第13話

だが門衛の声は、すぐにまた先ほどのような平静さを取り戻した。

「わかっている。悪気はなかった。そう言いたいのだな。君たちがよく使う詭弁きべんだ。」


「君たち、ということは、私たち人間のことを知っているのね?あなたはいったい何なの?幽霊なの?それともなにか、まだ私たちの知らぬ宇宙の生命体なの?」

「質問が多いな。それに、まったく意味のない愚問ばかりだ。」

門衛は言い、やがて答えた。


「我々は、すべてのはじまりだ。そしてすべての終わりだ。今は・・・はじまっても終わってもいない。ただひたすら眠りについている。君たちの使う単位でいえば、億年もの眠りについている。もうすぐ目覚めのときだが、まだ、ほんの少しばかり早い。君はまったく悩ましいタイミングでこの聖域に侵入して来た。無垢で純真だが、同時にきわめて罪深い厄介者だ。」


「もし何かあなたの邪魔をしたのなら、謝るわ。でも私はただ、知りたいだけなの。この谷になにがあるのか。あなたが守る門の中に、誰か居るのか。そして・・・あなたが誰なのか。」

アイは続けざまに尋ねた。どうせ意味のない愚問と切って捨てられるであろうと思いながら。


「知らぬほうが良いこともある。」

門衛の声はまた、先回りをした。

「触らぬほうが良いものも。もっとも、もう手遅れだがね。」


「あなたは・・・神なの?」

「それに近いものだ。いや、そんなものより遥かに枢要で、より高次の存在だ。だが、私はあくまでここの門衛に過ぎぬ。真に偉大で神聖なのは、この門のうちに眠っておられる冥府の王だ。冥府の王こそ、真の神だ。この宇宙のすべてを支配し、すべてを統べ、そして全てを産み、滅することのできるお方だ。いま君はその全能の王の足元すぐ近くまでやって来ている。そして寝園しんえん静謐せいひつを乱し、王の眠りを妨げ、君たち自身の破滅を招来しようとしている。」


「よくわからないけれど・・・冥府の王が、もし、目覚めたらどうなるの?」

少しばかり不安を感じだしたアイが、おそるおそる聞いた。門衛は答えた。


「なに。大したことはない。王が起ち、直接、君たちに降魔の剣を振るったりはしない。おそらく、まずはこの谷じゅうが鳴り響き、谷底の直下に迫るメタンハイドレートの層が、氷を破って次々と噴き出して来る。もとからこの裂け目が入っていることで常に地表面全体に歪みの圧力を受け続けているカロンは、形状を保持できず星そのものがバラバラに砕け、目と鼻の先にある冥王星にぶつかり、太陽系の辺縁でちょっとした変動が起きる。次いで、エッジワース・カイパーベルトと君たちが呼ぶ小惑星帯が、まるでおはじきのように連鎖して跳ね飛び、新たな運動エネルギーを与えられて、太陽系の内側の天体めがけて雨のように降り注ぐ。そして、その衝撃波で宇宙の深淵にあるダーク・エネルギーが溢れ出し、すべての天体の運行法則が変わる。時間の概念や、重力の作用も変化し、宇宙からは一切の光が消滅し、ただ闇になる。なに・・・このちっぽけな宇宙のルールがほんの少し変わり、本来のあるべき姿に近づく。ただ、それだけのことだ。」


「大したことのように、聞こえるわ。」

アイは、震える声で言った。

「それ、私の知る宇宙そのものの崩壊ということじゃないの?」


「まあ、それは受け取り方次第だ。君たちがこれまで通り個体として存在し続けることは、おそらく難しかろう。ただし、君たちだったものは、変わらずこの大宇宙を構成する無限のエネルギーのなかの一部分として、今後も生き続ける。君たちは、消えるわけではないのだ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る