3*スノードロップの主
永瀬は黒木とともに、都内にある
若葉大学は、様々な専門分野の教授がいる事で有名で、学部や研究室も多彩な事で知られている。
そのため、学生の在籍数と構内の敷地面積は、国内で見ても1、2位を争う規模だ。
今現在も、大学の構内は多くの学生で賑わっており、誰もスーツ姿の自分たちを気にも留めていない。
「立派な大学だ。俺には一生縁のない所だと思ってたよ」
「帰りに探検して行きますか?」
「アホ。それより、待ち合わせの場所はまだか?道間違ってるんじゃないか?」
「黒木さん、案内図逆です。よくそんな方向音痴で犯人追いかけられますね」
「俺はこんなのでも、ヨルがよちよち歩きしてた頃から犯人追いかけてんだよ」
今度は正しい向きで案内図を見た黒木だったが、結局諦めたのか、それを宙に放り投げた。
永瀬は難なくキャッチしながら、ふと3日前の捜査会議を思い出した。
「…黒木さんは、あのままでいいんですか?」
「…うん?」
「刑事部長や他の刑事から馬鹿にされたままで平気なんですか」
黒木の足がピタッと止まった。
「へえ。ヨルにもそんなプライドがあったのか」
黒木は大袈裟に両手を広げると、再び歩き出した。
永瀬は、その背中を追いかけた。
「結局、ピアスにも遺体の左耳にも、何も異常はなかったけど……でも、あのピアスは絶対何かあります。事件解決のためにも、あの場で情報を共有するべきでした」
「そうだ。何かある。だから今は言うべきじゃない」
「どうして」
「俺たちが特捜室だからだよ。普通ならあり得ないような事件を、あり得ないようなとこから探りを入れて、事件を解決する。それが俺たちのやり方だ。みんな聞く耳を持たないだろ」
「だからって──!」
「そう熱くなるな。いざ進言する時のために、今ここにいるんだろ? また新しい手がかりを持って帰ろうや」
黒木の言う事は理解できたが、納得する事はできなかった。
そんな話をしているうちに、2人は大学内にある食堂にたどり着いた。
「食堂」と名はつくものの、内装はお洒落なカフェのようになっていて、品揃えも豊富だった。
「この『女子人気No.1!オリジナルココア トッピング全部乗せ』のホット2つ」
「黒木さん。まず席確保しないと。しかも俺、甘いの苦手なんですけど…」
「疲れた頭には、糖分も必要だ」
こめかみの辺りをトントンと指でつつく黒木の言葉に、遠回しに「疲れた顔してるぞ」と言われているような気がした。
実はここ数日、事件の資料を片っ端から読み返していて、仮眠程度の睡眠しかとれていなかった。
永瀬は軽く笑って受け流し、黒木には先に席を取って座っているようお願いした。
──『スノードロップの呪い』だったりしてね。
飲み物ができるのを待つ間、ふと鑑識の同期が言っていた言葉を思い出した。
──あのピアス…正確にはイヤリングね。あれは『スノードロップ』って花がモチーフになってると思うの。
吉岡麻美のイヤリングを鑑識に調べてもらった結果、麻美本人の指紋以外何も出てこなかった。
それ自体は珍しい事ではないが、問題はイヤリングの素材だ。
なんと、麻美のイヤリングは、純銀で作られていたのだ。
純度の高い銀は、柔らかすぎるため加工が難しく、職人並みの腕が必要となってくる。
しかし同期は、そのイヤリングを「ハンドメイドサイトで見たことがある」と言った。
ネットで検索してみると、同期の言う通り、麻美のイヤリングと同じ商品が見つかった。
けれど、その販売ページには、なぜか銀の割合が少なく記載されていた。
これが詐欺なら、普通は「純銀製」と偽り、実際は銀の割合を減らして作り、金を騙し取るだろう。
なぜその逆なのかが分からない。
さらに、そのイヤリングを販売している作家を問い合わせたところ、麻美の友人の
狙いが分からない偽りの表記。一般人には難しすぎる純銀の手作りイヤリング。
これらの情報は、永瀬の中のイヤリングに対する疑念を さらに膨らませる事となった。
それに──
──それが『呪い』ってどういうことだ? まさか吉岡さんは、そのイヤリングに呪い殺されたとでも言うのか?
──その「まさか」だと面白いと思っただけ。だって、スノードロップの花には、色んな伝説や言い伝えがあるの。その内の1つに……
「ホットココアでお待ちのお客さまー!お待たせしましたー」
店員の声にビクッと反応して、永瀬の思考は中断された。
いかにも女性ウケしそうなココアが乗ったトレーを受け取り、永瀬は辺りを見回した。
すぐに、窓際の席にいる黒木を発見できたが、同じテーブル席に、髪を1本に束ねた女性が座っている事に気づいた。
女性もこちらに気づくと、立ち上がってお辞儀をした。
彼女の右耳には、見覚えのあるシルバーのイヤリングが揺れていた。
「おう、ご苦労さん。待ちくたびれて、先に始めるところだったぞ」
「遅れて失礼します。刑事の永瀬です」
「理工学部2年の立花空です。よろしくお願いします」
よく通る高い声に、まだ幼さが残る顔立ちから、一見高校生でも通用しそうだ。
けれど、清潔感のある身だしなみと化粧から、大人びた雰囲気も感じられる女性だった。
「鼻の下伸ばすなよ」
こそっと耳打ちしてきた黒木を無視して、永瀬はトレーをテーブルに置き、黒木の隣に座った。
すると黒木は、ココアの1つを空に差し出し、もう一方を永瀬に渡した。
今気づいたが、黒木はセルフサービスの水を飲んでいた。
──相変わらず読めない人だな。
永瀬は、素直にココアを受け取り、話を切り出した。
「吉岡麻美さんとの関係について、詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
「…はい。麻美ちゃんは、小さい頃からの幼馴染みです。7つ歳が離れてることもあって、本物の妹のように可愛がってくれました。でも、麻美ちゃんが
「麻美さんが亡くなった当日、あなたは彼女と会っていたそうですね」
麻美のスマホを解析した結果、判明した事だ。
また、駅の防犯カメラには、15:42に改札口前で麻美と別れる空の姿が確認できた。
「あの日は、麻美ちゃんと4年ぶりに会う約束をしていて、一緒にランチを食べに行きました」
「麻美さんから誘われたんですか?」
「いえ、私からです。渡したい物があって、せっかくだから、麻美ちゃんの職場の近くにできた 新しいレストランに連れて行って…って、私がお願いしたんです」
空の表情が重苦しいものに変わった。
私が誘わなければ──そんな声が聞こえてきそうだ。
「『渡したい物』とは?」
「…これです」
少しの沈黙の後、空は右の人差し指でイヤリングを軽くつついた。
「刑事さんはこのイヤリングを見て、私が怪しいと思ったんでしょう?」
バチッと視線が合わさり、永瀬は気まずくて視線を逸らしてしまった。
すると、ずっと黙っていた黒木が口を開いた。
「お嬢ちゃんの言う通りだ。麻美さんの遺体には、お嬢ちゃんと全く同じイヤリングがついていた。そして彼女の耳には、ピアス穴が開けられていたのに、わざわざイヤリングをつけるのは不自然だと思った」
「…確かに私は、麻美ちゃんがピアスをつける人だと知ってました。でもピアスって、人の肌を貫通させるでしょう? もし何かあってからじゃ遅いから、普段から安全のためにもイヤリングしか作らないんです」
空の話に嘘はない。
実際にネットで調べた時、空の他の商品も確認したが、ピアスは1つも出品していなかった。
「けど俺たちは、元々麻美さんと最後に会った人物として、お嬢ちゃんのことを調べさせてもらってたんだ」
──それは、本人に言っていいのだろうか…?
永瀬は疑問に感じたが、黒木の話は続いた。
「正直に言うと、そのイヤリングがお嬢ちゃんの手作りで、他にも似たようなアクセサリーをネットに出品しているのも知ってる。そのうちの1つを、麻美さんにプレゼントしたんだろうって予想もしてた。さらに言うと、麻美さんに渡す前、イヤリングに何か仕込んでたんじゃないかと疑っている。ネットと実物じゃあ、どうやら"中身"が違うらしいからな」
急に空の身体が強張った事が、手に取るようにわかった。
ここまで言われてしまうと、逆に擁護できない。
相手に必要以上に警戒され、聞けるものも聞けなくなってしまう。
「私が…麻美ちゃんを殺したって言いたいんですか…?」
「信じられない…」と 空は両手で顔を覆ってしまった。
すると、どこからか こもったバイブ音が聞こえた。
それに気づいた空は、目を潤ませながらも、カバンからスマホを取り出した。着信があったようだ。
「大丈夫ですよ」
電話に出るよう促すと、空は小声で「…すみません」と言ってから電話に出た。
その隙をみて、永瀬は堪らず小声で黒木を問い詰めた。
「何で馬鹿正直にバラしちゃうんですか!」
「ヨルも覚えておけ。女には必ず表と裏の顔がある。それが暴かれた瞬間を見てみたくなるのが、男の悲しい性(さが)だ」
「ナンパなら他所でやってください!」
「──えっ!?」
突然、空が大きな声を上げた。
永瀬と黒木は、咄嗟に反応して空を見たが、なぜか空も2人の方を見ている。
空はスマホの通話口に手を添え、遠慮がちに呟いた。
「学部の友達からで…。ついさっき、うちの科の先生が、亡くなってるのが見つかったって…」
まるで、何かがゾワゾワと音を立てて迫り上がってくるような、そんな感覚に襲われた。
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