4*古い傷

永瀬たち3人は、大学構内の一番北にある校舎へと向かった。

階段で3階まで上り切るより前に、廊下からざわめきが聞こえた。

廊下の突き当りでは、スマホを片手に持つ学生で溢れ返り、奥に進むのが困難な状況となっていた。


すると黒木は、胸ポケットから警察手帳を取り出し、躊躇いもせずズカズカと進んで行った。


「警察だ!道を開けろ!」


さすがの学生たちも、突然の怒鳴り声と黒木の迫力に怯んだのか、素直に道を開いた。

永瀬と空もあとに続き、何とか野次馬を通り抜ける事ができた。


「この部屋です!」


空が指差した扉には、『菅原研究室』と書かれたプレートが下げられていた。

扉は曇りガラスがはめ込まれていて、中の様子を確認する事ができない。


黒木が現場捜査用の手袋をはめてドアを押し開くと、部屋の隅に置かれた机に突っ伏している男性の姿があった。

両手がだらんと垂れ、こちらを向いている瞳は大きく見開かれたままだ。


「菅原せんせ──」


空は、男性に駆け寄ろうとするが、3歩も進まないうちに力なく崩れた。

一番そばにいた黒木が 慌てて空の肩を抱き、何とか倒れるのを阻止した。


「先生…どうして…」


空は、唇をわなわなと震わせた。みるみる顔から血の気が引いていく。

黒木は、自力で立てなくなった空をゆっくりと歩かせ、部屋の手前にあったソファに座らせた。

その間に永瀬は、男性のそばに歩み寄った。


年齢は40歳前後。明らかに、今までの被害者たちよりも歳が上だ。

白衣の胸ポケットにつけられたネームプレートには『理工学部応用化学科 助教 菅原駿太すがわら しゅんた』と書かれていた。

彼が、空の言う"先生"で間違いないだろう。

念のため首筋に手を当ててみるが、脈は確認できなかった。


「…どうだ?」


すぐ後ろにいた黒木に、首を横に振ってみせた。


「駄目です。身体も冷え切ってます」


永瀬の言葉に「そうか」とだけ答えた黒木は、菅原の遺体に近づいた。

すると突然、黒木は何かに驚いたかのように顔を強張らせた。


「どうしました?」


「こいつの顔…」


──顔?

永瀬はもう一度、今度は菅原の顔を覗き込むように確認した。

すると、頭と机の間にある右耳が、炎症を起こしたかのように腫れている事に気づいた。


「あ、本当だ。何ですかね。この耳朶のところ」


「…は?」


「『…は?』って…。黒木さんが見つけたんでしょ?」


「ほら、ここです」と永瀬は指差すと、黒木は「あぁ…そうだな」と心許ない声色で呟いた。

この道20年にもなるベテラン刑事が、ここまで動揺を隠せていないのも珍しい。


「黒木さん、どうしたんですか?」


永瀬の問いかけに、黒木は一瞬考える素振りを見せてから、首を横に振った。


「…いや、何でもない。前回と同様、耳に何かあるかも と思って見たら、まさか本当に変な痕が見つかるとはな。自分の予測に自分で驚くなんて、恥ずかしいとこ見せたな」


──嘘だ。

根拠はない。けれど永瀬は、直感的にそう感じた。

問いつめようとしたが、黒木は「本部に報告してくる」と言って、部屋を出て行ってしまった。

今、この場で無理に聞き出す必要はない。後でタイミングをみて聞いてみればいい。


永瀬は菅原の遺体から離れ、未だ放心状態の空の元へ歩み寄った。


「大丈夫ですか」


「…はい」


小さく微笑む空だったが、それは意識して作られたものだと分かった。

永瀬を見つめる空の瞳が、とても暗かったからだ。

けれどその色は、悲しみや恐怖だけでなく、何か他の感情も入り混じっているように見えた。




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