第49話 本当の自分、本当の気持ち

 玄関に知佳の靴があるのを見て、俺は生唾をごくりと飲んだ。


 なんだか、いつもより家の中が薄暗い気がする。


 廊下の電気が消えているわけではないので、明かりの問題というよりこの家にいる人の心の問題だと思った。


 車椅子は玄関の三和土に置いて、俺と愛奈萌は靴を脱ぐ。


 こっちにいるから、と言わんばかりにリビングの扉が開いていたので、知佳の居場所はすぐにわかった。


「ただいま」


 そう言ってリビングに入ると――すぐに足は止まった。


 ソファに座っている姉ちゃんの隣に知佳がいる。背中を丸めて座っており、圧迫面接に怯えているかのように見えた。


「あ、辰馬おかえり」

「うん。ただいま……と、知佳も……いらっしゃい」


 知佳はこちらを見ることはなかったが、ほんのわずかだけ顎を引いてくれた。


 よかった。


 このまま完全無視を続けられたらどうしようかと思ったよ。


「私も、おじゃましてます」


 愛奈萌が俺の隣に並びながら、軽く頭を下げる。


「あ、こちらこそ。辰馬の姉の雅です」

「うちの高校の生徒会長ですよね。知ってます。すごいかっこいいなぁっていつも思ってますけど……」


 愛奈萌はなぜかそこでためらうように言葉を止めた。俺をちらりと見てから、意を決したように話し始める。


「どうして服を着てないんですか? しかもそんなエロい下着で……」


 しまったあああ!


 そうだった。


 パンツにキャミソール姿は普通じゃないんだった!


 今日は真っ赤なフリルのついた紐パンツと同じく真っ赤のキャミソール!


 知佳のことで頭がいっぱいで、すっかり常識というものを忘れていた!


 姉ちゃんこんなときくらい服着ろよ!


「私はいつも家ではこうなんだ。これが本当の私なんだ。……だめか?」


 上目遣いで目を潤ませて、男に媚を打ってダイヤの指輪でも買わせようとしているかのように愛奈萌に問いかける姉ちゃん。


「いえ、だめではないですけど……ちょっと意外で」

「だろ? ま、いわゆるギャップ萌えってやつだ」

「ギャップ萌えかどうかはわからないですけど」


 愛奈萌は自由奔放な姉ちゃんに圧倒されているようだったが、


「でも、なんだか嬉しいです。人間味が増したっていうか、孤高の存在だと思っていた生徒会長が身近に感じられました」


 最終的にくすりと笑った。


「そうだろそうだろ。隙があるというのは大事なんだ」


 姉ちゃんはうんうんとうなずいてから、知佳に話しかける。


「な? 受け入れてくれたぞ?」


 返事をしない知佳を、姉ちゃんは暖かな目で見つめ続けている。


 無言がやってきた。


 俺がしゃべる番だということはわかっている。


 家に帰ってくるまでに脳内で何度もイメージトレーニングしたじゃないか!


「知佳。聞いてくれ」


 口を開いた途端、指先が震え始めた。


 それを抑え込もうと手を握りしめ、小さく息を吐く。


「俺、本当は自信がなかっただけなんだ。知佳が車椅子に乗ってること、救わなきゃってプレッシャーに勝手に押しつぶされて、変な使命感ばっかり先走ってた。それが知佳のプレッシャーになってるとも知らずに、悪かった」


 だめだ。自分でもなにを言っているのかわからない。


 言葉がまとまらない。


 だからと言ってしゃべるのをやめるなんてありえない。


「でもさ、俺の中で変わらないものが一個あって、それはやっぱり、知佳が好きだって気持ちなんだ」


 知佳がびくりと肩を揺らした。


 一瞬だけ、目線を上げかけたように見えたが気のせいだろうか。


「俺はただ、知佳のそばにいたいだけなんだ」

「私も!」


 隣の愛奈萌が自分の番だと言わんばかりに叫んだ。


「私だって、知佳とずっと友達でいたい。知佳が助けてくれなかったら私はあいつに刺されて死んでたかもしれない。嬉しかった。助けてくれてありがとう。知佳のこと、もっともっと知りたいよ!」


 愛奈萌も知佳に必死で想いをぶつけている。


 隣にいる俺にも、その熱い思いがビシビシ伝わってきた。


 マリアナ海溝より深すぎて、その愛に溺れてしまいそうだよ!


「…………私は」


 そんな俺たちの深い思いに応えようとしてくれたのかはわからないが、知佳が口を開く。


「……私は、……私、は」


 同じ言葉を三度繰り返した後、知佳の頬を涙が伝う。ぎゅっとスカートを握りしめて、口を開いて、また閉じる。


「私、は…………」


 それから、知佳は全く動かなくなった。


 俺は息を止めて、ただじっと待ち続ける。


 愛奈萌も胸に手を押し当てて待っている。


 知佳がいまどれほどの葛藤をしているのか。


 この時間を待てずしてどうするというのか。


「…………私はっ!」


 知佳は声を上ずらせながら、ようやく自分の思いを口にしてくれた。


「ただ、お父さんとお母さんにこっちを向いてほしかった」


 隣の姉ちゃんが頬を緩めたのが見える。


 タガがはずれたかのように、知佳の口から言葉が溢れ出てきた。


「お父さんもお母さんも、足が動かないお兄ちゃんばかりかまって、死んでもお兄ちゃんのことばかり考えてる! 私はその隣でずっと生きてた! でもそんなこと言えない! だってお兄ちゃんの足は動かないから! 私の足は動くから!」

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