんなの言い訳だった。

「無理ですよ。だって、遠距離恋愛なんて……続くはずないんですから」

「それは僕の気持ちが続くはずがないからって思っていたからでしょ? 東京でもっと素敵な人と出会うからって、思ってたからでしょ?」

「そんなことは……」

 七條は唇をかんだ。

「反対に僕も思ったよ。きっと、なかなか会えない僕に縛られるより、関西で新しい恋人を見つけた方が、七條は幸せになれるんじゃないかって」


「そんなはずないじゃないですか!」


 間髪入れずに彼女は否定した。

「あっ」

 だが、その言葉の意味にもすぐ気が付いて。

「ええっと、今のは……」

「いや、それが正しかったんだよ」

 何を子供のくせに大人ぶろうとしていたんだ、僕達は。

「好きだったら駄々をこねてでも別れたくないって言うべきだったんだ。信じてくれていないなら、大声で好きだって叫ぶべきだったんだ」

 あの時の気持ちが正しかったことは、その後の僕の歩みが証明していた。

「実はさ、一度だけ東京で恋人ができたことがあるけど……すぐに別れてって言われたよ」

 なんとも恥ずかしい話だけど。

「『私よりも好きな人がいる男と付き合えない』だって。そりゃそうだよね」

「奇遇ですね。わたしも大学時代に一度だけありましたよ」

 オチはもう目に見えていた。

「先輩以外の男の人に抱かれるかもってなったら、そんなのやっぱり耐えきれなくて……捨てられました。あはは」

 七條は渇いた笑みを浮かべた。

「だからわたし、もう一人で生きていくしかないなって。それで、地元の公務員試験を受けることにしたんです」

「…………」

「でも……そうですね。先輩の言うとおりです」

 彼女はまっすぐに僕の瞳を見つめて、そして、微笑んだ。

「わたしたち、もっと自分の気持ちに素直になって良かったんですね」


 七條がことでんと反対の方向に歩き出したので、僕もついていく。

 向かっているのは高松港の方角だ。

「恋人だったころ、何度か海にも行きましたね」

「本当に海水浴でいったのは須磨の一回だけだけどね」

「別に海水浴じゃなくてもいいんですよ、先輩。神戸で夕日の沈む海をずっと見つめていたの、今でも覚えていますよ」

「あれは確かに綺麗だったね」

 デートが海沿いの場所が多かったのは、今思うと瀬戸内が出身の七條が郷愁を感じることができる場所だったからなのかもしれない。

「ねぇ、先輩」

 波の音が聞こえてくる。潮のにおいがしてくる。

「瀬戸内海って大阪までつながっているんですよ」

 夜の高松港には僕達以外に誰も人がいなかった。

「……月が綺麗ですね」

 僕達を温かく見守る満月を見上げて、七條は小さくつぶやいた。

「このまま時が止まればいいのにね」

 定型句に深い意味はない。

 だって僕は、むしろ、止まっていた時を動かさないといけないのだから。


「今でも好きです。もう一度付き合ってください、葵」


 恋人の頃の呼び名でもう一度、僕は彼女に語り掛け――。


「ごめんなさい。もう少し考えさせてください」


 まさかの保留だった。

「なんで。ここまでの流れって、どう考えても復縁する流れったじゃないか!?」

「先輩はわたしと復縁したとして、これからはどこで生活するつもりですか」

「えっと……」

「まさか考えもなしにわたしに告白してきたんじゃ……?」

 そうだった。高校生の頃から、この子は将来のことをきっちりと考える子なのだ。

 その場の感情の盛り上がりだけで、はい、めでたし、なわけがなかったのだ。

「一応これは本当なんだけど、いつかまた大阪に戻ることもあるかなと思って、大阪支社への配属希望を出そうかなと考えてまして……」

「じーっ……」

「いや、今回の岡山出張もその布石だから!」

「全国企業なら、いずれまた転勤する可能性もありますよね?」

 面接か、これは!

「最低でも三、四年はいることになると思うので、その間にノウハウを身に着けて……もしまた転勤の話が出るなら、大阪の同業他社に転職するなり独立するなりできるようになるかなと」

「わたし、まだしばらくは高松で働きたいんですけど、いいですよね?」

「ぜひぜひ! デートの際には僕が高松に出向きますゆえ!」

 あぁ、つくづく恋愛って惚れた方の負けだな!

「それは半々でいいじゃないですか。わたしも大阪に行きますよ」

 あ、そうか。両親は今でも大阪に住んでいるんだっけ。

「先輩がわたしとの将来のことを考えてくれているのはよくわかりました。だから――」

 すぅ、と彼女は息を吸って、それからいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「話がまとまったら、わたしを迎えにまた高松まで来てくださいね」

 

 少しだけ昔よりも大人になった彼女は僕に手を差し出してきた。

 何のためらいもなく僕はその手を握る。

「約束するよ、あ……七條」

 もう一度、気兼ねなく彼女を名前で呼ぶことができる日まで。

「そういうところまできっちりしてなくていいんですよ、もう……」


 * * *


 大阪支社に無事に配属されて一か月が経った週末の土曜日。


 前回ここに来た時のようなトラブルもなく、岡山駅を出発したマリンライナーは高松駅に時間通りに到着した。

 壮観な頭端式ホームをてくてくと歩き、人を待たせていることもあって、早々に自動改札を通った。

 普通なら高松駅前を待ち合わせスポットにしておけばいいのに、あえて、前と同じ、高松築港駅で待つというあたり、彼女も僕の趣味に合わせてくれているのかもしれない。


 秋の柔らかな日差しに照らし出された高松城の緑は美しい。その前に佇む高松築港駅の小さな駅舎も、その横から飛び出していることでんの車両もあの夜のまま。ほんの数か月しか経っていないのに、懐かしさを感じずにはいられなかった。


 ここで僕と彼女はまた出会い。


 ここで僕と彼女は想いを打ち明けあい。


 そして。


「……先輩!」


「ただいま、葵」


 ぎゅっと七條葵は僕の手を感慨深げに握りしめて。


「もう一度付き合ってください、先輩」


 またここから、一緒に歩き始めよう。葵と二人で。



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