第10話 相棒 1-1

 空は茜色を通り越しての異界探索帰り。


 第三階層への第一歩を踏み出し、そこで出くわしたスケイル・ハウンドの討伐を難なく終えた。


 異界探索員にとって最初の難所と呼ばれる魔物を一人で倒せたことに自身の成長を感じて前進している喜びをかみしめていた。


 探索員として異界に行き初めて早一カ月も経とうとしていた今日この頃。


 最初は、1日3000円やら0円やらの稼ぎでどうやって生きて行こうかと考えていたが案外何とかなりそうでホッとしている。


 いや、まだ装備代金を支払っているのでホッと一息ついている場合ではないのだが……


 台所で包丁を片手にキャベツをきざむ。


「今日はレオボアの焼肉~」


 鼻歌まじりに夕食を用意するのだった。


 米よし。


 醤油、塩、レモン、調味料よし。


 他にも焼肉のたれのためにいろいろと準備したいところではあるが贅沢は出来ない。


 それににんにくは何故か高いのだ。


 なのでそういうものはもっと稼げるようになってからの楽しみにしておこう。


 キャベツも水で晒して肉を切る。

 キャベツは強火で強引に炒め準備は万端。


「さて……今日も頑張った! 食べるか!!」


 その時だった。


「ワンワン! ワン!! ワン! ワン!!」


 犬の鳴き声だ。


 玄関の戸をカリカリカリカリする音が聞こえる。


『入れろ。帰ってきたぞ』と言わんばかりの勢いだ。いや……『喰わせろぉおお!』の間違いだろうか。


 そう考えながら肉を見る。


 このままいただきます。と食事をしてしまうのもなんだか心苦しいので何日かぶりに白柴と玄関で再会することにしよう。


「ッヘッヘッヘッヘッヘッヘ!」


 夜も20時を回る時間帯にとても元気な白柴だ。


 それから、再会した余韻を味わうわけもなく颯爽と家の中へ入ろうとしたところで白柴を捕まえる。


「おっと! 泥だらけの身で家に入ろうとは愚かなり柴犬!」


「クゥ~ン?」


 首を傾げる仕草。とてもかわいらしいが残念なことに……これからこの柴犬は、柴犬目線でひどい目に合うのだ。


 迫る洗面所。


 突っ込まれる浴室。


 反響する音が柴犬の恐怖心を煽る。


 ホースより流れる液体は一転に集まり放射状に飛び散り浴びせられる生暖かい湯水。


「ワオーン」


 響く遠吠えはどこか悲しげだった。


 解放されホカホカの白柴になり心機一転、夕飯の時間が待っていた。


 追加で採っておいたレオボアの肉を切りわけ白柴の分も焼く準備を整える。


「さて……」と白柴を見る。


『さて……とか言わず早く肉焼けよ』


 一定の距離を保ちながら白柴はそんな目でじっとこちらを見ていた。


「そろそろ、お前が現れて5年になるな」


『だからどうしたんだ。早く肉を焼け』


 そんな目とよだれに臆さず続ける。


 最初はどこかのペットショップから逃げ出した白柴なんだと思った────


 5年前、すべてが終わり病院から退院して自宅に辿り着いた時だった。背後から「ワンワン!!」と鳴き声がして振り向くとこの白柴がいた。


 頭痛がする。


「────よ」


 霞む意識。もやがかかるような感覚。


「シラヌイの────」


 誰かから呼びかけられる。だが、誰に呼びかけられているのかわからない。


「シラヌイの子孫よ」


 そう聞こえた。


 シラヌイの子孫。確かに苗字はシラヌイだ……シラヌイの子孫とは一体。まるで先祖を知っているかのような。大昔からタイムスリップでもしたかのような口調で続ける。


「我はじゅつ──命の終わりを視る者なり。戌刻白刀(じゅつごくのしらがたな)をとれ────被造と無造──加護無き世は終わり────無粋な連中が汚れなき世を────」


 意味の分からない言葉が脳内に広がる。ノイズが混じるような雑音のせいで全てを聞き取れない。


 しかし一生懸命聞き取ろうとしている中で霞が晴れつつあった。もやがかかる意識がひいていく。


 何かがいる感覚がなくなっていき一体誰なのか。


 何を言っているのか。


 あの刀は一体なんなのかを知っていそうなその声の主に聞きたい。


「待って……あなたは?」


 地面に手を突きながら右手を伸ばす。


「生きよ。十二の──が集う戦場(いくさば)に」


「ワン!!」


 伸ばした右手をぺろぺろと舐める白い柴犬が一匹。そこに残っていた。


────これが、この柴犬との出会いだった。


 床に付くか付かないかぎりぎりのよだれは、きっとあの声の主がこの白柴ではないかという疑問を打ち砕くのに十分だった。


 多分……


 じゅーっと焼けるお肉。


 食べてお腹を壊さなかった異界産のお肉だ。野生であるため寄生虫やらなにやらがいないか不安であるがしっかり焼いてしまえば問題ないだろう。


 一度食べてお腹を壊さなかったのだから大丈夫という安直な考えの元で頬張るお肉は甘美であった。


 この時のために生きていたのだとさえ思う程においしい。


 臭みはなく不思議な食感に加えて柔らかい。肉汁あふれ良く焼き目を入れた肉の表面が香ばしい。


 白柴も満足しているようだ。


「そういえば、家を飛び出して何をいつも食べてるの?」


 聞いても応えるはずのない白柴は一生懸命に肉を食べている。


「野生の動物って焼くことを知らないから生肉のまま食べるんだよな。お腹壊さないのかな」


 ふと出た疑問に白柴はじっとこちらを見つめてくるようになった。


『さあ?』


 そんな顔だ。


 お腹壊さなきゃ万事うまく行く。みたいな顔をしている。


 焼肉パーティも満たされたお腹の感覚で終わりを告げ後片付けをする。

 明日もまた大木の異界へと探索をする準備をして寝るとしよう。


 白柴は肉を食べ終えて満足気に横になるのだった。


 翌朝、大木の異界前。


 今日は第三階層の探索をメインに行う。きっと今までのようにはいかない過酷な挑戦になるだろう。


 スケイル・ハウンドが徘徊しスケイル・ハウンドを狩る謎の巨大なカラス。


 できることならあの巨大なカラスには出くわしたくないものだ。


 大木の異界へカードをかざし入場しようとした時だった。いつもと違う。そう何かが付いてくるのを感じる。


「ワフ!」


 姿は見えない。


 だが、まるで犬のような鳴き声だ。


 横を見る。後ろを見る。足音がトコトコと聞こえる。だが犬の姿はない。


 死角に入るように移動していたそれをわしづかみにして持ち上げた。


「クゥ~ン?」


 いや首を傾げられても……


 白柴がついていこうとしていたのだ。


「ほらほら、異界は危ないからどこか遊びに行っておいで」


 そう出口へ送っても異界へと入る気満々で『入らないのか?』みたいな顔をしている。


 この犬はどういうつもりなのだろう。


 この先には見られた瞬間襲い掛かってくるレオ・ボア。


 風のように近づいて激痛を味あわせてくれる子カマイタチ。


 謎の命の恩人マリモとゴリラマリモ。


 獰猛なスケイル・ハウンドと謎の巨大なカラスがいるのだ。


 ペットを連れていける程の余裕はない。


「だめだ。帰るんだ」となんどか入り口においては付いてこられ入り口に戻しては付いてこられを繰り返し心が折れた。


「なにがあっても知らないぞ?」


『……』


 じーっと白柴は見つめてくるだけだった。


 古来より獲物を狩る時に供にする猟犬というのもあるし、まあ多分……大丈夫なんだろう。


 しょうがないので白柴を連れて行くことにした。


 武者風探索員が白柴の散歩を異界でする奇妙な光景に仕上がるのだった。

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