第8話 なぜ登るのか 1-1

「はっくしょい」なんてくしゃみをして目覚める朝は寝覚めが悪い。


 チュンチュンチュンチュンと鳴きまわる小鳥も気にするような心の余裕もない素晴らしい朝を迎えた午前5時。


 車の座席で眠る夜はドキドキこそしたけれどあまりいいものではなかった。


 それから体の疲れを引きづるようにとっくにアルコールは抜けただろう体で運転して帰宅し二度寝する今日この頃。


 とりあえず、新しい装備を受け取るまで下手なことはしないように今日はおとなしくしていることにした。


 と、言ったのもつかの間。


 吹き抜ける風がとても心地いい。爽やかな風は車でカチコチにしていた体をほぐしてくれるような気持ち良さを持っていた。


 そう、ここは大木の異界第一階層だ。


 車の中で寝て起きて家で二度寝して、起きてからやることも無いので異界へと直行。


 ひと昔前で例えるなら会社の飲み会の後に車で来ていたのを忘れて車の中で一夜過ごして二度寝してから休日出勤をするようなそんな感じなのだろうか。


 そんな社会人生活を送ってはいないのでただの妄想である。


 そして相変わらずの黒いパーカーにジーパンと探索者のブーツ。オンラインゲームなら無課金者と罵られかねない装備であるが会社で働くにはまあ、なんともラフな格好だろう。


 『装備が欲しいか? ならば金を落とせ! 捧げれば力を授けよう』


 なんて台詞を聞いたことがある。


 札束で殴るだけで強くなれるなら随分と安い現実だろう。


 払える気はしないけど……


 そんな思考をよそに引き抜かれた刀は白く美しい。木漏れ日を反射し振るう度に軌跡を残すその刀身はもう芸術作品ではなかろうか。


 まあ……いきなり刀を抜いたやばい人になってしまったが何もないところで刀を抜いているわけではない。


 もちろん相手はいる。


 風を巻き上げ近づき目にもとまらぬ速さで激痛を与える第一階層の守護者。黒い口をあんぐりと開けてとぼけたような顔をしたイタチだ。


 別名カマイタチ……イヅナという本物のカマイタチがいるみたいだから小カマイタチとでも再度名付けておこう。


 こいつのスピードにもだんだんと慣れてきた。


 擦れ違い様に一つ。


 細く伸びた爪を突き立てられ尋常ならざる痛みが走る。


 いつも通りだ。本当にとても痛い。


 だが、痛いが悶えている余裕はない。


 なぜなら、その場で痛がり悶えてしまえば追撃を食らいさらなる痛みが襲うからだ。


 やつの動きはとても速い。慣れてきたとて一度でも目を離せば何処へ行ったかわからなくなってしまう。


 痛みに慣れろ。


 痛がる余裕はない。


 もう初手でやつに攻撃を見切られ避けられている。


 研ぎ澄ますんだ。ここまで振るってきて刀を振るうというのはどういうことか。


 それが何となくわかってきた。


 刀は心だ────


 痛みで頭がおかしくなったわけじゃない。本当に刀は心だ。振るう刀一本一本が今の自分の心であり、精神を研ぎ澄ました一刀が体現される。


 心技体。


 なんて言葉があるのがよくわかる。


 何においても体は資本であるが心もまたその一つ。いくら体が出来上がっていようとそれと供にある心が未熟であれば振るわれる刀もまた未熟。


 なんてことを考える様になってしまった。


 それに、不思議なことに何故かそんな考えが刀を通して伝わってくるような気がしてならない。


 刀が教えてくれているようなそんな感じがする。前に見た知らない記憶ともなにか関係があるのだろうか────


「そうだ。シロウ──刀は心だ」

「ミズモさん、刀は心なんですよ」


 知らない誰か、知らない名前。夢でもみたような感覚。


 けれどその夢のような幻はとても懐かしくて────それでいて愛おしいような感じがする。


 心を研ぐ。刀に力を入れる。無駄な力を排除し一点に絞って手を添える。


 当たらない。


 だが、擦れ違いざまに放った一閃は違った。


 「クキュアアアアア!!」


 小カマイタチの悲鳴が聞こえた。


 首元にスっと入った刃は軽く。血飛沫すら上げない。あるのは転げ落ちた死骸と首元から溢れる血だけだった。


 魔物の血も赤い。


 生き物の命を得ることに感謝して素材を剥ぎ取りその場を後にした。


 その後レオ・ボアを2頭狩り4本の牙を手に入れ先日訪れた第二階層へと続く木々が円を造りまるで洞窟のような形状をしたところに辿り着く。


 詳しく例えるならト〇ロに会えそうな道だ。


「さて、前へ進もうか」


 大木の異界、第一階層攻略。


 2週間だろうか。


 長い時間を第一層で過ごしてしまったような気がする。これが入門レベルだと言うのなら、きっと自分は探索員には向いてないのだろう。


 ランサアラネアレギーナの討伐をした時、一人佇んで何もできなかった記憶が過る。


 あの時なにも出来なかったが他の探索員は違った。


 スタートからして違うんだ。


 きっと他の探索員ならもっと早く踏破出来ていたに違いない。


「ま、他所は他所。うちはうちだ」


 人が不幸になるのは決まって誰かと比べた時だ。災厄を収めた英雄と凡人初心者探索員を比べた所でなんの比較にもならない。


 誰かが出来て自分にできないなんてことは当たり前だ。だけど逆もある。


 その逆があるとは限らないがみつけて伸ばしていけばいいさ。


 他と比べて不幸になりつつあった心を持ち前のポジティブシンキングで乗り切る。


 基本一人だったハルヒトの得意分野である所のそれは今現在いいように作用していた。


 木々のトンネルを潜り抜け第2階層へと降りていく。第1階層とは違うという違和感に襲われながら深い森に足を踏み入れた。


 見たことのない槍の様に生えたキノコ。


 首を垂れるようにお辞儀した白い花。


 花びらが1枚だけのある手のひらより大きな花の奥からは雄しべや雌しべでもない小さな触手が伸びていた。


 木もなんだか種類が違う。


 第一階層の木は明るい茶色だったのに対して、ここの木はこげ茶色だった。


 気温もさっきより寒いような気がする。


 そんな環境が変わった中でいつでも刀を抜けるような態勢で前へと進んで行く。


 しかし、前へ進むこと15分くらいだろうか。簡易的にマッピングしているが鬱蒼とした木々のおかげで何処になにがいるのかが掴めない。


 それに魔物の姿もな────あった。


「くぅ」


 そいつは、こげ茶色の木の太い枝にいた。まったくいることに気が付かなかった。


 もしも獰猛な魔物であったら今頃暗殺されていたところだろう。


 けれど、出会った魔物はただただじっとこちらを見つめている。どこかの白柴みたいにただこちらを見つめている。


 白柴と違って目は赤く体は緑色の体毛に覆われた不思議なふわふわとした綿毛のような生物だ。


 手足は緑色の体毛に隠され全容は見れない。


 大きさは大体拳を4つくらいを一つにまとめたくらいだろう。


「くっくっくっくっくぅ」なんてリズムを刻んだ鳴き声でこちらを見つめてくる。


 ゆっくりと目を合わせたまま横に移動する。


 魔物は基本的に襲い掛かってくるやつがほとんどなのだが何故か温厚なやつもいる。


 その代表的な例でよく探索員の教本で挙げられる魔物がいるのだが品川異界の第12階層に生息している。


 通称、不穏な平和だ。


 他に名前は無かったのかと思うが正式名称が確か……モーティなんとやらだった。写真でみると大きな黒い顔のない大熊で出会うと不自然に直立する。


 そいつはこちらからなにかしらのアクションを起こさない限り何もしてこない。


 だが、こちらから何かを起こしてしまうと12階層にいる間は必ず追ってきて息の根を止めるまで執拗に攻撃を仕掛けてくるそうだ。


 だから、敵対する魔物とそうでない魔物の区別はかなり重要となる。こういう前情報のない未開の異界では一瞬の判断が命取りになったりするのだから怖い。


 そして目の前のまりものような生物もその類である可能性がある。


 目を合わせながらゆっくりと横へ移動すると目の赤いまりもは隣の木に飛んで移動してこちらを見つめてくる。


 よくわからないが、ゆっくりと様子を見ながら前へと進む。


 前へと進むとそいつは何もしてこなかった。


 けれど何故か付いてくるようで視線だけが背中から感じる。きっと余所者がうちらの縄張りに来たぞと監視でもしているのだろう。


 しばらく、その状態を保ちながら歩いていると視線が増えたのを感じたのだ。


 ふと後ろを振り向くと2匹に増えていたのだ。


 よくわからない。


 まさか、数が多くなったら襲ってくるとかじゃないだろうかと考えたけれど手をだして襲われるのは御免だ。


 目が合うとまた「くっくっくっくぅ」と奇妙な鳴き声をあげる。


 本当に不思議な魔物だ。


 とりあえず何もしてこないのでそのまま放置して前へ進むと深い森から抜けることが出来た。


 出来たのだが、急斜面と呼ぶに等しい山がそこにあった。


 後ろを振り向くと4匹に増えている緑色のまりもは森から出ようとしない。


 とりあえず何もしてこないのを確認して山の周りをぐるりと一周したがいまいち景色は変わらなかった。


 けれど来た道はわかる。


 降りてきた所が木の筒のような形状で上へと伸びている箇所が一か所だけあるからだ。


 実にわかりやすい帰り道。


 それから迷わないように周囲の森も探索した。


 振り向いた時に近くにいるまりもが10を越え数えるのをあきらめた。


 第3階層へと降りる道も無ければ敵対する魔物も居ないことを確認して再び切りたった山のふもとに戻る。


「登るしかないのだろうか……」


 偉大な登山家は言った。『なぜ山を登るのかって? そりゃ目の前にあるからだろう?』と────


 きっと今取れる選択肢は一つだ。


 この山を登るしかない。

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