第47話 姉ちゃんの思い


「え?」


 諦めるの、ってそんなの。


 拒絶されて、気づけなくて、逃げられて。


 一体どうしろっていうんだ!


『だから、一回好きな人にフラれた程度で、どうして諦めるの?』

「フラれっ…………」


 って傷心にいきなり塩をぬってきたっ!


「ど真ん中まっすぐだな! ってかなんで姉ちゃんがそれ知ってるんだよ」


 フラれた、までは言っていないはずなのに。


『そんなの当然よ! だって昨日のあんたの様子見たら、そりゃあ心配で後をつけるに決まってるでしょ! お姉ちゃんとして当然の責務よ!』


 ああ、映画館の前で感じた視線は姉ちゃんだったのか、と思う。俺の姉ちゃんならやりかねない。というよりやるに決まっている。


「責務って、姉ちゃん」

『とにかく! あなたがやるべきことは、そこでぐずぐずすることじゃないでしょ。泣くなら後でお姉ちゃんの胸の中で泣きなさい。いっぱい甘えなさい。なんならそのまま一緒に一夜をともにしても』

「しねーよそんなこと」

『だったら、あなたがいまやるべきことを、ちゃんとやりなさい』


 暖かくも厳しい、愛情のこもった言葉だった。


 俺がいま、やるべきこと。


 つまり、知佳のためにやるべきこと、という意味だろう。


 知佳の心の扉の前にすら立っていなかった俺が、できることなんてあるのだろうか。


「俺……知佳に逃げられたんだよ。知佳は俺たちの前から逃げたんだよ」


 諦めの言葉を口にすると、姉ちゃんはコホンとどこか自慢げに咳払いをした。


『知佳ちゃんなら、私と一緒にいるわ』

「は?」

『走ってるところを追いかけて、捕まえて、とりあえず家に保護してある』

「家、って?」

『もちろん龍山家によ。よかったわ。お姉ちゃんが辰馬の後をつけておいて。そうじゃなかったら知佳ちゃんを保護できなかったもの。感謝しなさいよ』

「確かにそうかもしれないけど、ストーカー行為と知佳の保護は別の話で」

『え? なになに? 感謝のしるしにお姉ちゃんと結婚してくれるって? やだもうそれって禁断の恋よ。でも辰馬がそうしたいなら』

「聞き間違いひどすぎだろ。一昔前の翻訳サイトでもそんな間違いしないぞ」

『じゃあ辰馬は姉ちゃんに惚れてないってこと? 好きじゃないってこと?』


 悲しそうに声を震わす姉ちゃん。


 いや待って?


 なんでこんな話になってるの?


「それはもちろん好きだけど、その好きは家族としての好きであって、惚れた腫れたの好きじゃないから」

『愛に家族も性別も種族も国境も男の意思も関係ないわ』

「姉ちゃんが久しぶりにいいこと言ってると思ったのに、最後で全部パーだよ。タチの悪いフェミニストみたいなこと言ってるよ」

『え? こんないい女にどうして惚れないの? 辰馬の理想の女の子はお姉ちゃんしでしょ?』

「なわけあるか」

『私って控えめに言っても巨乳だし、尽くしまくるし、いつだって抱きしめてあげるし、辰馬の言うことなんでも聞いてあげるし、すぐ服脱ぐし、下ネタ好きだし、お姉ちゃんだし……どこをとっても完璧じゃない』

「主に最後の三つが魅力を爆下げしてんだよなぁ。デイトレーダーもびっくりの大暴落だよ」

『じゃあ、辰馬の惚れる基準はなに?』


 それまでとは打って変わった真剣な声に、背筋がぞくりとした。


 俺の、惚れる基準?


 ってなんだ?


 あれ、俺はどうして知佳に惚れたんだっけ?


『あんたは知佳ちゃんのどこに惚れたの?』


 姉ちゃんの声に、さらに凄みが増した。


「どこって……言われても」

『歩けない知佳ちゃんに惚れたの? 歩けない知佳ちゃんを助ける自分に自惚れたの?』


 姉ちゃんに肩を激しく揺さぶられているかのようだった。


 俺は、知佳のどこを好きになったんだろう。


『お姉ちゃんはね、辰馬を尊敬してんだよ。天才の弟に嫉妬し続けるだけだった私を、辰馬が救ってくれたから』

「あれは……」

『お姉ちゃんね、辰馬が生まれてからすぐ、お母さんの愛を奪われたと思った。しかもその弟ができる弟で、医者になってお母さんの足を治すのは私じゃないんだって思った。そしてお母さんが死んで、お姉ちゃんの中には辰馬に対する劣等感だけが残った』


 初めて聞かされた姉ちゃんの過去。


 できすぎる弟に対して抱いていた負の感情。


 なるほど。


 だから姉ちゃんは、俺に対してあんなに冷たかったのか。


『私は、自分が落ちた名門進学校に辰馬が合格確実だってことが悔しくて、入試の日に事故に遭ったって嘘をついた。少しでも動揺させてやろうってだけだったのに、辰馬は入試をほっぽり出して私のところに来てくれた。無事でよかったって泣いてくれた。だから私は辰馬を尊敬してるの。嫉妬だらけの私を変えようって思えて、みんなから尊敬される生徒会長にもなれた。いなくなったお母さんの代わりに、お姉ちゃんがうんと辰馬を甘やかそうって思った』


 それは初めて聞く姉ちゃんの思いだった。だから姉ちゃんは俺に対していろいろとやってくれたのか。お風呂に押し入ってきたり、むぎゅっと抱きしめてきたり、ストーカーしたり。


 ……うん。どうしてそうなった?


 全部ずれている。


 間違っている。


 手段がおかしい。


『私の行動の源は辰馬なんだよ』


 でも、どれもこれもすごく嬉しかった。母さんが車椅子に乗っていたというのもあって、俺は幼いころからどこかで母さんに甘えることを避けてきた。しっかりしなきゃと思い続けてきた。


 だからこそ、その方法が間違いに間違いまくっているとしても、ストレートに愛情を表現してくれる姉ちゃんに、甘えてもいいと思わせてくれる姉ちゃんに感謝していた。


『あのときの格好よかった辰馬はどこにいったのさ。辰馬は私を……お姉ちゃんをお姉ちゃんにしてくれた。本当の意味で辰馬のお姉ちゃんになれたことが、私はすごく嬉しかった』

「姉ちゃん……」


 俺は思い出していた。


 受験会場の待合室で精神を落ち着かせていたとき、スマホに姉ちゃんからメッセージが届いたこと。


 事故に遭った本人からメッセージが届くなんておかしいだろ! なんて思う前に、俺は受験会場を飛び出していた。


 姉ちゃんのことが心配で、無我夢中で走った。


 入試なんかどうでもいい、もう家族を失いたくなかった!


『あのときみたいに心配なら、大切なら全力で駆け寄ってこいよ! 辰馬! あんたは最初から強いんだから!』


 姉ちゃんに強く胸をたたかれたような気がした。


 電話越しなのに、姉ちゃんの思いが、直接胸の中に流れ込んでくる気がした。


「そう、だね」


 俺はゆっくりとうなずいた。


 知佳のもとへ行く、覚悟が生まれた。


「ごめん。俺、弱気になってた。わからないことに怯えすぎてた」


 姉ちゃんの言葉で吹っ切れた。


 そうだ。


 心配だから駆け寄る。


 そばにいたいと思う。


 フラれたとか、歩けるとか歩けないとか、そんなことはどうでもいい。


 俺が、俺が心配だから、そばにいたいから、そうする。


 どうせ知佳の気持ちは、知佳にしかわからないんだから!


『それでいいんだよ。知佳ちゃんと一緒に待ってるから』


 姉ちゃんの満面の笑みが瞼の裏に浮かぶ。


 ほんと、姉ちゃんには敵わないなぁ。


 その力強く優しい声は、俺の弱った心を明るく照らしてくれた。


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