第15話

「私はどうすればいいの?」

アイは聞いた。


「ただ、なすべきことをすればいい。」

門衛は言った。

「まず考えてみることだ。モレノのことを。奴はなぜ君の前に現れ、君を騙し、そしてずっと操り続けたか。」


「なぜその名を!」

アイのその叫びを、門衛は完全に無視した。

「インスマウスにいた君の曽祖父は、われわれの眷属けんぞくの血を引いていた。その血は君にも少しだけ流れている。そして君は、母方の祖にも同じ血が流れていたことで、際立った異能を獲得した。モレノはそのことを知っていた。」


「モレノは、私を救ってくれた。両親のいない私を育ててくれた。私を守ってくれた!」

アイは、震える声で言った。だが、門衛は全てを知っていた。

「君の両親は、奴の差し金で暗殺されたんだ。奴から逃れようとしたところを追われてね。すべて君の異能を手に入れるための策略だよ。そしてなにも知らぬ君は、彼を信じ、そのあとひたすら彼の忠実な犬であり続けた。」


アイは、叫んだ。

「あんたに、なにがわかるというのよ!」


「君の抱える闇に、ちょいと光を当ててみただけだよ。」

門衛は面白そうに皮肉を言った。そしてすぐに静かな口調に戻り、

「さて。択ばせてやろう。このまま冥府の王の目覚めを待つか、それとも私の指示する仕事をやり遂げ、王の目覚めをほんの少しの間だけ遅らせるか。」


「前者だと世界が滅ぶわけね。どうやら、私に選択権があるようには思えないわ。」

「さすがだな、そのさとさ。やはりわれわれの血を引く君だけは、なるべく滅ぼしたくない。なに、私の指示は簡単だ。いますぐここから撤収し、もと居た場所に戻れ。そして、今後二度とここの静謐を侵犯することの無いよう、この探査行のデータや記憶を、全て消せ。」


「プロジェクト・チームの全員が、いま私がカロンにいることを知っているわ。」

「それならば・・・君のなすべきことは言うまでもなかろう。君がやり遂げ、探査計画そのものが中断されれば、このわずかな犠牲を払うだけで、君たちが人類と称す膨大な数の仲間の命はとりあえず守られる。たいへんに好意的な、よい取引だ。」


「私たちが諦めても、中国人は諦めない。彼らはおそらく十年以内に、ここに来るわ。」

「なるほど。それは問題だな。だが彼らに関しては、また私がしかるべく対処しよう・・・そして、アイ。冥府の王の特別なはからいにより、君だけは特別にこちら側に迎え入れることとする。君だけは、数十年あとの終焉カタストロフィを逃れられる。だがまずはいったん君の星に帰り、するべきことをしてきたまえ。」



* * * * * * *



一瞬、意識がとぎれ、アイはふたたび目を覚ました。彼女は遠い冥王星系ではなく、先ほどまでいた中央制御室の一角に戻っている。先ほど座ったあのチェア・ユニットではなく、その脇の壁を背にして、床にそのまま尻もちをついていた。


視界はぼやけ、部屋をとても暗く感じた。しかしほどなくそれは、部屋の明かりがすべて落ちているからであることに、アイは気づいた。先ほどまで、チカチカとさまざまな色を放っていたモニター群も沈黙し、大スクリーンにも何も映っていなかった。あっちの角のほうで緑色に輝くEXITのサインと、消化器の位置を示す赤ライトだけが、ぼんやりと暗闇を照らしていた。


ふとアイは気づいた。自分の座るすぐ脇に、どこか見覚えのある黒い長靴が横たえてある。それは足裏を見せたまま真横に伸びた人の脚だった。思い出した。それはモレノの靴だった。長靴の側面を縛りつけるベルトが数本ほどけ、いつも中に仕込んであるセラミック製のダガーナイフが無くなっていた。


そしてまた気づいた。そのダガーを、いま自分が左手に握っているのだということを。アイはゆっくり立ち上がり、ぼんやりとした表情のまま、もう一度、暗い中央制御室を見渡した。


何体もの人間の身体が横たわり、あるいは椅子の背に崩折れていた。そしていま真横にあるのが、カール・モレノの亡骸なきがらであることをアイは確信した。びくりとして手を放した。カラリと音がしてダガーが床に落ちた。


そのまま茫然とし、暗闇のなかで、ただこうひとりごちた。

「なすべき仕事を、やり終えた。世界を守った・・・ほんの、しばしの間だけ。」


そして目を瞑った。

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