陰陽師

東風和人(こちかずと)

顔無し


「何者か。何者か。御前おまえの身は何者か。御前おまえ御霊みたまは何者か」


 問う声がする。森が、川が、風が。


 何度も何度も――



    *



 目を背けたくなるような黄昏の中、ぽつんと男が一人立っている。ここは京の都の洛外に位置する、低級の人間が住む市街地である。都とはいえ、洛中を外れてしまうと高い建物も無い。日が路地に射すと、男の影が長く伸び、その身を黒く染める。


 もう直に日が暮れ、夜がくる。そうなればそこは人間の領域ではなくなる逢魔おうまの時。人ならざる者共、あるいは闇やあやかしと呼ばれる者共の縄張りとなる。そのことを知ってか知らずか、その男は半刻ほど前から一点を見つめ、微動だにしない。


 暫くして、一匹の小柄な餓鬼が民家の塀を足取り軽く飛ぶようにして伝い、男の立つ路地へやってきた。少し離れたところから男を認める。

「お。あんなところに人間が居やる」

 餓鬼は遠巻きに男を観察する。

 だが男は先ほどと変わらず動かない。

「何をしとるんだ?ここからではよく見えん」

 餓鬼はするすると、しかし物音を立てぬよう慎重に足元を確認しながら塀を伝い、男に少しずつ近づいていく。


「ひっ!」

 途端、餓鬼に凄まじい悪寒が走る。気づかれたと思いすぐさま男へと顔を向けると、いつの間にか、ぽっかりと影のような真黒な顔だけがこちらに向いている。驚いた餓鬼は、一瞬、後ろへ飛び退こうと試みる。しかし、どういう訳か、その細い脚はピクリとも動かない。その間に、顔無し男はゆっくりと餓鬼に向かって動き出し、硬直して動けない餓鬼の目の前まで歩みを進める。


「た、助けてくれぇ……」

 恐怖から涙目になって懇願する餓鬼を。


 顔の無い者は、頭から飲み込んだ――


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陰陽師 東風和人(こちかずと) @kochi_kazuto

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