第7話 初給料 1-2

 薄暗い照明。どこかファンタジーめい木造の店内。


 仄かな光は、差し出された魅惑のお酒を美しく彩る。久しぶりに飲まんとするお酒は、きっとおいしいのだろう。


 人は驚きを味わうとそこに意識を奪われて大事なものを見失う。


 今……その大事なものを取り戻そうとしてるのかもしれない。


「ありがとうございます」


 流れるような手つきで赤いコースターを差し出され、その上に乗った透明のカクテルグラス。


 高級感あふれる見た目に懐事情を本当に察してくれたのか不安になる。


 いや、感想を述べるのであればそこじゃないのだろう。だが、そう思わせるくらいにとても上品な仕上がりだった。


「こちら、お客様に合わせ私のオリジナルです」


 多分……よくわからないけど、この人できる人だ。


 貧乏性な感想が心内にあるというのはなんだかとても恥ずかしい。


 冷たいをグラスを手にゆっくりと口に含む。すると気持ちの良い炭酸と仄かなお酒の味について回る控えめな蜂蜜の甘さ。


 生卵が入っているなんて思えないようなすっきりとしていて尚且つ滑らかな口当たりが今日の疲労を取り除いてくれる。


 素直に思った。


「美味しい……」


「ありがとうございます」


 あ……そうだ。


 お酒────お酒と言えばおつまみだ。


 ビールには焼き鳥に餃子。ワインにはチーズ。ウイスキーにはチョコレートというようにお酒を楽しんだら口が寂しくなりつい手を伸ばしてしまうのがおつまみ。


 けどその必要はない。


 このシルバーハニーフィズと言っていたカクテルは、今まで『お酒と言えばつまみがなくっちゃね』なんて思っていた自分の中の固定観念を打ち砕いたのだ。


 このお酒は、それそのもので完成されているのだ。


 他に何もいらない。


 きっと、探索で疲れてきた体に酸味とたんぱく。糖質といった栄養を補充してあげようという心遣いなのだろうな。


 そうだな……お会計の時は潔く覚悟するとしよう。


 黙々とした静かな時が流れる。


 店内に流れるゆるりとした音楽に他の客の話声。オーダーを受ける受付嬢と仕事の達成報告をする探索員。


 そんな雰囲気になんだか癖になりそうだった。


 それから褐色の店員は4つ程隣の席に座った常連っぽいごついおじさんの注文を聞きに行く。


 初めてバーに来たけどバーはなんだか面白い場所だった。


 店主に通されるがままに来てしまったけれどバーへの考えがパラダイムシフトしているを感じながらしばらくくつろぐ。


 次第に素材カウンターで並んでいた人が減ってきたところで「おう、またせたな!」


 疲れているような素振りを感じさせることなくにこにこと来る店主。


「そこそこ待ちました」


 そう答えるが多分、かれこれ40分くらいは待ったと思う。


「ははは! 悪いな。それ、なかなか美味しいだろ?」


「カクテルってすごいなって思いました」


「そうか。そりゃ、あいつも喜ぶよ。まだ新人なんだがよろしくな」


「って、え? 新人なんですね。てっきり長く働いてる人かと」


「だな。以前にもどこかで働いていたのやら趣味でやっていたのだかわからないが詳しいことはさっぱりだ。履歴書にも『いろいろあった』とだけ書いてあった面白いやつだからな」


「『いろいろあった』って履歴書に書くの面白いですね」


「面白いやつだろう? ま、人生いろいろあるだろさ。しっかり働いてくれていりゃ

細けぇことなんてなんも問わねぇさ」


 災厄後、インフラの崩壊や石油危機だの経済衰退、地上では魔物が徘徊し人口減少による生産性の低下等々いろいろなあおりを受けている時代。


 まともな職で堅実にお金を稼ごうってのは結構難しいのかもしれない。


「ヒロ君。俺にも一杯何か頼むぜ!」


「いつものですね」


「そうだ。いつものを頼む!」


 ごついおじさんに飴色のお酒を差し出して店主の注文を受けるバーテンダー。

 名前はヒロ君というらしい。


「それで、その……話とはいったい何ですか?」


「まあ、そんな仰々しいものじゃないんだが……この前のあんちゃんが受けた依頼の件だ。あれは警察沙汰にもなって大変だったんだぜ?」


 訝し気に天井を見る店主。いつものファミリマの制服で客席に座ってるものだから傍から見ればさぼっている店員にもみえる。


「そんな警察沙汰だなんて……なんでそんな大ごとに?」


「警察沙汰ってそりゃ行方不明者がいるんだからなるに決まっているだろ?」


「行方不明者?!」


 びっくりして少し声を張ってしまい周りの客もこちらを注目する。そんな視線を振り払うように静かな声に落として店主に聞いた。


「行方不明者って私が、あの場に残った最後の一人ですよ? 命からがらあの大蜘蛛をなんとか倒して……」


「ほほ……そうか。あっはっはっは!! 倒したってか! そうかそうか!!」


 何故か笑う店主。

 その笑いにつられるようにバーテンダーも「っふ」と鼻で笑う。


「ってなんで笑うんですか! すっごい死にかけたんですよ?!」


「いやいや、悪い悪い。あの後大蜘蛛の死骸は見つかったんだが……あんちゃんの出入りの履歴もなかったんだぜ?」


「履歴がない?」


 一口のタッチパネルはその日の異界へと入退場した人間の履歴が残る。履歴は普段、データとしてどこかへ送られているみたいだがどのように活用されているかはわからない。


 一つはきっと、今みたいに行方不明者の捜索に利用するのだろう。


「ああ、そうだ」


 そこへ氷がグラスにあたる音を静かに響かせ。


「おまたせしました」ときれいに会話の間に入り込む。


「お、ありがとな」


 差し出された銀色のタワー型のカクテルグラス。お洒落なオレンジ色を輝かせている。


「今日は、オレンジか……」


「はい」


「なあ、俺の『いつもの』って変化しすぎじゃないか?」


 どうやらいつものではないらしい。


「まだ業務中だと思いましたのでフロリダをお出ししました」


「オレンジとレモンをあらかじめ用意してたのはわかってたが……お酒を入れてくれてもいいんだぜ?」


「仕事終わりでしたらいいですよ」


「あはは! 早く終わるよう善処するさ……」


「ですね」


 脱力する店主。


 そういえばファミリマはずっと開いているイメージがある。朝6時には開店して夜は10時までやっている。


────ということは、営業時間中ずっといるんじゃないか?


 これを指摘しまえばきっと『勘のいいガキはきらいだよ』なんて言葉が聞こえるに違いない。


 言ったとしても聞こえはしないだろう。


「それはさておき、まずは乾杯といこうじゃないか。それじゃおつかさん!」


「おつかれさまです!」


 グラスとグラス。


 コツンと当ててからぐびぐびと綺麗なオレンジ色のフロリダを飲んでいく。


 ぷはぁっと一息ついて「でもまぁ、話というのはそんなとこだ」と店主。


「てっきり討伐依頼の報告をしていなかった事に対する何かかと思いましたよ」


「ま、それも言及したいところではあるけどよ。まずは死地から帰ってきた戦士を迎えてやらなくてどうするよ! それに他の連中は討伐失敗って言ってたな────それに一人残ったやつがいるって大騒ぎして近くに居た旭日隊の奴に助けを呼び掛けて大変だったぜ」


「それは……ご迷惑をおかけしました……」


「ま、無事に帰ってきてくれて俺は嬉しいよ。それで、あの後いったいどうやって帰ってきたんだ? 旭日隊の連中が捜索にまで行ってくれたってのに見つからずじまいだったってのによ」


「もしかして一人行方不明だって……」


「お、察しがいいな。いや、遅いのか? お前さんを探しに行ってたんだよ」


 心の底から『まじか~』と乾いた声が漏れそうになる。


 店主はフロリダを飲み干し青髭をさする。


「捜索の結果。異界遭難者は見つからず、ランサアラネアの死骸はあったもののとてつもない力で甲殻をぶった斬ったような痕跡があることからあの場にいた誰もができたことじゃないって判断になり事件性があると判断されたようだ。その斬った痕跡ってのは、倒したのがあんちゃんなら……まあ、あんちゃんがやったんだろう?」


「事件性……ってそんなのを感じさせるような倒し方はしてないと思うのですが……それにそんなに心配してくれてるなんて思わなくて……俺はまだ、ここにそんな回数来てないですし」


「っはっはっはっは!! そんなよそよそしくするなよ。未来のお得意さん!」


 店主は肩をぽんぽんと叩いてからにっと白い歯を見せ笑顔を作った。


「そうか。だが、まあ……うん。そうだな。顔を覚えるとな……つい考えちまうことがあるんだ」


 店主は空になったグラスを見つめて訝し気に照明を仰ぐ。


「ここの仕事がはじまってかれこれ5年だ。


 毎朝、目の前の大宮異界に行くために道具を揃える探索員達がうちの店を利用する。


 するとな、大体顔を覚えちまうんだよ。


 刀のあんちゃんだってそうだぜ? 


 異界で死んじゃっているんじゃねぇか……とかさ。


 少し前じゃ考えらんねぇよな。


 今日死ぬか。明日死ぬか。運が良ければその先か……みんなそれを承知の上であの危ない異界へ行ってるってんだから5年前とは随分と変わったもんだ。


 中にはドッグタグだけを拾われて帰ってくるやつもいれば異界へ行ったっきりのやつもいた。


 その時、あの商品を買って行ったな。とか、あんな装備や武器が趣味だったな。とか、仲間と楽し気に来てたな。とかな。


 ちょいとばかし長くお店をやってるとそんな思い出ができるわけさ。それでよぉ────」


 店主の話はまだまだ続く。


 異界探索員になってから大宮異界へと来てここのお店を利用するようになった。


 それから、そんなに多くは利用していないはずの1利用者でしかない自分が生きていたことに対して、ここまで安堵してくれるとは思わなかった。


 店主の人柄なのだろう。


 思えばここへ来る人は結構店主と親し気な人が多い気がする。他のお店がどんなものなのかはよくわからない。


 だけど、きっとこの店主の人柄もあって繁盛しているのだろうな。 


「ヒロ君もう一杯~!」そう頼む店主はなんだか楽し気だった。


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