第6話 だけどやっぱり姉が好き
「ちょっと姉ちゃん! いきなりっ!」
「いいでしょ別に。お姉ちゃん、急に辰馬を抱きしめたくなったの!」
「世間一般の姉はそんな感情を抱きません!」
「世間なんて関係ないわ! もう少しこうさせてよ、辰馬」
猫なで声でねだってくる姉ちゃん。
はぁ、でもま……いっか。
顔が胸に押し付けられているため息が苦しいが、抵抗する面倒くささの方が勝っていたため、されるがままを受け入れる。
おっぱいが柔らかくて気持ちいいからじゃないぞ!
「お姉ちゃん。田中さんからそれ聞いたとき、すっごく誇らしかった。……あ、こんなこと言っちゃうと、あなたの彼女の梓川さんに失礼か」
こういうところは、さすが姉ちゃんだ。
無自覚だったクラスメイト達とは違う。
「でもあなたが、足の不自由な子の彼氏になることを選んだ。その決断をした。男として大きくなったなぁって、お姉ちゃんはほんとに嬉しい」
その穏やかな声から、姉ちゃんが心にあることをそのまま伝えてくれたのだなぁということがわかった。
けど、けど、そんな面と向かって言われたら恥ずかしよ!
普段はただの露出狂変態ブラコン女なのに、こうしてちゃんと素敵なことは素敵だと、嬉しいことは嬉しいと、真っすぐな言葉で伝えてくれる。
だから姉ちゃんのこと嫌いになれないんだよなぁ。
ダルがらみもまあいっかと思えてしまう。
まあ、知佳はほんとの彼女じゃないんだけどね。
抱擁を解いた姉ちゃんは、弟の顔を見るなり、
「あれれー辰馬。そんなに顔を真っ赤にしてどうしたのかなぁ? お姉ちゃんのたわわなお胸がそんなに柔らかくて気持ちよかったのかなぁ? 揉む? 揉みしだく? それとも枕にして寝る?」
さっきのやっぱ前言撤回。
ウザいことこの上ない。
もう弟からかいモードに入ってやがる。
「全部しねぇーよ。姉ちゃんが抱きしめるから、それでちょっと酸欠になっただけだ」
「恥ずかしがらない。……で、彼女のおっぱいとどっちが柔らかかったの?」
「は? さ、ささ触ったことないから。まだそこまでの間柄じゃ……」
彼女のフリ、だから触れるわけもない。
「もう。照れなくてもいいのよ。彼女と密室で二人きり。それでお熱いことが行われないなんて、お姉ちゃん辰馬をそんな根性なしに育てた覚えはありません!」
「なんで俺怒られてるの?」
「さぁ、白状なさい。本当のことを」
「だからなにもないって」
「嘘ね」
なぜか姉ちゃんは目を閉じて、身をよじり始めた。
「きっと……そう。『なぁ、いまからは俺がお前の車椅子だ』『うん。でも、私うまく乗りこなせるかな?』『大丈夫。俺が優しく手ほどきするから、ほら上に乗って』『うん。ああ、すごい! 辰馬の乗り心地最高!』的なことがあったんでしょ! きゃー、青春真っ盛りねぇ!」
まじかこいつ!
一人二役で、とんでもない妄想を垂れ流してきやがった!
「なわけあるか! 一緒に弁当食べてただけだよ!」
「ええー、本当にそれだけ?」
「期待以下でごめんなさい」
「いまどきバカップルでもやらない、あーんし合いっこしてたって聞いたけど?」
「それはっ……!」
そうだ。
それも見られて……いや、覗きにきたクラスメイト達に見せつけたんだった。
「どうやら図星の様ね。キャーラブラブ! 明日からも昼休み生徒会室使っていいけど、事前連絡は必ずお願い。隠しカメラを――じゃなくて人が近づかないようにしてあげるから」
姉ちゃんいま隠しカメラって言いましたよね? そんな危険な場所もう使わね――わけにもいかないか。
実際、人目を気にせず知佳と話せる場所があるに越したことはない。
監視カメラを本当に設置するほど、姉ちゃんは非常識ではないしね。
「……まあ、使うときがきたら、連絡する」
「おっけー。いつでもお姉ちゃんを頼りなさい!」
「うん。ほんとありがと」
「やだー、辰馬に感謝されちゃった」
ものすごく嬉しそうに頬を緩めた姉ちゃんは、それからキッチンで食器を洗い始めた。
「あ、姉ちゃん。これもお願い」
俺は鞄の中から弁当箱を取り出し、姉ちゃんのもとへ持っていく。
「はいはい。サンキュ」
「じゃあ俺、風呂入ってくるから」
姉ちゃんに背を向けて右足を踏み出したところで、あ、そういえばと立ち止まる。
「そうだ姉ちゃん」
「ん? 愛の告白の忘れ物?」
「ちげーよ! 知佳――俺の彼女がさ、姉ちゃんの作った弁当、おいしかったってさ」
「それほんと?」
姉ちゃんは足をばたばたさせ、全身で喜びを表現し始めた。
「ってそんなことより知佳だって名前呼びきゃー! 俺の彼女だってきゃー! …………あれ? お姉ちゃん、辰馬から下の名前で呼ばれたことないよ。俺の彼女とも言われたことないよ?」
「姉ちゃんは姉ちゃんでしかないんだから当たり前だろ」
「最近辰馬が冷たくてお姉ちゃん悲しいわ。でも私のことまで褒めてくれるなんて、私も知佳ちゃんのこと大好き! はやくお嫁にもらいなさい! そのためにはまず既成事実ね! お姉ちゃんでまずは一回試して辰馬に自信をつけさせて…………」
真剣に考えこむ姉ちゃん。嘘の関係なのに、知佳が褒められたという事実がすごく嬉しかった。ただ気が早すぎな! 暴走しすぎな! もう面倒だからツッコまないけど。
「まあ俺が知佳の作ったお弁当おいしいって言った後だから、お世辞の可能性もあるけどね」
「え? お弁当って、知佳ちゃんが作ってるの?」
「そうらしい。なんでも料理は知佳が担当なんだって。足が不自由でも身の回りのことがちゃんとできるようにって、知佳の両親の教育方針らしい」
「ふーん。知佳ちゃんって、優しいだけじゃなくしっかりしてるのね」
そう呟いた姉ちゃんが、俺の肩をがしっと掴む。
「辰馬。絶対に知佳ちゃんの手を放しちゃだめよ。なにか困ったことがあったらすぐお姉ちゃんに相談しなさい」
「それは、うん。そうする」
こんな変態ブラコン女でも、頼りになることを俺は知っているからね。
「でも、そっかぁ。知佳ちゃん。お弁当作れるんだぁ…………あっ! いたたたたたたたた!」
いきなり大声を出した姉ちゃんが、お腹を押さえてその場にうずくまった。
「姉ちゃん大丈夫っ!?」
慌てて駆け寄ると、姉ちゃんはすごく苦しそうに俺を見上げて。
「だいじょうあいたたたたたたた! ヤバいかもお姉ちゃん。お腹痛すぎてこれは明日から辰馬の分のお弁当作れないわ! もしかしてつわり? 陣痛? 辰馬の子供かしら」
「作れないってどういうこと? あと絶対に俺の子供ではない」
まーたなにか始まった、と俺は呆れる。
心配して損した。
「これはお姉ちゃんにとっても苦渋の決断よ。辰馬にお姉ちゃんが愛情たっぷり込めて作った愛妻弁当を」
「妻でもねぇだろ」
「愛姉弁当を食べてもらえなくなるのは非常に残念だけど、腹痛が痛すぎて仕方ないわ。ああー、誰か辰馬のお弁当を作ってくれるいい人いないかなー」
腹痛が痛いなんて間違いをいまどきするやつなんているのかよ。一周まわって逆に新しいな!
「そうだ! これからは知佳ちゃんに作ってもらいなよ!」
「は? いきなりなに言い出すんだよ。迷惑に決まってるだろ」
「いたたたたたっ! この腹痛は痛すぎるわ。いたたたたたたっ。もう無理。辰馬の分だけお弁当作れない。ほら、いますぐ彼女にお弁当作っての連絡しなさいよ!」
大根役者もびっくりの演技で、余計な気をまわしてくる姉ちゃん。ったく、このモードに入ったときの姉ちゃんは、自分の主張を通すまでやめないんだよなぁ。
「……わかったよ」
姉ちゃんが駄々をこねるから仕方なく、本当に仕方なくポケットからスマホを取り出して、知佳にメッセージを送る。
《ごめん。明日からさ、俺の弁当も作ってくれない? その方が彼氏彼女感増すと思って》
べ、別に知佳の手料理が食べられる最高! なんて思ってないんだからね? ちょっとは嬉しいと思ってるけどね。だってすげーうまかったし。
俺がメッセージを送ると、姉ちゃんはすぐにケロッと立ち上がり、
「さて、夜ご飯作りますか」
その豹変ぶりには、もうツッコまないことにした。
まあ、少しくらいは姉ちゃんに感謝しなくもないけどさ。
だって。
《そうだね。わかった。一生懸命作ります》
知佳から帰ってきたメッセージを読んだ俺は、自然と笑みをこぼしていた。
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